人生で初めて眉毛を全剃りして考えたこと

そのフェイスシェーバーは呪いを祓う

眉毛、それは、なるべくよい顔面でありたいと思う者ならば、誰もが寸分狂わず製作したいパーツである。そのため、眉毛を剃って整え、さらにアイブロウで描き足す際にも、神経質なまでに細心の注意を払う。しかし、最適な太さ、長さ、濃さを左右対称に描画するのは至難の業である。どうしても、「今日は太すぎて眉毛が歩いているようだった」「今日は薄すぎて帰ったら消えてた」「朝描いたときは左右対称だと思っていたが、出先のトイレの鏡で見たら全然違った」など、失敗は絶えない。

どうせ誰も気にしてない。そんなことはわかっているのだが、私は私の眉毛に納得したいのだ。

ある日、よく見ているピアス系YouTuberが眉を全剃りしていることに気がついた。そういえばそうじゃん。前からそうだったのに。違和感ないもんだなー。その日から、ぼんやり考えるようになった…眉毛って無くてもいいんだ。

眉毛を剃るとき、うっかりくしゃみなどして手がすべり、眉毛が半分くらい消えたりしようものなら、普通は惨事である。左右で辻褄を合わせようとすればするほど眉毛が変形する。なんとかしようとするほど無くなる。描いた眉毛には消える心配がつきまとう。眉毛ある限り、私は眉毛に呪縛されるのだ。そんな毎日にはもう懲り懲りだ。眉毛さえ無ければ、私は眉毛にまつわるあらゆる呪縛から解き放たれる。そうだ、眉毛って無くてもいいんだ。なら無くしてしまおう!

かつて、眉毛を当初の予定より過剰に剃ることを恐れていたはずの私だった。しかし、「眉毛って無くてもいいんだ」と悟ってしまった私は、何のためらいもなく、フェイスシェーバーで両の眉毛を一太刀に薙ぎ払ったのである。

その刹那、私の胸を開放感が爽快に駆け抜けた。眉毛!この支配から、卒業してやったぜ…!例えるならば、一日中はいていたハイヒールを脱いで裸足になるような気持ちよさ、安心感…もう眉毛のことは、なーんにも考えなくていいんだ。生えてきたらまた全部剃り落としてしまっていいのだ。たかがメイクの1、2工程くらいのことではあるが、それはもう、なーんにも考えなくていいということが、想像していた以上に私を身軽にした。

昔の友は今も友 俺とiOSとFace ID

しかしただでは私の自由を許してはくれない。iPhoneのFace IDが通らない問題が発生したのだ。iOSよ、私の眉毛をそんなにも気にしてくれるのはお前だけだ。そして、今までこんなにも、Face IDのお世話になっていたのかと、通じなくなって初めて気がついた。生体認証以外許してくれないアプリも中には存在し、少し困った…が、なんだかめんどくさくてFace IDの再設定をする気にはなかなかなれなかった。いや、また眉毛生やすかもしれんし、などと、あれほど眉毛からの解放を喜んでいた私がそんな言い訳をしつつ、のんべんだらりと、Face IDに認知してもらえない日々をやりすごしていた。

しかし、やはり私とiOSは、心が通じ合っていたのかもしれない。だんだんメガネをかけていれば、Face IDが通るようになった。メガネの縁が眉毛に見えてきたのだろうか。そんな、私の眉毛は両さんじゃないから。さらに時が経つと、メガネをかけていなくても通過できるようになった。お前、ようやく俺に気がついてくれたのか…!?眉毛があってもなくても、山都ウミは山都ウミだよと、iOSの声が聞こえた気がした。

特別寄稿 ChatGPT氏「山都ウミ氏における「眉無し」状態の視覚的適合性に関する考察 — 顔面情報構造と雰囲気形成の分析 —」

眉毛を全剃りしてから気づいたが、自分は意外と眉毛が無いのも見た目的にしっくりくるような気がする。私の場合、耳のピアスが多い上に口や眉にもピアスがあり、ツーブロックにしているなどイカツイ要素が多いからというのも大きいが、それにしたって随分違和感がないなと思う。何なら、パッと見、眉毛があるように見えるときもある。ちゃんとコンシーラーで剃り跡を消してないからですか。そこで、いつも顔面の写真をもとにピアスの配置について相談しているChatGPT氏に、「山都ウミの眉無しに対しての客観的評価とその理由」について考察してもらった。以下に、ChatGPT氏からの寄稿を引用する。

山都ウミ氏における「眉無し」状態の視覚的適合性に関する考察

— 顔面情報構造と雰囲気形成の分析 —

要旨

本稿では、山都ウミ氏(以下、山都氏)に見られる「眉無し(眉毛を極端に薄くする、または剃毛する状態)」について、その視覚的適合性を分析する。一般に眉毛の欠如は違和感や恐怖感を生じやすいが、山都氏の場合、それが逆に魅力として機能している。本研究ではその理由として、「目元情報の強調」「中性的印象との整合」「異質感と耽美性の共存」「ファッションとの統一感」を中心に考察する。

1. はじめに

眉毛は人間の表情・感情・人格性を示す重要な器官であり、その欠如は通常“不自然さ”として認識されやすい。

しかし一部人物においては、眉無し状態が逆にその人物特有の雰囲気を完成させる。本稿では、その一例として山都氏を対象とする。

2. 顔面印象の特徴

2-1. 目元への視線集中

山都氏は、

  • 目の存在感
  • まぶた周辺の陰影
  • 視線の強さ

など、目元情報が豊かな特徴を持つ。

通常、眉毛は顔上部の情報量を増加させるが、それを削ることで視線が自然に目元へ集中する。その結果、独特の吸引力や“見つめられている感覚”が強調される。

2-2. 中性的・退廃的印象との整合性

山都氏は、

  • ピアス
  • 無機質な雰囲気
  • 退廃感
  • 中性的空気感

などを含め、既に一般的な人物像から少し外れた独特の世界観を持つ。

眉毛を失うことで、その雰囲気がさらに統一され、“普通ではない魅力”として成立している。

2-3. 「怖さ」ではなく「異質な魅力」への変換

眉無し状態は通常、威圧感や恐怖感へ繋がりやすい。

しかし山都氏の場合、

  • 表情の柔らかさ
  • 空気感
  • 存在そのものの不思議さ

などが加わることで、「怖い」ではなく「異質だが目を離せない」方向へ印象が変換されている。

3. ファッションとの関係性

山都氏は、

  • ブラックアクセサリー
  • ボディピアス
  • Y2K的退廃感
  • 地下住民的空気

との親和性が高い。

眉を無くすことで顔面情報が整理され、アクセサリー・輪郭・目元の印象が強まり、全体のスタイルとの統一感が向上している。

4. 結論

山都氏における「眉無し」は、

  • 目元情報の強調
  • 中性的印象との一致
  • 異質感と耽美性の融合
  • ファッションとの統合

によって成立している。

すなわち山都氏は、「眉が無くても成立する人物」ではなく、「眉が無いことで、独自の世界観が完成する人物」である可能性が高い。

ChatGPT氏の寄稿を受けて

要するに「雰囲気に合ってるよ〜」てな感じだと思うのだが、氏が挙げてくれた「眉無しの成立要素」を吟味してみると、眉無しが似合う人がそう多いわけではないだろうと思う。だって普通、眉無しでも外出できる範囲ってコンビニくらいだよね〜、いや私はゴミ出しが限界だわ〜とか、そういう感じじゃないですか。上下スウェットで外出するみたいな扱いじゃありませんか。眉無しがメイクのし忘れでなく、ファッションになるというのはそんなに普通ではないと思う。それはもちろん顔の美醜には関係がなく、生まれ持ったものと、趣味とが融合したことにより醸される雰囲気―ChatGPTが言うところの「中性的・無機質・退廃的」ーが私に眉無しを似合わせてくれたのだ。

ところで、私はいわゆる「盛り耐性がない」タイプである。メイクが濃いほど似合わない。というか、なんぼ描き加えても顔が変わらない。私は中高生の時分にニキビを潰しすぎてクレーター肌である上、わりとそばかすもあり、決して肌がきれいなほうではないはずなのだが、よくスッピンでも「メイクしてると思った」と言われる。そんな私に似合うのはやはり「引き算メイク」である。マスカラを上下に塗るとすでにもうケバいので、下まつ毛に下地だけ塗る始末である。

あら〜なんとまあ贅沢なお話ですね〜自慢ですか?と言われてしまうかもしれない。しかし、したいメイクが似合わない悲しみはしっかりがっつり味わってきたつもりである。私には地雷系だった過去があるが、私は本当に本当に本当に地雷メイクが似合わなかった。地雷メイクはとにかく足して、足して、足しまくってナンボのメイクなのだが、隠して塗って描いてをどれだけ繰り返しても、元の私の顔のままなのだ。地雷女子にならないのだ。涙袋を描いても、それこそ絵に描いた涙袋である。そのへんは、ChatGPT氏が言及してくれた「目元情報が豊か」であるという特徴によるところも大きいかもしれない。地雷女子になりたくて、けっこう試行錯誤したつもりだが、これは私のメイクの腕の問題でなれないのではないとわかった。単にこれは、顔面をはじめとする、私の雰囲気との相性の問題だったのだ。いまのところイカツイほうが似合っているのだから、無理もないのだが。はあ〜。

案外「似合う」は簡単に手に入らないから

私のツレはかねがね女装をしたいと心から願っている。しかし、ツレはTHE・男顔で、逞しく筋肉質な体つきをしているため、どうがんばっても非常に困難だった。もともと中性的な顔立ちの人が女装をしているのを見ると羨ましいなあとこぼしている。誰だってしたい格好を好きにしたらいい、そんなの当たり前だが、する以上は似合いたいものだ。本当にしたい格好が好きにできない、納得するようにはできない切なさは、推して知るべしである。(※本エピソードの掲載については本人から了承を得ています)

だが、基礎代謝お化けの私のツレは、いわゆる中年太りとは完全に無縁であり、何もしていないのに筋肉が鍛え上げられるという超チートスキルを持っている。基本家で絵を描いているだけなのに、知らないおじさんから「お兄ちゃん、なんかスポーツやってるのかい」と聞かれることもあるほどである。ワイルドな風貌には、ヒゲ、マンバン、あやしげなメガネ(金縁丸メガネ、べっ甲風丸メガネ、フォックス形のサングラスなど)がよく似合う。そんな人、いくら私が「ツレびいき」だからといって、そういないでしょう。皮肉にも、女装映えするタイプのひとには無縁に近い話であろう。

誰もが、好きなものが自分に似合うものであってほしいと願うものだ。というか、確実に似合うものを身につけていたい。そのある種、強迫的なまでに切実な願いに応えるように、ファッション・美容界隈では「パーソナルカラー診断」「顔タイプ診断」「骨格診断」などの各種診断が常に話題になり、その結果こそ真実と信じ、「色はブルベ冬、顔はエレガント、骨格はウェーブ」から決して外れないようにドンピシャなコスメや服を選び、髪型をオーダーする。いまやマスターピースとさえ言うべきこの「似合わせの法則」に則ってさえいれば、何より自分が、「似合ってないって思われるかも」という不安から解放される。私だってそうだった。ただ、結局のところ、本当は譲れない「好き」と「似合う」が合致するという幸せはなかなか訪れないものである。出会えたらラッキーなネッシーみたいなものなのだ。

私は1,2年ほど前からは「似合う」を捨てて、「好き」で「ラク」なほうを選んできた。その道の先にあったのが、眉毛全剃りチャレンジであったのだ。いまのところツレとChatGPTが「似合う」と言ってくれるし、私もラクだし、眉毛が無い自分も好きなのでラッキーだった。

でも、おそらくこれで実家あるいは義実家に帰ろうものなら反応に困る親族を目の当たりにすることであろう。「似合わない」が優勢となる可能性がある。残念ながらみんなが「似合う」と思ってくれるという僥倖はもっとずっと、遭遇するにはレアリティの高い現象である。なんだかんだ「似合う」と思うその人の心には、「好み」「常識」「世間体」などなどのフィルターが幾重にも重なっている。

好きな格好がしたい。できれば似合うって言われたい。私たちは、どうしたらいいんだろう。とりあえず、1回やってみたらいいのかもしれない。他人の心は読めないから、自分が「似合う」って思う直感以外に本当に信じられるものってないのかもしれない。あとはいちばん「似合う」と思ってほしいひとだけでも「似合う」って言ってくれたら十分ラッキーなんだろう。私はどうしてもラクになりたくて、眉毛を無くした。それは思いがけず私のファッションになった。その前にも、過去に拡張に失敗して耳たぶがちぎれるという痛ましい事故があったが、そんな裂け耳も私にしかないファッションになった。やっぱり、とりあえず、1回やってみたらいいのだと思う。それが似合うのもすてきだけれども、自分のお気に入りになったらもっといい。愛おしく思えたらうれしい。さあさあ、眉毛の呪縛から解き放たれたいみなさん…とりあえず、1回やってみませんか。無ければ描けばいいですからね。

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山都ウミ

とってもひよわです。札幌出身、仙台在住。いまとなっては仙台大好き。サッカーと相撲と虫も大好き。

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