途中で離れても大丈夫。
リラックスして自由に過ごしてもらえたら嬉しいです~
日常の間に佇む隠れ家へようこそ。
こんにちは!あるいは、こんばんは。
覗いてくださり、ありがとうございます!
初めましての貴方も、また訪れてくださった貴方も、ようこそ!( *´ヮ`)੭
私はNoef(ノエフ)です。
今回は「夏」をテーマに話していきたいと思います~
さて、ここを訪れた貴方はいかがお過ごしでしょうか?
かくいう私はといいますと…
見上げればわたぐもがフワフワと漂う晴天の空が広がり、向日葵が空を彩る頃。涼しい部屋で外の暑さを眺めながら、この記事を書いています。
外は暑さで、自分の輪郭がぼやけてしまうぐらいにお日様が照りつけ、レンズを通して観える世界は陽炎で包まれています。そして「溶けたアイスクリームのようになってしまう」そんな考えがぼんやりと頭に浮かぶ日が多くなったように感じます。
ここを訪れた貴方はどんな夏を過ごしていますか?それとも過ごしましたか?
「言葉で広がった季節の捉え方」の話
一年の中の四季「夏」
エネルギーに突き動かされるように生きる人生においての「夏」
夏という季節のイメージや印象を敢えて言葉にするなら、どんな風に表現できるのだろう…
そのヒントになりそうなお話を一つ。
気が向いた時にでもゆるーく聞いてください(*’▽’)
(私が考えたことではなくてそれに出会っただけなのでお見知り置きを…)
それは朱 夏 と言います。
東洋で古くから伝わる五行思想という考え方(季節に色や生命の生涯を当てはめて捉える)から生まれた言葉です。
五行思想では、夏に朱(赤)を当てはめた「朱夏」という言葉があり、人の生涯において最も活気に溢れ、エネルギーの高まる頃(30~40代ぐらいとされています。※所説あり)を指すそうです。
よく見聞きする「青春」の次が「朱夏」になります。
意味としては、読んで字のごとくですが、「夏」を季節においても、生命においても朱色のような熱気に包まれて、エネルギーが最も高まる時期と捉えているようです。
こんなにも深い考えや言葉を発する人たちはどんな風に生きて、何に出会うことでこの考えに辿り着くのか?
私には知りえない領域ですが、言葉を通してそうした人々の視点を垣間見る度に言葉の世界はとても広く、深いものだということをひしひしと感じます。
…(゚0゚)スゴイナー(知った時の私)
夏という季節について
春夏秋冬それぞれが色々な表情を持っていて、イメージも人の数だけ形があるものなので、一言では言い包めることのできない部分がどうしてもあります。
けれど、敢えて言葉にするとしたら私にとって、夏は「エネルギーに満ち溢れている」季節です。所感になりますが、人は、そんな満ち溢れる夏のエネルギーに呼応するように「外へ踏み出したい」「何か行動してみたい」という気持ちになるのかな?と物思いに耽っている私です( ´~`).。
・朱い夏と人々を眺めて
夏の日常と日々の光景には活気が溢れています。
太陽の眩い光が暑く照りつける朝昼。行楽地は多くの人々で賑わい、外からは蝉の音が聞こえる…暑さの中、かき氷を楽しむ人にスイカを思いっきり頬張る人。時には味変の開発に勤しんでみたり…あるいは童心を思い返して、思い出に耽りながらひなたぼっこをする日。
日の沈み始めた夕涼み。
お祭りや花火を楽しもうと足を運ぶその場所は、浴衣や夏着物などに手を通した人々で賑わい、楽し気な声が飛び交っている。周りには、友人と楽しそうに回っている人や大切な人の手を握って歩いている人たちなど…他にも多くの人が集う中を太鼓や笛の音は行き交う人々の高揚感を煽るように響いている…
日が沈み、明かりが煌々と光る、夜空となった頃。
地上の暗がりが夜空を見上げている人々の息を呑むような気配と期待を帯びた、張り詰めた空気に包まれていく。
…大勢の視線が集まる夜空を照らしながら上空へ駆け上がる光。
そうして夜空を眩く駆け上がるとパーンという音を響かせ、大地を揺らす。
夜空に鮮やかに浮かび上がる、幻想的な景色に心奪われる瞬間…
やがて、夜空を彩った花火は静かに余韻を残しながら煙となり、消えてしまう。
だからこそ
大小様々な花火が夜空という一世一代の大舞台の上で華々しく咲き誇る姿はエネルギーに溢れています。
まるで桃源郷にでも迷い込んだかのような、夢のような光景。
幸せなひとときを一人楽しむこともあれば、この時間を大切な人と一緒に共有したい、友達とこの瞬間を楽しみたいと思うこともあるものです。こうして誰かを思い、思われることもとても温かく幸せなものであると私は想っています。
光と影
けれど…どんな時にも終わりは等しく訪れます。
大輪の花火が咲き誇ったあと。光が段々と消えていき、煙となって漂いながら空に溶けていく。
こうして終わりを迎えた一世一代の大舞台には人々の冷めきらない熱気と余韻だけが残り、静寂に包まれてもまだ、耳の奥では花火の音が鳴り響いていた。
祭りが終わり、鳴り響いていた太鼓や笛の音が遠のいた帰路につく頃。
寂しさや虚脱感を覚えること。そしてふと思い出して切なくなることもあります。
熱気が去った後に押し寄せる身体の疲れに現実に引き戻されて、
「明日からはまた、いつもの日常に戻るんだ」という、少しぽつんとした思い悩むような気持ちを抱えたあの日。
もしかしたら…そのまばゆい輪の中に入ることができず、遠くから聞こえるお祭りの音や夜空の端っこに小さく映る花火を眺めながら、エネルギーに満ちあふれている周りの人達と比べて「自分はなんて静かな場所にいるのだろう」と、置いていかれたような虚しさを抱えていた貴方がいるかもしれません。
この隠れ家から、そんな貴方の背中を見つめながら…でもね、と私は思うのです。
貴方の抱える寂しさも、疲れも。そして思い悩むことも、全て。
貴方がその夏を、瞬間を大切に想っているからです。
盛者必衰…どんなに勢いが盛んな者でもいずれ、必ず衰えるのである。という意を持つ言葉。
これは、形あるものは永遠ではなく、必ず、終わりが訪れるということ。時の流れに薄れて消えてゆくという理。それでも心のどこかでこの時間が続けばいいのにと。終わらないで、もう少しだけ…そう惜しむ気持ちになった経験が誰しもあると思います。それは強い光のような幸せの中にいるからこそ、影の暗さに寂しさを覚えるから。反対に影の静けさを知っているからこそ、光に憧れを抱くのだとも思います。
心の中でもう一度。あの朱い夏に会いにいく
生きていると光と影の差に寂しくなる時。
光を見て自分が情けなくなる時。
そうして胸が苦しくなることもある、そのときに。
そしていつの日か、そうだったあのときの貴方に私はこう伝えたいのです。
光の中に身を置くときも、静かな影の中から光を眺める貴方であっても、どちらも貴方なのだから。
引きずっている気持ちを、貴方の今をどうか否定したり、失くそうとしないでください。
いま明るい光の中にいる人々も日が沈めば等しく影の静けさへと向かう。
いま静かな影の中にいる人々にも、やがて陽が昇るように、また光の中へ足を踏み出す時が訪れます。
それぞれの場所で生まれる心の機微はどれも等しく、かけがえのないものです。
今、貴方が感じていることは決して悪いものではなく、貴方だけの世界であり、貴方にしか持てない大切な感性です。その葛藤や胸を突く痛みをどうか無理に消そうとせず、いつかの誰かへの優しさにできるそのときまで、大切にとっておいてほしいのです。
貴方にしかわからないその痛みは、きっと貴方にしか生み出せない特別な温かさを育む種になるはずだから。
まばゆいきらめきの渦中に飛び込んでいた貴方も。
そのきらめきを遠くから見つめながら、自分の静けさと向き合っていた貴方も。
これから先…貴方がいつ、どんな「とき」を過ごしていても、どんな景色のなかにいても。
この文章を開いた瞬間には、温かくも、冷たくもあるような、あの眩しさと影が織りなす夏の光景と思い出が蘇り、貴方にあたたかく寄り添ってくれるはずです。
この場所が貴方にとっての「日常の間に佇む隠れ家」となりますように。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
今回はこの辺で! (*´▽`*)
それではまた!バイバイ〜
