断食芸人/カフカ
後ほど読み返すことを前提に感想を書く(そのため、間違いを多く含む可能性がある)なお、「大食い芸人」の対義語とかそういうものではなく、主人公は本当に断食をする模様を見世物にしている「断食ガチ勢」とも言える。
結末にやると、主人公はおいしいと思えるものがないから断食芸人となったらしい。それってもはや生きるつもりがないんじゃないか?と思う。何かを美味しいと思えることが心の健康だと思うのだけど。
そもそも断食をしようと思ったのって、死にたいからじゃない?と自分は考える。それを見世物にしようと思ったのは、意思を揺るがさないためなのかもしれないなあ。そう思うと、断食ってあまり見世物にはならないよね、どうして?という謎に答えが出るような気もする。
断食芸ブームというのが作中では廃れてしまったみたいで、誰も主人公の苦悩を理解することがなかったんだよね。主人公は断食を芸術とも捉えていたけど、それを誰も理解してくれない…と。主人公にとって断食はアイディンティティであったけど、断食は死に自分を誘うもの。
うわ、かなりカフカらしい不条理だし主人公が可哀想な話だ。短編集を予約したから気をつけてもう一回読んでみよう。
王子と乞食/トウェイン(再読)
角川版と学研版(10歳までに読みたい)既読。角川版を読んで、もう少し深掘りしたいな~と学研版を読んだ後の復習用に岩波版をチョイス。改めて読んでもやっぱり面白いな。シリアスなテーマだけど微妙にコミカルなところがあって◎です。
本作品はいわゆる群像劇であるが、どちらかといえばエドワードやヘンドンの視点で描かれている。なぜだろう…と考えたが、トム視点にした場合、単なる貴族と取り間違えられた子供のドタバタ劇になってしまうからだと考える。トムと取り違えられたエドワードと、どちらかといえば元のトムに近い境遇にいるヘンドン視点で描くことで、格差とは?というテーマを深掘りすることができる…と自分は思った。
トムがあまり宜しくない主人公だと思わせつつ、最終的にエドワードの手によって救われるという展開は子供に優しい展開だな…と思ったりもした。同著者の「ハックルベリー・フィンの冒険」に通じるところがある物語だけども、その子供がぞんざいに扱われないことがトウェインのやさしさ…のような気がした。風刺が好きそうな方だとは思うけど、児童書を書くときは真剣だったんだろうな。物語の後、エドワードが亡くなるまでトムとエドワードは仲良しさんだったんだろうな~と想像が膨らむラストでした。
誇りを捨てないエドワードが一番かっこいいです。アニメ化したら一番人気出そうなタイプですよね、彼。トムと取り違えられているから周りと話がかみ合わない間抜けさもまた彼の魅力だと思っています。
岩波版は角川版より挿絵が少ないからか、一気に読める感じがします。角川版の豪華さもいいですが、自分は岩波版が読みやすいかな。村岡訳の海外文学ももう少し読んでみたいな(アンとパレアナくらいしか読んでないかもしれない…)
