僕が作業所にきた訳は大阪に1月30日に来て生活保護を貰っていたので引っ越ししてこれたけど奈良からのだらしなかった日々をやり直す決意をもってやってきた。
奈良に居るときは、うつ病になる前は近鉄電車の架線工事をしていた。
28歳から近鉄で働きだして仕事を完璧に出来るまで7年かかると言われたのを覚えている。
最初は坊主で入って最初は上に上がらないで、ひたすら下で道具を用意しロープに工具を上げれるばかりの毎日でちゃんと一人前になれば80万ぐらい貰えるからと番頭さんに、聞かされていたから頑張っていこうと思ったのは良いが僕より若い連中から、上で仕事をしているのも仕事やから怪我がしない程度のものを上から投げてくるなどちょっとイジメをされていたけどいつか見とけよ一人前になって見返してやると決めていた。
でも坊主と言っても給料は何も知らなかった僕でも30万あった。
それからはイジメにも耐えながらやっと2年目にして上に上がれることが出来るようになった。
上に上がったのはいいが、下にいるときにこの仕事はどんな道具がいるのとか分かっていたので最初は職人の横で手元をしていた。
それで仕事も段々と覚えていきイジメをしてたのは、この仕事は長く働く人間はいないから
またこいつもすぐに辞めるだろうと思っていたらしく、それからは仕事を色々と覚えていってそれから5年で職人に慣れた。給料も80万貰えるようになり今度は番頭になった。
僕が番頭に慣れたのは一年我慢したことと負けないと言う気持ちがあったのが良かったのだと思う。
僕が番頭にになってからは下には今まで上で仕事をしている人に楽をさす意味と若い子を初めから上に登らし手元をさしてなるべく早く仕事を覚えさし日本一の架線屋になるために
休みの日は飲みに行き仕事とはどういう事か一から叩き直した。
夜勤がメインの仕事だし電車が止まってる4時間で電車線の張替したり鉄柱を立てたり分かりやすいのは東大阪の高架の切り替えや石川県の鉄柱をたてて線を張ったりした。
それから仕事着はあるんだけど目立ちたがりの僕は作業着を特注で作っていた。
命を預ける腰道具は20万出して人よりも仕事をしていたので、社長も仕事には来なくなり僕の天下になったけどそれでも満足には慣れず新幹線の仕事を取ってみようと社長に頼んだその時はもう10年以上仕事をしていたのでかなり、業界では結構有名になっていたので今度は一番弟子に上に上がって職人育てろと言って仕事を教えた。
それからは、また下で道具の用意や準備に集中していた。
それからは社長が引退すると言いだしどうしようと皆で相談して僕が社長になって弟子に夜勤を頼むと言って僕は夜勤しない間昼に仕事をしていた。
突然うつ病になってしまい仕事を辞めることにした。
それからは人が変わったように何も出来なくなり物覚えも凄く悪くて仕事も10年しなかった。だから今大阪にいって再スタートしようと思い出てきた。
今は生活保護だし夏になると直ぐに倒れるし現場の仕事は出来なくなってしまった。
これからは、今の自分と向き合いやっていこうと思います。
