映画「愛を読むひと」

映画「愛を読むひと」

今回は、観ていて胸が苦しくなるような作品ですが、映画「愛を読むひと」(2008年 アメリカ・ドイツ合作)という作品を紹介します。原作は小説で、多分読むのは気分が重くなると思います。

主演はイギリス人女優で、「タイタニック」のケイト・ウィンスレッドです。彼女は、この作品で、アカデミー賞、主演女優賞を獲得しました。彼女のノミネート回数は7回で、アカデミー賞史上で最も若くして、複数回ノミネートされた俳優の一人としても知られています。(初めては1996年にノミネート)

1950年代、戦後のドイツで、ある日15歳の少年マイケルは、通学途中に体調を悪くして街の端で、吐いて倒れてしまった。そこに、たまたま通りかかったバスの車掌のハンナというマイケルより大分年上の女性に彼は助けられる。当時感染病が流行っていて、彼は感染症から回復して、病み上がりの状態だった。衰弱していたマイケルは声が出せず、

何も言えなかったが、ハンナは彼が話せないことに気がつき、感染症かもしれないが、ハンナはそんなことを気にせず、人目の少ない場所で休ませることにした。暫くして、少し彼の体調が良くなったが、まだ話せないでいる彼を放っておけなかったハンナは、純粋に少年が心配で自分の家に連れて行く。ハンナは、吐いて汚れていたマイケルを清潔にしてあげるために、お風呂にいれてあげる。小さなタオルで、自分のからだを優しく洗ってくれるハンナに、マイケルは年上の女性への強い憧れと安心感を覚える。

この時、ハンナには、性的な意図はなく、純粋に看病してあげようという気持ちの行為だった。マイケルは、まだ15歳で、安心感を覚えるとともに、恥ずかしさが入り混じった複雑な感情を抱く。しかし、この短いハンナの家で二人で過ごした時間を境に、二人は恋愛関係になる。15歳のマイケルと、一回り以上年上のハンナとの恋は周りには秘密だった。ハンナの家で何度も逢瀬を重ねた。そして、マイケルは、読書好きだったので、いつも本を持ってきて一緒に読もうとハンナに言うが、ハンナは、あなたが読んでと言って、いつも一緒に読もうとしないので、マイケルが読み聞かせをすることになった。ハンナはいつも幸せそうにマイケルの読み聞かせを聴いていた。そんなハンナの姿を見て、ある秘密をハンナが抱えていることを知らずに、マイケルは無邪気に本を読み聞かせていたのだった。

そして、ある日突然、理由も告げずにハンナはマイケルの前から忽然と姿を消す。マイケルは、消えた理由が分からず、深く傷付くが、再会の手段はなく、ハンナを思い続けることしかできなかった。

映画では、どこへハンナが消えたかは描かれておらず、時は流れる。

マイケルは、法学生になっており、ナチス戦犯の裁判の見学に行くことになった。そして、驚くことに、その裁判にハンナが戦犯として、かけられていた。ハンナは、第二次世界大戦中、ユダヤ人の強制収容所の看守として働き、囚人の死に関与していたことが明らかになる。その行為がナチス戦犯として、問われ裁判にかけられていたのだ。ハンナは、自分がした行為を認める書類に震える手でサインをしようとしたが、彼女はなんと文字の読み書きができなかった。そのため、書類が読めず自分が犯していない犯罪の書類にもみみずがはったような、適当な線をサインとして書いてしまった。ハンナは、戦犯として罪を償わされることより、文字の読み書きができないことを他人に知られることのほうが恥ずかしく、裁判で、文字の読み書きができないことを明かさない。ハンナは戦争当時、業務命令や文書を理解できなかったので、命令を理解できなかったため、ユダヤ人の迫害について、罪の意識や責任がどの程度あるか、検察に聞かれるが、ハンナは、証言や質問に対して、沈黙を貫く。

傍聴席で、そんなハンナを見て驚くことしかできなかったマイケル。自分はまだ学生で、頼れる人もおらず、ここで、ハンナのことを何か言ったら、自分のこれからの人生に悪い影響がでるかもしれないという保身もあったマイケルにとって、ハンナの罪の重さや過去の行為を知ることは非常に耐え難く、途中で、裁判所を立ち去った。

マイケルにとって初恋だった人が、何故自分に読み聞かせをさせていたのかを気が付かなかったのも、彼にはショックだったであろう。愛していた女性をかばうことも助けることもできなかったマイケル。ハンナが文字の読み書きができないと告白することは、余計にハンナを恥ずかしめる行為で、そのことが分かっていたので傍聴席からただ見ていることしかできなかったのだ。

そして、裁判の結果、ハンナは終身刑を宣告される。

また時は流れ、マイケルは結婚と離婚を経て、独り身になっていた。裁判の時の自分の行動に罪悪感をずっと持ち続けていたため、長年ハンナに合わせる顔がないと思っていて、そのままずっと刑務所に面会に行くことはなかった。だが、せめてハンナに対してできることはないかと行動したのは、マイケル自身が小説の朗読を録音したカセットテープを刑務所にいるハンナに送り続けることだった。そのテープには、かつてハンナが大好きだったホーマー(古代ギリシャの詩人 代表作「オデュッセイア」)やトルストイ(ロシアの文豪 代表作「アンナ・カレリーナ どちらの作品も私は読んでいないが、どちらもハンナの人生と運命に重なっているこの映画の伏線になっている詩と小説。)の作品などが録音されていた。当初、ハンナは、その録音テープの声を聴くだけだったが、やがて、ハンナは録音を聴きながら、テープに入ってある書籍を手にとり、「音」と「文字」を結びつけることで、毎日数文字ずつ、読み書きを独学で習得していった。そして、それから何年も経った後、ハンナはついに、マイケルに手紙を書くのであった。その文は、ぎこちなく、スペルミスも多かったが、マイケルにはハンナの字だと確信できた。内容はテープを聞いているなどといったごく簡単な文面であったが、ハンナにとって、手紙を

書くということは、文字の読み書きができないという恥を乗り越えた瞬間だった。

数十年後、ハンナの仮釈放が決まり、マイケルは彼女の身元引受人となり、再会することになった。時の流れは恐ろしいもので、美しかったハンナは老婆になっていた。数十年ぶりに会ったハンナは、覇気を失い、諦めに近い絶望感が漂っていた。二人の間には居心地の悪い雰囲気だけが流れた。文字を習得したことだけでは、ハンナが戦時中に行った罪はハンナ自身の心の中でも消えなかったのかもしれない。愛していた人に罪人として会うことは、決して嬉しいとは言えなかったであろう。マイケルのほうも、手紙の返事を殆どしていなかったことや、戦犯として裁かれたハンナを黙ってみていることしかできなかった後ろめたさなどがあった。そうしてぎこちない雰囲気のまま、マイケルが明日迎えにくると言って帰った。その夜、ハンナは自殺した。私は、映画を観ながら、え?と思いつつ静かに絶望感が襲ってくるのが分かった。思いもよらぬハンナの死に映画を観ている私が動揺した。確かに、何十年も牢獄に入っていたらこうなるだろうなと思った。久しぶりに会ったかつて愛した人と別れてから再び会うのには時が経ち過ぎていると感じた。しかし、彼女が入っていた房には、彼がかつて読み聞かせしてくれていた本が本棚に沢山並び、ノートには丁寧に日記を書き留めていた。房からはかつて文字を読めない自分に苦しんでいた人とはまるで別人の部屋だった。

本とノートの他に、戦時中に、収容所で亡くなったユダヤ人のためのわずかな寄付金が残されていた。

マイケルは、ショックであったが、冷静に彼女の死を受け止めた。

ハンナが亡くなって暫くしてから、マイケルは最後にハンナが寄付を託した戦争のかつての生存者のユダヤ人女性の家を訪ね、お金を渡そうとしたが、ユダヤ人女性はお金は受け取らず、「ハンナを忘れないで」とマイケルに一言言い残し、自宅のドアを閉めた。

その言葉を忘れないようにするためか、マイケルはハンナの墓を訪れ、長い年月を経ても、マイケルの心の中に、ハンナの家で読み聞かせをしていた日々とハンナへの愛は忘れられないと確信し、永遠に消えることはないと感じるのだった。

映画を観ていて、ハンナの老年期の特殊メイクがより、物語を悲しいものにみせていた。ケイト・ウィンスレッドは、30代から70代までを一人で演じていた。特に、老年期のシーンは短いが印象的で、この作品で、アカデミー賞メイクアップ賞にノミネートさえされなかったのが、不思議なくらいだ。特殊メイクは、シリコン製の特殊ラテックス(俳優の顔や体につける柔らかいゴム状の皮膚の質感やしわを再現する素材)というものを、頬や首、額に貼り、たるみとしわを再現したという。彼女の老婆を演じる演技力も合わさって、まるで本当に年齢を重ねたように見えた。

悲しい物語であるが、二人の純粋な気持ちが伝わってきて、気持ちをえぐられるようなシーンもあったが、良い映画に巡り会えたと思える作品であった。

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はる組

こんにちは。 懸賞応募と海外留学などのエッセイを読むのが趣味です。 発達障害で困ることも沢山ありますが、どうよろしくお願いします。

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