黒牢城、荒木村重が立て籠もる城に幽閉された黒田官兵衛が城の中で起こる不可解な事件の謎を解く!!史実とミステリーの虚実織り交ぜた時代劇をご堪能あれ!! 

ストーリー

荒木村重(本木雅弘)は暴虐な織田信長のやり方に反発し、籠城作戦を決行する。城は織田軍に囲まれ孤立無援に。
城内の血気盛んな家臣たちを抑えながら、村重は妻・千代保(吉高由里子)を心の支えに、城と人々を守ろうと苦心していた。そんな時、城内である少年が殺される事件が発生。その後も怪事件が次々と起こる。容疑者は、密室と化した城内に居る家臣や身内の誰か。城外は敵軍。城内は裏切り者。誰もが疑心暗鬼になっていく中、村重は牢屋に囚われた危険な天才軍師・黒田官兵衛(菅田将暉)と共に謎の解決に挑む。事件の驚きの真相とは―。

織田信長、荒木村重、黒田官兵衛、今年の大河の主人公たち豊臣秀吉・秀長兄弟もしかり、多くの戦国武将達が愛した茶器と刀とは? 

茶器、そう、数多の戦国武将が望んで止まなかったのが茶器である。信長は拡大する戦線を維持するために秀吉や光秀を始め多くの家臣団を抱えていた。その中で勲章として千利休等の茶人を通して茶器を仕入れそれを恩賞として与えた、中でもこの物語の主人公荒木村重も茶器に通じ信長が光秀に打たれた後は大阪の堺へ出て茶人としての生活をおくった。村重が作中光秀に送ったとされる茶器の中に茶壷「寅申(とらさる)というのがある。それは価値にして約2万貫(一般的に約20億円から24億円)うーん、今なら3代遊んで暮らせる価値であろうか?城が買えるほどの価値とあるが?そのくらいだったのでしょう?な、なんでも鑑定団に出したらもっとかな?を所持し、その後、光秀が負けると秀吉の手に移った。村重は他にも「定家色紙」(ていかしきし)、「兵庫壺」(ひょうごつぼ)、「桃尻花入」(ももじりはないれ)また、立桐鼓という鼓も腰に据えていたという。劇中奥方と家臣を城に残し毛利に支援に向かう際持って行ったとされる茶器だ。その後、天将7年、11月19日、信長は「尼崎城と花隈城を明け渡せば、おのおのの妻子を助ける」という約束を、村重に代わって有岡城の城守をしていた荒木久左衛門(池田知正)ら荒木の家臣たちと取り交わした。久左衛門らは織田方への人質として妻子を有岡城に残し、尼崎城の村重を説得に行ったが、村重は受け入れず、窮した久左衛門らは妻子を見捨てて出奔した。信長は村重や久左衛門らへの見せしめのため、人質の処刑を命じた。12月13日、有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において鉄砲や長刀で殺された。その後、村重は天正11年(1583年)初めには道薫(どうくん)と名乗って、茶人として生き、天正14年(1586年)5月4日、村重は堺で死去した。享年52歳。天下人たちに愛された茶器もある、初花肩衝(はつはなかたつき):足利義政が命名。織田信長や徳川家康を経て豊臣秀吉の手に渡り、現在は徳川記念財団が所蔵(重要文化財)。新田肩衝(にったかたつき):小ぶりながら力強い造形の中国製茶入。徳川美術館などが所蔵。楢柴肩衝(ならしばかたつき):博多の豪商・島井宗室が所蔵していたが、織田信長や豊臣秀吉の執着を経て行方不明(消失)となった幻の茶入。

多くの戦国武将が愛した刀、

戦国時代、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康、この物語の主人公・荒木村重も茶器と同じく刀を部下に与え自らも刀を愛した。劇中、村重が部下に恩賞(褒美)として「備前物を与える」というシーンがる。そう、日本の国宝に指定されている刀剣類の約半数を占める最高峰の日本刀だ、もちろん国宝クラスの刀を与えたわけではないが、当時から備前物は有名で現代岡山県の備前長船刀剣博物館に所蔵されている国宝「太刀 無銘 一文字(山鳥毛)などがあるのでお近くにお寄りの等は是非ここによって刀剣の魅力に酔いしれてはいかがだろうか?  さて、話は変わるが、織田信長が愛した刀織田信長の愛刀へし切長谷部(へしきりはせべ):長谷部国重作の刀。茶坊主を棚ごと押し切った(へし切った)という逸話が残る名刀。や豊臣秀吉:一期一振(豊臣家が手放さなかった極上の短刀・太刀)・上杉謙信が愛した:山鳥毛(山鳥の尾羽のような激しい刃文が特徴の豪壮な刀)伊達政宗が愛した、燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)や鶴丸国永(つるまるくになが)などがあり、その一部が現存し博物館で観ることができる。現在NHKで放送中の豊臣兄弟において信長が荒木村重に与えたとされる刀がある、 郷義弘作の刀 郷義弘(ごう の よしひろ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した越中国の天才刀工です。「天下三作」の一人称され、在銘の作品が一本もない「無銘」の幻の刀としても知られています。    

最後に、荒木村重はなんで織田信長を裏切ったのか?いまだ解明されていない村重の心中とは?

劇中、村重は信長との対面の席で信長の非道さを見ていたとされ、さらに、妻の千代保は伊勢長島の一向一揆の際に、織田信長によって浄土真宗本願寺派の門徒たちが惨殺された現場を目撃したという体験があり、その事もあり村重は信長に反旗を翻したと考えられるが?はたして真実は歴史の中に隠されてるため、新たな新発見を期待するしかないが、こんな記述もある、信長を討った明智光秀と荒木村重との意外な関係性もある、村重は天正2(1574)年、摂津国人である伊丹氏の支配する伊丹城を落城させる。伊丹城主となった村重は、信長から摂津一国を任されることとなった。信長からすれば、十分に評価をして厚遇もしていた村重が裏切るというのは、まったく考えていなかったようだ。『信長公記』でも著者はこう憤っている。荒木村重は他家の家臣であったが、先年、将軍足利義昭が信長に敵対した時、信長の味方となって働いたので、摂津の国の支配を許したのである。しかるに、身の程もわきまえず、信長の厚遇をよいことに傲り高ぶり、ついに謀反を企むに至ったのであるこれに対して、天野忠幸は『シリーズ・実像に迫る 荒木村重』(戎光祥出版)で、信長の認識のズレを指摘している。というのも、村重は自力で摂津を切り開いて、治めることが許されたにすぎない。つまり、秀吉に江北が、柴田勝家に越前が与えられたように織田軍が占領した地を与えたわけではないということ。同書がこう指摘するのもうなずける。「信長が恩着せがましく言わねばならぬほどの恩賞なのだろうか。このあたりにも信長と信長から離反した者のズレを感じることができるちなみに、家臣のなかでも出世頭として知られる明智光秀も、丹波は信長の命令を受け自力で攻め落として手に入れたもので、村重の摂津を収めたケースとよく似ている。この2人が、ともに謀反を起こしたのは偶然だろうか。村重も光秀もいわば「中途入社組」。織田家での生え抜き家臣に比べて、どこかすっきりしない気持ちがあったのかもしれない。天正5(1577)年に信長の命令で、羽柴秀吉が毛利攻めを任されて、播磨に出陣してくると、これまで播磨を勢力においていた村重も、いよいよ面白くはなかっただろう。こういった記述もあるように村重と光秀の関係性からも信長を裏切る動機も見えてくるのである。現在この映画は県内MOVIX仙台などで公開中なのでぜひ興味がある方は是非劇場へ足を運び歴史ロマンミステリーを楽しんでみるのはいかがでしょうか、  それではまた、

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KIKU

映画とガンプラの作り方の紹介と戦闘機やミリタリー系銃の雑誌も読むので コラム作成や映画のシナリオ作成や詩を書くこともあります。

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