町を歩いているとどうしても目に入ってくる空きテナント。かつては誰かの夢や希望がつまっていたはずの場所が、いまは薄暗く、埃をかぶり、静かに時を止めている。シャッターの前に立つと、そこにあったはずの生活の気配だけがかすかに残っているように感じられる。商売を続けられなくなり、生活の糧となる場所を手放さざるを得なかった人たちの無念。その思いが、空きテナントの静けさの奥に沈んでいるようだ。

この町の公営アパート(団地)にも似たような風景が広がっている。空き室にはカーテンがなく、反射した光だけが窓に白く浮かんでいる。夜になっても電気がつかない部屋も多く、暗い窓が並ぶ姿はどこか心細い。住んでいる人の多くはお年寄りだ。働いている人も高齢の方が多くゆっくり歩く足取りが団地の時間をさらに静かにしている。最近は外国の方も増え、言葉も文化も違う人たちが同じ建物に暮らしているが、交流は多くない。ただそれぞれが自分の生活を守るように静かに日々を過ごしている。建物の周りでは雑草が長く伸び、手入れが追い付いていない場所も目立つ。この団地だけでなく町のあちこちで同じような光景を見かける。

手入れの行届かない公園がある。公園に入ると、まず目に入るのは地面を覆いつくすほどに伸びた雑草。足元が見えないほど生い茂り、誰も踏みしめていない時間の長さを物語っている。植えられた樹木には、どこから伸びてきたのかわからないツル植物が絡みつき幹を覆うように葉を広げている。本来の姿を隠すように静かにそして確実に公園を飲み込んでいく。

空きテナント、空き室の多い団地、そして手入れの追いつかない公園。それらは単なる「古さ」ではなく町が抱える現実を静かに映している。どれも急に壊れたわけではなく、少しずつ少しずつ、人の手が離れ、時間が積み重なって出来た風景だ。誰かが去り、誰かが残り、誰かが新しくやってくる。その入れ替わりの中で、町はゆっくりと姿を変えてゆく。賑わいが減ったように見えても、そこには確かに人の暮らしが続いている。
空きテナントの前を自転車に乗った人が何気なく通り過ぎていゆく。団地の廊下にはゆっくり歩くお年寄りの足音が響く。荒れた公園にも、夕方になれば子供が一人二人やってくる。寂しさの中にも、確かに生活がある。町は静かに衰えながらも、同時に静かに生き続けている。
