シャ乱Qさんの「ズルい女」という歌は、何回かテレビの音楽番組で聞いた。「聴いた」ではなく、「聞いた」と書いたのは流れてくる一部分だけをなんとなく耳にしただけだからだ。
でも、この曲が非常に有名なのは知っている。何度も昔の名曲として取り上げられているのを見聞きしているから、そうなのだと思う。実際キャッチーで耳に残るし、良い曲だ。
ただ、この曲を一部分だけでも聞いた身としてはこの歌に出てくる「ズルい女」がどういう女性だったのかということをときどき考えてしまう。暇な時間は、しょっちゅう。
「ズルい女」を初めて聞いたときは、「ズルい女」のイメージは「ルパン三世」の峰不二子さんだった。
「多分、ものすごい美女だけど、わがままで自己中心的なふるまいをする悪女だったんだろうなあ…曲の主人公の男性は可哀想だなあ…」というのが大まかな感想である。(ちなみに悪女という言葉はよくあるが、悪男という言葉はほとんど見たことがない。なぜだろうか)
上記のような大まかな感想を長らく持っていた。だから、曲の主人公の男性に同情していた。
でも、最近「この曲の男性はそんな「ズルい女性」のどこを愛していたのか」という疑問が浮かぶ。
結局は「いい女」という言葉は美しい彼女の容姿を差しているに過ぎない気がする。彼女がどんな性格なのかという、内面的なところをこの男性は見ていないと思う。
一方的に貢いで「あんたのため」と言っているあたり、恩着せがましくも感じる。なんというか「これだけ色々やってあげたのだから自分に対しても何か見返りをしてくれるはずだ」という都合の良い期待も感じる。
「愛は見返りを求めない」とはキリスト教で説かれている「無償の愛」のことだが、少なくともこの曲の男性は「無償の愛」を「ズルい」女性には向けていなかったようである。
こんなこともあんなこともしてあげたのに、あの人は何にもしてくれない。そうした不満がこの曲には全面的にあふれている。おでんの汁のようににじみ出てくるようだ。
もちろん、この曲の女性は「ズルい」に違いない。この曲の主人公の男性に対して、何か1度でも彼に優しくしてあげたことはないのだろうか。
この男性から搾取できるだけ搾取して、ポイっと捨てたのかもしれない。
ただ、こうも思う。
この女性は「この人は色々してくれるけど、結局はお返し目当てでしょう。私のことを本当に愛してるわけじゃないわ」と感じていた可能性もある。
それに、この曲の最後の歌詞には「最後もう一度抱きたいよ」とあるため、曲の主人公の男性の欲望が透けて見える。そこがなんか嫌だ。
欲望全開の下心丸出しでプレゼントをしていたのだとしたら、女性だって素直に感謝しにくい。正直、この男性の必死さが怖かったのではないか。プレゼントをたくさんもらうたびに、じわじわと重さと恐怖感に苛まれていったかもしれない。
絶対にないだろうが、「もう一度君と笑い合いたい」とか「君と手をつなぎたい」とかでこの曲を締めくくっていたのなら「純情な男性だなあ」と思えたかもしれない。でもそうではなかったのだ。
あれもやってやったこれもやってやった。「なのに」彼女は僕の誕生日を祝いに来てくれなかった。ひどいよ。
「ズルい女」の内容をまとめるとこんな感じだと思う。
こうやって色々考えてみたのだが、この曲はどっちが悪いという話ではなくて、滑稽な男女の駆け引き(男性が敗北)を描いているのだと思う。
だからもし、この「ズルい女」にサブタイトルをつけるなら「~男性敗走~」というものをつけたい。
ちなみに、今回取り上げた曲は男性が貢いだ末に捨てられる曲だが、女性が貢いで捨てられる曲もあるのだろうか。
もしよかったら教えてほしい。
終わり
