青い鳥文庫(旧訳・曽野綾子、挿絵のみ新訳と同様・藤田香)で再読。
藤田香氏の挿絵にあるセーラはどことなくゴシックロリータが似合うような姿であるが、実際セーラは可愛さの中に毒を持つ少女とも言える。(藤田香氏は「黒魔女さんが通る!」の初代挿絵担当者でもあるゆえ、この分野のデザインが得意なのかもしれない。「若草物語」の挿絵もとてもかわいく、19世紀ヨーロッパの雰囲気が得意だったのではないか?と考える。2018年に早逝していることが残念でならない。健在であったならばもっと古典海外文学の挿絵を描いていただきたかった)
毒を持つ少女—原作のセーラは夢見る少女でありながら、正当でない者には辛辣だ。自分を都合よく利用しようとしたミンチンに対して、終盤において自分の身分によって態度を変えるとは何事なのか、と真正面から言い放つ。思っていること(本来であれば正しい事)をためらいなく、目上の人間に言えるセーラは年齢によらず、強き女性である。
私が「小公女」で一番好きなシーンは、終盤で大逆転となったセーラに対して往生際の悪い態度を取ったミンチンがその後妹のアメリアに折檻を食らうシーンである。アメリアは姉の凶行に疑問を抱きつつも頭が上がらなかったが、セーラの身分はミンチンが思うようにどん底にはなってなかった。だからこそここぞとアメリアは姉に対して思っていたことをぶちまけた。その後この姉妹がどうなったかは知る由もないが、おそらくミンチンはセーラへの憎しみで一生苦しむことになったと考えてしまう。このときのアメリアはミンチンとは別の意味で「人間の怖さ」を思い知らされる。
キャリスフォード氏はおそらくこの後セーラの父親代わりとなったと考える。彼の親友であったラルフ・クルーが残した娘であり、キャリスフォードが「ラルフの娘」を探している最中に存在を知ったセーラはキャリスフォードにとって素晴らしい少女だった。もしセーラがラルフの娘でなくても、彼女の父親になれればと考えたように思える。
そして「小公女」という作品のもう一つの魅力はアンヌの存在である。セーラがパンを分けてあげた乞食の少女である。アニメ版である「小公女セーラ」でもアンヌは登場しており、影の主人公とも言える。セーラが救われたこそ、彼女も救われたわけだ。
