日本と世界を蠢かした東北人(第三編)

~ 彼が「阿片」の煙の先に見たのは

「希望」か、それとも「地獄」か ~

「満州の『阿片王』」と呼ばれた男

秋田県 里見甫(さとみ はじめ)

ライナス

10代で単身渡満し、その後中国各地を放浪する風来坊の生活を送り、馬賊の捕虜になる

という屈辱を経ながらその後紆余曲折を経て「尚旭東」を名乗り、一介の馬賊の頭目となり、

中国人から「小白竜」と言う異名で呼ばれ、その後に関東軍や日本軍の作戦を時に自らの

軍勢を率いながら陰に陽に側面支援、後方支援した小日向白朗もまた、里見の阿片工作の

重要な協力者であった。前述したように「76号」メンバーや残党組織を自らが組織した

「K機関」によって撲滅するも、対象はそれだけでなく、「藍衣社」や「CC団」についても

壊滅的なダメージを与えたことが記録されている。恐らく「K機関」については中国の

 「青幇」や「紅幇」に代表される地下組織だけでなく、各地に跋扈していた犯罪組織を機関の

  メンバーに加えて結成したと思われるが、その実態は闇に包まれており、昭和史における

  最大の謎の一つと言っても過言ではない。小日向本人もまた戦後は特務工作に関する情報を

  一切公言することはなかったため(大本教の教祖である出口王仁三郎の救出については

戦後に証言している)、彼が満州や中国で行った活動及び行動といった実態も、

  同様に昭和史の謎として深い闇の中に依然として隠されたままとなっている。

「ジェスフィールド76号」が粛清した対象者の中で恐らく最も有名な

 人物と言っても過言でないのがこの鄭蘋如(テン・ピンルー)であろう。

中国人の父と日本人の母との間に生まれた彼女は天性の

類稀なるその美貌と肢体を生かし、日中両国でグラビア雑誌の表紙を

飾るなど活躍していたものの、父のアイデンティティーを受け継ぎ、

やがて抗日運動に身を投じることになる。

その過程で近衛文麿の長男である近衛文隆に接近するも、

父親の文麿の暗殺未遂事件によって関与を疑われ

(実際に鄭が関系していたかには否定的見解が強い)、

関係の終了を余儀なくされることとなる。

その後蒋介石率いる重慶国民政府の特務機関から

「76号」の指導者となっていた丁黙邨の暗殺の密命を受け

(中央統計局とも藍衣社とも言われているが実態は不明。

また鄭がその時国民政府の工作部に所属していたかどうか

 についても日中台の研究家によってでそれぞれ意見に相違がある)、

実際に行動を起こすも失敗に終わる。

しかし彼女は諦めずにわざと出頭して再び丁の暗殺を狙うも、

部下の林之江に行動を露見されて監禁され、

1940年2月(日時不明)、林らによって上海郊外の滬西区中山路の処刑場

(場所の詳細は不明)に連行され、銃殺され、22歳の生涯を終えた。

戦後彼女の存在は中国の国民党、共産党の両政府によって

「抗日運動の聖女」、「東洋のジャンヌ・ダルク

として扱われることとなり、特に中国共産党は彼女の存在を

同党が展開する国際的な「反日工作宣伝」において

重要な存在になっており、実際に彼女をモデルとした

映画「ラスト・コーション」が2007年に公開されるなど

脚光と注目を集めてはいるが、真の彼女の実像というものは

どのようなものであったか、また彼女が工作に本当に関与していたのか、

また関与がどれほどのものだったのかについては確かな資料が無く、

改めてこの時代の特務及び秘密工作に関与した人物という者たちの、

「工作上知りえた『秘密』は『墓場』までもっていく」という

執念の凄まじさを筆者としては感じざるを得ない。

 また、関東軍が極秘に生産していた満洲産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っていました。この活動を通じて、青幇の杜月笙盛文頤や、笹川良一児玉誉士夫吉田裕彦岩田幸雄許斐氏利阪田誠盛清水行之助らとの戦後にまでわたる深くどす黒い闇に覆われた地下人脈が形成されることとなるのでした。

戦後「日本船舶振興会(後の日本財団)」やブルーシー・アンド・グリーンランド財団

(B&G財団の略称で全国的かつ一般的に知られている)の総裁として知られている

笹川良一も、戦時中は自らが党首である「国粋大衆党」を率いていた右翼活動家であった。

結党当初から自作の航空機でイタリアに渡り、当時イタリアの総統でファシストの頭目

だったムッソリーニと会談を行うなどの派手な活動がGHQに毛嫌いされ、戦後に

東京裁判で非軍属の身であったにもかかわらずA級戦犯として起訴、逮捕、投獄

(後にGHQの方針転換により反共活動工作の指導者として活用するために釈放されることと

なった。いわゆる「逆コース」と呼ばれる人事である。)されたことで獄中の旧満州人脈

との結びつきを強め、そのコネクションを活用して利益を獲得し、その利益を自身の財団への

 供与と政治資金獲得、及び政界への政治活動工作のために蕩尽した(その中の一つに昨今政府に

 よって解散請求を受けた文鮮明を開祖とした旧統一教会((政治団体としては「国際勝共連合」))で

あることはよく知られている。)。それと同時に独自のルートを使い中国の鄧小平と関係を構築

したり、浅沼稲次郎暗殺の実行犯の山口二矢の遺骨を所有するといった「愛国主義」の言行も見せるなど、

左右の思想的立場にとらわれない行動で「笹川平和財団」の礎を築き上げた笹川は、

「最も成功した『戦後右翼』」

という異名とその実利を最も欲しいままに所有しえたともいえる人物であった。

 当時の「宏済善堂」は日本人だけでなく、満州族漢族内蒙古族[注3]に代表される中国人やアラブ人、ペルシャ人、ロシア人、台湾人などがひっきりなしに訪れる、まるで「梁山泊」の様相を呈していました。

 そこには肌の色や眼の色に関係なく、言葉もそれぞれ違う多種多様な民族が「阿片」によって群がり、里見の差配によって彼らが統治を受け入れるという「独自の自治」が発生していました。

 その光景を見た里見は、「阿片」のもつ蠱惑的で怪しい磁力に魅せられて恐らくこのような事を思っていたのかもしれません。

「阿片に国境はない。阿片さえあれば国家そのものがそもそもの意味を成しえない。」

と。

上海時代の里見を映した一枚。

当時「魔都」と恐れられた上海で

このように何事を恐れる様子もなく、

ふてぶてしい面構えが板についているところが

里見の「闇紳士」と呼ばれた所以と言える

その証拠としての一枚である。

(第四編に続く)

  • 0
  • 0
  • 0

ライナス

ライナスと申します。読書や日本の歴史、アイルランドやスコットランドの音楽が好きなので、皆様に紹介して共有できればと思っています。

作者のページを見る

寄付について

「novalue」は、‟一人ひとりが自分らしく働ける社会”の実現を目指す、
就労継続支援B型事業所manabyCREATORSが運営するWebメディアです。

当メディアの運営は、活動に賛同してくださる寄付者様の協賛によって成り立っており、
広告記事の掲載先をお探しの企業様や寄付者様を随時、募集しております。

寄付についてのご案内