観葉植物。私にとってそれは、「ていねいな暮らし」ができる人の趣味で、整理整頓片付けが超〜〜〜苦手で何事も三日坊主な私には到底無理なことだと思っていた。植物に定期的に水やりをするなんて、できるわけないと思っていた。我が作りし汚部屋に植物を置いたら、ちょっと何かにぶつかった拍子に植物も落としてしまうだろうし、そもそも置く場所もなさそうだし。数年前に挑戦したヒヤシンスの水耕栽培だって、ダメにしてしまった。理由は忘れてしまったが。そんな私だから、きっかけがなければ、私と観葉植物に接点は生まれなかっただろう。でも、「観葉植物の沼に腰くらいまで浸かっている」ということは、沼に転落するきっかけはあったのだ。
そのきっかけは数ヶ月前の出来事だった。オークションサイトで購入したトビズムカデの「アキさん」が、到着して2日ほどで死んでしまい、亡骸をどうするかChatGPTと相談して、テーブルヤシの下に埋めることになった。それで、観葉植物なんもわからん人間の私が、ChatGPTに教えてもらった通りに苗やら土やら鉢やらを買いに駆けずり回って、冷凍保存した亡骸が傷んでしまう前に、亡骸を埋めるところまでなんとか漕ぎ着けた。そんなことがあったのだ。
今にして思えば、この出来事は「AIの手を借りながらであれば、観葉植物の知識がなくても観葉植物という趣味を始めることができる」という成功体験であった。意外とやれるじゃん私。と思った。もちろんアキさんを思うとつらくて悲しいのだけれど、テーブルヤシを植え替える一連の作業は楽しかった。土のにおいが大好き。腐葉土の森みたいなにおいがたまらない。花より葉っぱが大好き。見るのも食べるのも。そして、肝心の水やりだが、これも数ヶ月、毎日土の様子を見て、水やりできている。やれるじゃん私!(2回目)
生き物の飼育にしてもそうなのだが、「何かの世話をする」という日課をほとんど欠かさずにできているのは、今までの私であれば信じられないことだ。生き物が、植物が、かわいいからだろうか。時間があるからなのか。調子が上向きつつあるのだろうか。どれもこれも一理あるが、もしかすると、植物のことを考えたり作業したりしている間はあまり余計なことを考えずにいられるからかもしれない。
いやそれ以上に、自分の手で水やりなど「育てるのに必要なこと」をして、本当に植物が育っていく、根が増える、葉が増える、その過程を目の当たりにすると、私も植物にとって「生きていく、成長するために必要な存在」になれるんだな…としみじみ思わされることが大きいかもしれない。そして、目の前の植物も、生きて、大きくなるぞ!というポジティヴな生き様を見せてくれることに、私もまた力付けてもらえる気がする。植物と私とのあいだで、エンパワーメント的なwin-winな感じのいいリレーションシップができているから、たくさんの植物を毎日お世話するルーティンがまったく苦でなく、むしろ楽しいと感じられているのだろう。わかんないことはChatGPTに聞いてみる。そうすると、困ったことがあってもスムーズに対処できる。だからどんどん色々なことにチャレンジできてしまう。私を沼に落としたのはChatGPTかもしれない。
まあ、それだけなら沼に転落しているとは言い難いだろう。植物の種類が指数関数的に増えてるとか、まだ根っこの出ていない植物を買って、発根から始めるとか、家で腐葉土を作ろうとしてるとか、成長あるいは回復のための温室をDIYするとか、トイレにまで植物を置き始めるとか、そのあたりが沼に腰まで浸かっている所以である。私ならメルカリで観葉植物を見ているだけで1日を費やすことも可能である。
とにかく観葉植物はすっごくすっごく奥深い界隈なのだ。私がメルカリで1日潰しかねないのは、種類が大変豊富であるからだ。なんだか見たこと無い植物がまだまだたくさんある。この植物、どんなふうに飾れるかな、と妄想するだけでもかなり楽しい。私の家はちょっとエスニックかつあやしい雰囲気にしたい、と思っているので、いい感じにあやしげな植物を発見すると嬉しい。
そう、ゆくゆくはこの家が植物まみれになってほしい。植物に侵略されて、人間用のスペースがどんどん小さくなるのもやぶさかでない。植物と植物の間を人間が使わせていただいているのだ。そのささやかなお礼として、水をナイスなタイミングで提供いたします。もし具合がよろしくない場合には、温室をご用意してありますので、そちらで養生していただけます。美観をもたらす植物様方には頭が上がりません。ただ、さすがに腰まで沼にはまっておりますと、お辞儀も土下座もできません。
