わたしの好きな場所「定禅寺通り」のこと。 part1 思い。 

仙台生まれ、仙台育ちの私の、仙台の一番好きな場所は「定禅寺通り」だ。

あの、広い道の真ん中、通称「グリーンベルト」に立ったときの、左右に抜けるようなパノラマが好き。あんなに広いのに、人や車がいっぱいいるのに、静かで、ひとりを感じる雰囲気が好き。でも、そんな私でも、包み込んでくれる感じが好き。
初夏の新緑、そして歩いたことがある人はわかる、足元のベタベタ(ケヤキの新葉から出る樹液だそうだ)、行くだけで、「メディアテークに来る私ってオシャレ。」と勘違いするところも好き。そういえば、レオナール・フジタを知ったのもメディアテークでやっていた展覧会にたまたま行ったからだったなぁ。

1度も離れたこともなく、長年仙台に住んでいるのに、定禅寺通りに来ると「仙台の街に来た!都会に来た!」と思う。
(※仙台人は、仙台に住んでいるクセに駅前に行くことは「街に行く」っていう不思議。)
よく、仙台は「中途半端なところだ」といわれるが、私は「都会でも、田舎でもない『ちょうどいい』ところ」だと思っている。だから、今のところ、仙台を離れる理由は見つからない。定禅寺通りがなくなるということ以外。

私の人生初のライブも県民会館(現・東京エレクトロンホール宮城)、人生初の就職も、一番の入社動機は実は「定禅寺通り沿いだから」だった。よく入れたなぁ。おかげで、入ったあとに「CAD(製図)をやってもらう」といわれたとき、「CAD?高校で簿記しか習ってないんですが…」と絶望した。なんだかんだあってCADはどうにか回避できたけど、その会社も、そんな不純な理由で入社したバチか、3年目ぐらいから持病が頭角を現し始め、会社に迷惑をかけてしまって、辞めざるを得なくなった。もともと医療福祉の専門学校に行くために働いていたのに、まさか自分が支えられる立場になるとは皮肉な話だ…と2回目の絶望を味わった。でも、会社を辞めるときも、辞めたらどうするの?と聞かれても、意地でも「福祉の道に行く」といって辞めた。

誰かを支えている場合じゃなくなって、あっさり福祉の道は断裂した。でも、この身体になったことも、ちょっと面倒くさがりな私にとっては窮屈な場面もいっぱいあるけど(みんなと同じように炎天下の夏フェスに参戦したかった!スタバの甘~いラテをテラス席で飲みたかった!天気のいい日に公園でランチを食べたかった!)もう諦めたのかな、慣れたのかな。そんなに悲観的には思っていない。できないことも増えてきたけど、そのぶん、今の自分ができることが確実になった気がする。その中から、1日を普通に過ごせたりとか、ちょっとのことが思い通りにできたことにも心からうれしく、毎日のように奇跡を感じる。誰かがいってた、「生きてるだけで丸もうけ」状態だ。でも、一方で、今でもいろいろな福祉や医療関係の人に会うと、こんな仕事もあるんだ~と勉強になり、病院とかで同じように悩みながら頑張って生きている仲間に会ったりも、なかなか刺激になる。そして、こんな状態でも、人のためにできることはないかなと毎回ひそかに探している、割り切れないもう一人の私もいる。

会社を辞めて、身体が落ち着いたタイミングでアルバイトをしようと選んだのも、やっぱり定禅寺通り沿いのライオンがいる老舗百貨店だった。
私は人見知りだけど、ほかの人に興味があり(←この前たまたまついていたTVで「人見知り」とは、そういうことだといっている人を見た!)人間観察が好きなので、アルバイトは思ったよりも続いた。仕事も楽しかったけど、いろいろな地域の人(京都の二条城の近くの和菓子屋のちょっとシャイな兄さん元気かな⁇)や、いろいろな職種の人と会ったり、デパートの裏側も知れて楽しかった。今でも、北海道展などの予告を聞くと、うずうずする。もちろん、買う側じゃなくて、ほとんど売る側で。

私の思い出には、定禅寺通りが必要だった。定禅寺通りには、私のいい思い出も、よくない思い出もいっぱい知られている。


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パクチー

歴史、絵画・舞台鑑賞なんかが好きな、難病+障がい者の二刀流です。 興味があること、思っていることを書いてみようと思ってるので、 共感できるひと、気になったひと、ちょっと寄っていってください。

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