緑内障の手術に至るまで~後編~

後編

前編の前編の内容  緑内障発見のきっかけから手術直前までの状況や心境を書きました。

       是非前編を読んでから後半を読んでいただきたいです。

入院は2026年2月17日で、手術は視野が凄く狭まっている右から行われることになっていて、右目の手術日は18日と決まっていた。誰も付き添いの家族などがいなかったが、普段も一人暮らしなので一人でいるのはとくに不安はなかった。それよりも入院後もまだ手術の詳しい説明を受けていなかったし、同意書ももらっていなかったのが不安だった。結局、入院したその夜に担当医から説明を受けることになった。右目は、線維柱帯切除術という手術時間がおおよそ1時間かかる少し難しい手術をすることになった。通常、目の中の水は「繊維柱帯」という部分から外に流れるが、新しい排水口(濾過胞)を作って流れ道を作り、結果的に眼圧を下げる手術をおこなった。この手術は進行した緑内障の手術によく選ばれるらしい。手術1時間前から、点眼麻酔を数回さし、表面の痛みを感じにくくする麻酔をした。この時くらいから緊張しだしたが、手術の時間が遅れて夕飯の時間になってしまい、あとでお腹が空いてはいけないと思い頑張って夕食を食べた。こういう時にもお腹が空くのを心配してしまう。

そして手術のお迎えがきた。予め用意されていた術着を着て、車椅子に乗って手術室のある階に向かった。手術室に入った時は、普段している眼鏡をしていなかったので(余計なものは持って入られない)、手術をしてくれる担当医の顔はぼやけて見えなかった。最終的に手術台の頭のほうで担当医の声がしたので「ああ、先生(担当医)が手術をするんだなあ」と思った。手術台の上に上がって横になると、両手は重りのような重さの血圧計を巻かれ、足もとには暑いのにこれまた重しのような毛布を置かれ、点眼麻酔のせいで目の感覚があるかどうかもわからないまま右目を消毒液と水でじゃぶじゃぶ消毒され、注射の麻酔を白目の部分に刺されたような気がする。表面が点眼麻酔でぼやけているので、細い棒が眼中に入ってきたが、尖っているかそうではないか分からないまま刺され、すごく痛かったので思わず「痛いっ」と言ってしまった。(これが前編の最後で言っていた麻酔の注射)その後、感覚的にはガムテープみたいな分厚いテープでうわまぶたとしたまぶたをそれぞれ閉じないように上下共に貼られ、まばたき防止のための器具を目の中に無理矢理ぐいぐい装着され、目が自分では一切瞬きできない状態にされ手術が開始となった。

担当医は信頼してはいたがまだ若く、大学病院なので指導医のもとで担当医が手術をした。何も知らない私からすると、指導医に教えてもらいながら、手術をしてもらっているのは結構不安である。しかし、担当医が執刀するうえで指導医の確認をとりながら手を動かしていたので、意識があるなかそれが聞こえていたから、安心して横になっていられた。担当医と指導医がリラックスして手術をしていたので、より心配はなくなった。

担当医におおよその手術時間を聞いていたので、1時間ってこんなに長く感じるんだと思いながら手術に耐えた。麻酔後も痛みがあって、痛いっと何回か言ったが無視された。まぶたをこじ開けられて、ひどいなあと思ったが、自力では瞬きをしないままではいられなかったので、それはあとから楽だったかもしれないと思った。術中暫くして、痛みのピークが過ぎたら、手術室内にかかっているラジオか何かの音楽が聞こえた。20年前くらいに私もよく聞いていたJPopが流れていた。流れてきた全ての曲が自分のよく知る曲だった。リラックスまではいかなかったが、少し気分を紛らわせることができた。しかし、術後、手術室を出たらなんの曲がかかっていたのか頭の中からすっぽり抜けてしまった。やはり手術の痛さとか緊張が勝ったのだと思う。音楽を聴きながら、何の曲だったか記憶しておこうと思ったわけでもないからというのもある。

目がぼやけたまま痛さもあるなか手術が終わり、ふらふらしながら立ち上がった。緊張と足元にかけられていた毛布のせいで、汗をかき、術衣は汗でびっしょりだった。よたよたしながら車椅子に乗り、病棟の看護師さんが手術室前まで迎えにきてくれるのを待った。手術中自分は横になっていただけであったが、自分の病室に帰るまでにどっと疲れがでた。ベッドに帰ってきて、どくどくする痛みが続いていたので、すぐに鎮痛剤をもらい、横になると朝まで眠ってしまった。朝になると、痛みが少しおさまっていたが、それから数日間6時間おきに鎮痛剤を服薬した。気持ちの問題くらいの痛み止めの効き目であったが、飲まないよりマシかなと思った。左目は、まだ視野が狭くなく、視力も右目よりよかったので、右目が眼帯でふさがれていても、薬の袋の文字やスマホの文字などは見えていて、なぜかほっとした。手術の説明を医師から受けた時、左目はまだ視野もあまり狭くないし、手術をしてもしなくてもいいですよと言われた。今回右目は必ずするからついでにしてもいいと言われ、今回するとしたら、手術は、繊維柱帯切開術という切除術よりやや簡単な手術で、手術時間も30分から40分だということだった。今後左目の状態がもっと悪くなるまで様子をみて、その時に繊維柱帯切除術をするのでもいいですよと言われたが、また入院するのもいやだし、一気に勢いよく両目とも手術したほうが怖くないかもなと思ったので、右目の手術の同意書と共に左目の手術の同意書にもサインした。

担当医は日曜日以外毎日診察してくれたが、右目はぼやけていて、私の視野はほぼ左目で保たれていた。右目の手術後1日で、担当医の判断は術後の経過は順調ということだった。しかし、数日たっても下がっているはずの眼圧が下がらず、診察のたびに担当医が右目を眼圧マッサージし、私自身も毎日1日3回は自分で眼圧マッサージをするように言われた。こうして左目の手術まで右目の眼圧マッサージと安静にしておくだけとなった。まだこの時は、この後も眼圧が下がらないとは思わなかった。

いろいろあって、左目の手術日は右目より1週間後の次の週の水曜日になった。祝日を挟んでいたので手術の間が1週間も空いたが、結果的に右目の回復に努められたのでよかった。とはいえ、1週間は暇であった。毎日テレビを観るのは目がしんどかったので、ラジオを聴き、たまにスマホをいじり、ぼーっとすることが多かった。

同室の人達は、私より後から入院し先に退院する人もいた。眼科の病棟への入院期間が全体的に短いので同室の方と言葉を交わすこともなかった。そして入院する方の年齢も高齢者が多く、奥さんが入院するのに旦那さんが付き添いで来られる方が多かったが、眼科病棟は、病室での付き添いが禁止されており、手術の時間に部屋で待ったりすることも禁止されていた。それを看護師さんから聞いた患者さんは驚いていて、奥さんのほうは不安そうにしており、旦那さんのほうも心配そうにしていたが、諦めて帰っていっていた。

左目の手術の日がいよいよやってきた。この日も手術は夕方であった。1週間前の手術の緊張感や痛みなどがかなり薄れていた。ただ、瞼を無理矢理ぐいぐい開けられたりするのは覚えていて、思い出すたびに背筋がぞくぞくして恐怖が蘇ってきた。そして、手術を終えた右目はまだぼやけていて、右目だけでは近くの文字が見えず不安であった。一時的に両目がぼやけるのも怖かった。

担当医は、女性で安心して任せやすい雰囲気であった。質問しやすくて、具体的に答えるので、その点も安心できた。急かしたり、威圧的なところもなく、私は足が悪く杖をついているが、診察の時いつも杖を預かってくれた。指導医がいるので、医師何年目かは気になったが、責任を持って指導医が、カバーしてくれているんだと思ったら不安も減った。逆に大学病院などの大きな病院じゃなかったら、新米医師でもカバーしてくれる指導医がいないのだと思ったら、かなり不安である。

手術日夕方。手術室では朝から夜までずっと手術をしていて、医師と看護師、患者が入れ替わり立ち代わり出入りしていた。

術後、すぐに患者は病棟に戻るので、車椅子移動である。

手術1時間前から時間をあけて、麻酔薬の点眼をしたが、たった2回しかしなかったので、術中の痛みが気になって不安になった。(右目の時はもっと注したような気がした)

手術時間は、右目より短く、30分程度であったが、体中汗びっしょりで、病棟に戻ったらすぐに着替えなくてはいけないなと思った。

左目の手術の時も、しっかり消毒され、瞬きをしないようにまぶたをひらいたままにする機械を目の中にぐいぐい入れられ、麻酔の注射をされた。麻酔の注射は白目の部分に当たり少し痛かったが、右目の時より痛さが少なかった。圧迫感を感じたが、痛いよりマシだと思った。手術名通り切開されているかんじがして、緊張し通しであった。30分が1時間くらいに感じて、手術が終わった時には、左目がひりひりと痛く体に入っていた力もなかなか抜けなかった。(右目の手術よりは短く感じたが、右目の手術が1時間以上に感じていたので、左目の手術が1時間くらいに感じても仕方ないかなと後から思った)担当医は、その日、私の右目の診察をしていなかったので、「あとで右目を見せてくださいね」と私の頭のそばで言った。私は返事をしなくてはいけないと思い、ひと言「はい。」と小さな声で言って、「(手術を無事終えてくれて)ありがとうございました。」とさらに小さな声で言った。

術後3時間は、通常の眼帯をしていたが、夜11時頃には、夜中眠っているときに、目を触らないように透明の眼帯に両目とも変えられた。手術の疲れで、右目の痛みはあったもののその夜もぐっすり眠った。

その後、左目の視力は安静にしていたら大分戻ったので、右目はぼやけたままであったが、担当医にこれ以上何かやって良くなることはないからと言われ、その週の土曜日に退院したというか、させられた。初めて、担当医がひどいなと思ったが、担当医の言うことも間違っていない。左目が体に負荷をかけるような激しい動きをすると(急に起き上がるとか重い荷物を持つとか)ぼやけることもあったので、退院後しばらくは、安静にしていなければならなかったから、不自由であったし、体が疲れて横になっていることも多かったが、家で大事をとったら、1週間くらいで両目ともそれなりに見えるようになった。そして退院後3日で初めての診察を受けたが、右目の眼圧があまり下がっていなくて、手術前に点眼していたのとは違う眼圧を下げる目薬を点眼することになった。その次の診察は1週間後で、その時も眼圧が下がっていなかったので、目薬がもう1種類増えた。それから2週間後の診察でさらに目薬が1種類増え、術後注す眼圧を下げる目薬は手術前に注していた目薬の数3本と同じになった。私はなんのために手術をしたのかと思ったが、手術自体は成功らしい。

そんな中、担当医が3月いっぱいで転勤し、違う医師に交代することを直接担当医から聞いた。私にしたら急な出来事であったので、それを聞いたとき、多少ショックであった。途中で放り出される気分になったのである。これが、大学病院のデメリットかもしれない。

担当医は、そんななかでも3月いっぱいめいいっぱい診察してくれて、最後の診察は3月31日であった。診てくれたからといってよくなるわけではないが、今後関係なくなる患者を最後まで気にかけてくれたのはよかった。

次の2週間後の4月の診察では何事もなかったかのように違う医師が担当医になった。緑内障外来の医師で女医さんだった。

新しい担当医は、視野検査をせずに、主に眼圧検査で目の症状をはかっていた。この医師からも自ら眼圧マッサージをするように指導されたが、医師自身は眼圧マッサージをして一時的に眼圧を下げようとはしなかった。

医師が代わってから2か月。2週間に1回の診察ごとに毎回特に右目の眼圧が高くなったり正常範囲になったりを繰り返して、手術でつくった濾過胞が潰れてしまっている(房水(眼の中の水)がうまく輩出されず、濾過胞(房水が出ていくための排水路のようなもの)が縮小してしまった状態。結果的に房水の排出が減り、眼圧が再び上がってしまっている)と言われ、その上再手術(どんな手術か詳しくはまだ私には分からない)をするかもと言われ、気持ちがまたグーンと下がった。そんな重い気持ちの中一番最近受けた診察では、眼圧が平常値に下がっており、手術は様子をみて次回以降にしましょうとなった。多分濾過胞が潰れているので、診察で眼圧が上がった時点で手術をしましょうと言われるのだろうと思うと(私的にはそれはアウトと宣告されたようなもの)、これから毎回診察が緊張の連続である。

今回手術をして思ったことは、手術をして成功したからと言って、終わりではなくずっと経過観察が続くのだなということと、手術の成功=完治ではなかったということである。しかし、手術は私にとって大きな一歩であった。緑内障は慢性的な病気なので、病院での定期的な検査や目薬が必要ならば忘れずに続けることが大事だなと深く感じた。それ以外にあまり気をつけようがないが、そうならば、目以外は病気にならないよう健康に常に留意しようと改めて思った。

これからも定期的な受診は続くが、それに一喜一憂せず冷静に治療していこうと思う。再手術が不安だが、その恐怖にも打ち勝っていかなくてはいけない。

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はる組

こんにちは。 懸賞応募と海外留学などのエッセイを読むのが趣味です。 発達障害で困ることも沢山ありますが、どうよろしくお願いします。

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