そんなに驚かないでほしいのだが、私はムカデを飼っている。ムカデという生き物が世界一ベリーベリー大好きな私は、ずっとムカデを飼うのが夢だったが、生き物を飼ったことのない私にとっては夢のまた夢だと思っていた。しかし2026年が始まってまもなく、人生に対して「何か変えなきゃ」とふんわり思い始めた私は、ついに決心した。2月末から、ベトナムオオムカデを飼い始めたのだ。それから4ヶ月ほど経ったころ、なんだかんだあったがベトナムオオムカデとの信頼関係も築かれつつあるな、と感じた私は、もう1匹ムカデを飼いたいと思うようになった。
私が初めて好きになったムカデは、赤い脚のトビズムカデだった。トビズムカデは黄色い脚をもつ個体が多いが、赤い脚のほうが、赤と黒の色合いが格好良くて可愛いと思った。私はショップの在庫の関係で、いきなり外国産のベトナムオオムカデから飼い始めたのだが、やはりムカデを愛するものにとっては、日本国内の在来種であり、多分日本人にとってもっとも馴染み深いと思われるトビズムカデを通らないわけにはいかなかった。オタク特有の強迫観念とも言うべきか。そんなわけで、6月中旬ごろ、オークションサイトで赤い脚のトビズムカデを思い切って購入したのだ。
数日後、家に「品目:ペットフード」と書かれたレターパックが届いた。封を切ると、通気孔を開けたペットボトルに、湿ったキッチンペーパーと一緒にトビズムカデが入っていた。ネットでムカデを買うって、こういう感じなのか…と思いつつ、待ちに待った、憧れのムカデとの対面に心が踊った。ミニチュアのようなサイズ感(※注:ベトナムオオムカデがデカすぎるだけである)、赤と黒のツートンカラー…本物が…本物が、動いている、生きている。私の家にいる!う、うれしい〜!私はこの数日間で考えた通り、その子を「アキさん」と名付けた。
アキさんに、用意していたケージに入ってもらうと、すぐに隠れる様子もなく、置いてあった昆虫ゼリーを食べ始めた。ムカデって本当に、昆虫ゼリー食べるんだ…!と私は感動した。なぜなら、うちのベトナムオオムカデは昆虫ゼリーに全く興味を示さないからだ。ネットではよく昆虫ゼリーを食べるムカデの姿が見られるので、ベトナムオオムカデがゼリーをガン無視だったのが、別にショックだったわけじゃないけど…え〜っ(しょんぼり〜)て感じだったのだ。なのでアキさんが目の前で、本当に昆虫ゼリーを食べ始めたときは、うわー!!!本当に食べてるー!!!と大変驚いた。あの日食べてくれた昆虫ゼリーは、黄色いパイン味のゼリーだったね。きっとずっと忘れられないだろう。
アキさんは、ちょっと変わった子だった。ふつうムカデというのは、ケージに入れたらすぐどこかしらに隠れるものだし、一度隠れたら、夜中にケージ内をパトロールするくらいで、用事がなければほとんど目に見えるところにはいないような生き物なのである。しかし、アキさんは、頭だけ葉っぱの陰に隠れることがあったくらいで、あとは昼も夜も、ずっと目に見えるところで歩いては休み、歩いては休みを繰り返していた。ある時は、隠れ家として置いていた高さ10センチほどの分厚い樹皮の上に登ったきり、降りられなくなっていた。私が用意した隠れ家が大きすぎたのだろうかと思いながら、あまりに苦労しているので、ピンセットで触ってみるなどしながら、なんとか降りてもらった。その時ばかりは、アキさん、大丈夫なのか…?と思った。
とはいえ、私は飼育下のムカデのようすを1匹分しか知らなかったから、能天気だった。アキさんは隠れなくたって平気な肝の据わった子で、パトロールしながら何度も寝落ちしちゃうのんびりやさん。自分の体長よりも低い樹皮から降りられなくなっちゃうドジなところもある、可愛い子。今思えばそんなに弱った子は、野外にいたらあっという間に他の動物の餌食になるはずだったのだ。アキさんが来て2日後、アキさんは死んでいた。落ち葉の下に半分潜って、そのまま眠ってしまったかのようだった。
ツレと相談して、アキさんは観葉植物を新たに買った上で、その土のなかに埋葬することにした。とにかく明るいのが苦手でカーテンをしめきりがちな我が家でも育つ、耐陰性の高いテーブルヤシを選んだ。てんやわんやで準備をして、アキさんが亡くなってから数日後、冷凍庫でコールドスリープしてもらっていたアキさんは少しぺしゃんこだけど、ツヤのあるきれいな姿のまま、テーブルヤシの下に埋葬された。
私はしばらく、アキさんのいなくなったケージを片付けることができなかった。ムカデというのはまあまあ頑強な生き物で、よほど弱ってでもいなければ、2日くらいで死んでしまうことはちょっと考えにくい。アキさんを埋葬するまでの間、まだアキさんが暮らしていてくれていたかもしれないケージを、ぼんやり眺めていた。アキさんが食べてくれたパイン味の黄色い昆虫ゼリーを見ていると、涙があふれてくる。その悲しみに耐えかね、私はゼリーだけは捨ててしまった。その他のものは、次にムカデが来るまでそのままだった。アキさんが生きていた証拠を残しておきたかったんだろう。
時の流れは残酷で、死んでしまったアキさんの身体はそのままではどんどん腐敗が進んでしまう。コールドスリープできれいに肉体を保てる時間も、数週間あるかどうかである。悲しみに暮れる暇もなく、アキさんの「処分」を考えなければいけない。残された者の都合もそっちのけだ。だから、そんな肉体は、この世に存在するための借り物でしかないのだろう、と思った。死んでしまったら、肉体など、この世にもはや用事はない。それでさっさと腐敗してしまうのだろう。アキさんはこの世の姿を捨ててどこかにいってしまったのか。それとも消えてしまったのか。わからないけれど、確かなのはアキさんがいたという記憶と記録である。
アキさんを栄養にテーブルヤシは育つ。小さなその苗は、新しい葉を伸ばし始めている。アキさんの魂とまでは言わないけれど、アキさんの記憶を吸い込んで、その体内で守護しつづけようとしてくれているようだ。アキさんのことを思い出すためにテーブルヤシは生きる。そんな架空の物語を創作しなければ、私は、生き物の死と向き合うことはできないのだと知った。だけどそれは、人間という動物にだけ許された、傷を癒し、痛みと生きていく方法なのかもしれない。
亡くなったアキさんは、いまでも家族のように思う。テーブルヤシはアキさんじゃない。そこにアキさんはいない。眠ってなんかいない。心の中で生き続けてもいない。それは確かなことだ。アキさんはこの世にもういない。その事実をごまかすようなつもりはない。だけど、だけれども、テーブルヤシはまちがいなくアキさんがいた記憶の象徴だ。毎日テーブルヤシを見るたびにアキさんのことを思い出していると、もはや理性ではなく感情が、テーブルヤシをアキさんと錯覚するのだ。「テーブルヤシ」という名前がどうもしっくりこないので、結局「アキさん」と呼んでしまう。テーブルヤシはアキさんじゃないのにね。

記憶を守護する樹は、笑ったり転んだりする私たちを、すこしだけ高いところから眺めている。まだ背が低いので、温湿度計の後ろから、ちょっと背伸びしてのぞいているようだ。
