マキノ 草守
アサ 選ばれた者
イト アサの娘
村長
〇
山奥の村は、常に薄暗く静まり返っていた。家々からはほとんど煙が上がらず、道を歩く村人たちは皆、頬がこけ、目がうつろで、会話の声も少ない。ただ黙々と最低限の労働をこなし、生活している。食糧が底をついたマキノはその村へ立ち寄り、村の入口で最初に会った村人に食糧をわけてもらえないか、自分の持っている薬と交換できないかなどと尋ねたが、相手は疲れた目で首を横に振り「余分などない」と素っ気なく断った。幾度となく別の家で訊ねても結果は同じだった。
「ご飯いる?」
諦めて村を出ようとした際にマキノに声を掛けたのは小さな少女だった。背丈からして六、七才といったところだろうが表情に影がある。色白で、目鼻立ちの整った、静かな美しさを持つ少女だった。マキノは一つ溜息をついた。
「自分達で食う分しか残ってないんだろ、飯。飽きるほど聞いたよ」
「そうだけど困ってるんでしょ。私の分はいいよ、一日くらい」
「あのな」マキノは頭を掻く。「大人が子どもから飯取り上げるわけにいかないだろ」
「この村では不思議じゃないよ。昇天期だし」
「…………」他の村人も同じ言葉を口にしていた。神の使いである選ばれた者が現れてから天に昇るまでの期間を昇天期といい、その期間中は供物を捧げなくてはならず、また今がその期間中である、と。日々、豊かな食事を提供することによって天に昇った後に村に加護を与えてくれると言い伝えられているようだが、信仰の薄いマキノにとっては馬鹿馬鹿しく思えるだけだった。「だとしても、僕はお前から飯はとらない。たとえ僕が神だったとしてもそうする」
「お願いだ」少女は懇願するようにマキノの腕を掴んだ。「一膳でも二膳でも差し上げるからおかあを取り戻してはくれないか」
〇
「一辺訊いておきたかったんだが選ばれた者っていうのはどうやって決められるんだ? 選ばれた者とそうでない者との違い、何か、特別な区別の仕方があるのか?」
マキノはイトと名乗る少女に連れられて家に上がりこんでいた。イトの家は、小さな集落から半里ほど離れた、雑木林に囲まれた一軒家である。イトに食事も進められたが、差し出された湯呑の熱い茶だけを一気に飲み干し、飯を断った。中の土間の掃除は行き渡っており、囲炉裏の火が赤々と燃えていた。マキノは食事との交換条件で相談を引き受けたのではなく、単に、村の風習に興味と疑問の両方を抱え始めていたためとりあえずイトの話を聞くことにした。
「神様に選ばれた者はお腹が光る」イトは自分の腹に手を当てる。「この前、村長がいきなり家に来て豪華な食事を振る舞ったの、その翌日におかあの腹が光った。それからおかあは村長の家だ」
でも、とマキノの返答を待たずにイトは続けた。「私は村長との関りが偶然だとは思えなくて、食事に毒でも入ってたんじゃないかって。おかあだけが見たこともない海苔のお味噌汁を飲まされたの、私にはまた今度って。村長と私は一口も飲まなかったからその味噌汁が今になって怪しく思えてきてる」
マキノは顔をひきつらせた。「腹の光は緑とか黄緑色で?」
「そう。そうだけど」イトは驚く。「おかあも光も見たことないのにどうして知っているの?」
「……先に訊いておくが神の遣いの存在を信じているか?」
イトは首を振る。「わからない」
「そうか。なら遠慮なく話すが、お前の母さん、アサが食べた海苔はヒカリノリかもしれない。他の草守に聞いただけなんだが、その海苔は生き物の胃の中にへばりつき、生気を吸い、蓄えた力で淡い緑の光を放つらしいんだよ。ああ、草守ってのは植物の専門家みたいなものかな、僕もそう。それとその、光の種類に関しては蛍と同じだ」
「じゃあ」イトは唇を噛む。「選ばれた者っていうのは」
「神が選んだんじゃなくて村長が勝手に決めているだけだな、村人からの供物をありがたく自分のものとして頂戴するために」
「そんな……今まで、私が生まれる何年も前からずっと?」
「そうなる」マキノは頷く。「ヒカリノリは生き物に取り込まれると生気を吸って暮らす。これまで何人もの村人がヒカリノリの犠牲になり、おそらくだが、死体は何処か村長しか知りえないところで隠しているはずだ。このままだとアサも危ないな」
「今から助けよう」イトの目が鋭く光った。
「気持ちはわかるが順序立ててアサを助けよう。まず村長からヒカリノリを奪う。信じてもらえるかはわからんがその海苔が腹を光らせる原因だと村人に説明して回る。村の連中が一丸となれば村長の立場はなくなって、アサも帰ってくるんじゃないか」
「……そうなればいいけど。そんな簡単に村の人は信じるかな」
「きっと上手くいくさ」嘘だ。どれだけ言いふらしたところで目の前で証明できない以上、自分達の話を受け入れないどころか悪役になる可能性が高いと踏んでいた。長年続く信仰をそう簡単に手放すだろうか、否、ありえない。自身がイトを仄めかしたていで村を回れば後になって彼女が責められずに済むだろうからそうするほかないが、場合によってはアサの救出を諦め、イトを連れて村を出る選択もしなければならない。そういう風に考えるうちに自分が状況の一部に踏み込もうと前のめりになっている事に気付く。交換どころか無償だ。「村長が海苔を隠しているところがあるはずなんだが、心当たりは?」
「どうだろう。土蔵もあるし広い屋敷の中かもしれない」
「なら、まずは蔵だな」
「マキノはいいのか、これからするのは盗みだぞ」
「何を今更」マキノは噴き出した。「縁を作ったのはお前だろう、イト。この際最後まで付き合ってやる」
〇
ヒカリノリは蔵の中にあった。その日の夜にはマキノとイトは屋敷の傍にある蔵に入り込んでいた。息を殺して闇に溶け込み、手分けして埃っぽい棚の奥を探っていたところ、イトが見つけた。指先が冷たい壺の縁に触れたため思わず声をあげそうになった。中には新鮮な生海苔が塩水に漬けられ、蔵に差し込む月明かりにかざすとぬめぬめと艶やかに光った。
イトは息を飲む。「こんなに沢山……」
「よし」マキノは頷く。「じゃあ外に出るか」
軽く蔵を物色した後に外へ出ると冷たい夜風がマキノの頬を打った。振り返ると、しかしどうしてイトの姿が見当たらず、周囲を素早く見渡しても人影はない。
「イト……?」
そのときだった。目の前に佇む屋敷の方から軽快な足音を立てた黄緑色の光が横切った。
〇
イトは息を切らしながらも屋敷中を走っていた。光を頼りに一階から二階へ、閉じられた襖を勢いよく開けてはまた別室の襖を開けてを繰り返しながらアサの居所を探していた。途中、村長だろう、横になって眠っていたと思しきふくよかな男が飛び上がったがそのまま通り過ぎた、これから武器を担いで追いかけて来るだろう。ありったけの力を込めて床を叩くように走る。呼吸が乱れ、そして徐々に自分が呼吸しているのかさえわからなくなってくる。ヒカリノリを取り込んだ自らの腹の光は強まり、その光の強さに比例するように意識が遠のく。
駆け回っている間に奥の間に微かな物音がし、同じ光が揺らいだところが確かに見えた。そのまま暗い廊下を進み、引き戸を震える手で開けた瞬間、喉から息が詰まった。客間を思わせる部屋に太い木の格子が打ち付けられ、鉄の錠前が重く下がっている。畳は汚れ、壁際にうずくまる女の腹がぼんやりと小さく光っていた。
「おかあ……!」
イトは格子にすがりつく。母のアサは乱れた髪を肩に垂らし、やせこけた頬を僅かに上げてイトを見る。目が異様な輝きを帯び、どこか恍惚としていた。
「イト、貴方も神様に選ばれたのね」
「ちが……」
「貴方もここにいらっしゃい、二人で神の傍に行きましょう。村長は知ってるのよね、喜んだことでしょう。親子揃ってだなんて私も嬉しい」
アサの目は狂気と至福の目で輝いており、イトはこのときはじめて、母が村の教えにどれだけ沈み、憑りつかれているのかをよく知った。
イトの視界が歪む。ヒカリノリによる体力の吸収で身体は限界を迎えており、またショックと疲労感が一気に押し寄せてきていた。格子にすがる手から力が抜け、膝が折れる。畳に倒れ込む瞬間、喜びに満ちた母の声が遠く聞こえた。
〇
同刻。村長の屋敷には村人が武器を持って集まり始めていた。夜の闇はまだ重く垂れ下がったままで、松明の炎が揺らめいて黒い影を引き伸ばしている。鍬や鎌、竹槍を握りしめた男が怒りに燃えており、怒号が次々と上がったため、村長はイトを追いたい気持ちを制し、男達の対応に努めざるを得なかった。
「走ってた子はイトなんだな? なんだあの光は」
「旅人からイトだと聞いたが、本当か? 数年に一人しか現れないと言ったのに何故アサが生きてるうちにイトが光った?」
言ったのはお前だぞ、と、何処からともなく怒号が飛ぶ。
「そういう年もあります。皆様方、どうか落ち着いて武器を下してはくれませんか」
「そういう年だと? だったら三人の腹が光る年になるか試してみるか」
村長は思わず唾を飲んだ。「三人? 試す? それはどういう……」
村人達は大きく頷き合い、一人がゆっくりと手を村長に差し出した。掌の上には、はっきりと見えないが冷たい粘り気を保った黒い一片があった。「これを食え」
「……」村長は口をぎゅっと結んだ。
「何故食えない?」
「この海苔をお前たちは……食べられるわけがなかろう」
「海苔?」村人達が目が鋭く光った。「暗がりでよく見えなかっただろうが、これは油に漬かった苔で旅人から手渡されたものだ。俺たちは生まれてこの方、海苔なんて食ったことはないし見る機会さえない。食えない海苔も知らねえ。村長のみぞ知る食えない海苔があるんなら教えてもらおうか」
〇
マキノは裏口から村長の屋敷に侵入し、大きな光が途絶えた二階の座敷牢に向かっていた。村長が追って来ないのは村人の足止めが成功しているのだろう、屋敷のすぐ傍に建っていた民家の男を叩き起こした甲斐があった。
ヒカリノリを信じたのはイトが発した光を男も遠目ながら目にしたからだ。光の主はイトであることと、光は海苔の作用であること以外、事の詳細をマキノはあえて説明せず、椿油に漬けた苔を手渡した。これを村長に食べさせようとして海苔と見間違い拒否するようであれば信仰を捨てろ、と強い口調で告げたが、思いのほか、上手く事が進んでいるのかもしれない。村長は村人の説得に必死で侵入に気付いていないはずだ。
座敷牢は直ぐに見つかった。提灯を掲げ、奥深い廊下を進むと湿った黴の臭いとともに鉄の錠前が鈍く光った。薄暗い部屋の中央に、イトが横たわっていた。顔は青白く、唇の色は既に失われている。倒れたまま微塵も動きもしなかった。
その傍らに、アサと思しき女が座っていた。彼女は大きく目を見開き、血走った瞳でイトを凝視している。「イト……イト…………?」
マキノは一瞬言葉を躊躇ったが、しかし低く、はっきりとアサに応えた。
「イトは死んでいる」
アサの肩がぴくりと跳ねた。「あなたは? イトは天に?」
「選ばれた者としてではなく、使命を全うしようとしてその過程で力尽き天に昇った。お前さんにその違いがわかるか?」
そのときだった。床下からパチパチとした音に気付き、アサの返答を待たずして思わずマキノは舌打ちした。「……屋敷に火を放たれたな。村長ももう無事では済まないし、ここもいずれ焼け落ちるだろう。これから錠を外すから、今すぐ屋敷を出るぞ」
「待って」掠れた声でアサは言う。「イトは? まさかこのまま?」
「僕が抱えて脱出する」マキノは鍵を捻り錠を解いた。座敷牢の鍵は、道中イトが捨てた海苔の詰まった壺を調べた際に発見していた。「それより自分の心配をしろ、歩けるか、着物の端で口を覆え」
マキノは牢の格子戸を蹴り上げる。熱気と煙が座敷牢を満たそうとする一方で、村人達の声が炎の爆ぜる音に混じって屋敷の中にも響き渡っていた。「来てくれ、階段を下りたら裏手の竹藪から抜ける」
炎が天井を焦がし、火の粉が舞う中、マキノはイトを両手で抱え、アサはマキノの背中を追った。三人の影は炎の合間を縫うように竹林の奥へと消え、屋敷は巨大な火柱と化し、夜空を赤く染め上げた。村人の歓声と燃え盛った母屋が崩れる音だけが夜通し容赦なく響き渡った。
〇
火事の煙と熱が全てを飲み込んだ夜が明けた頃、マキノとアサは村から遠く離れた山道を歩いていた。アサの着物は煤と汗で汚れ、髪は乱れたままだった。煙を大量に吸ってしまったため声がしわがれていたが、体調は好転していた。
「……ヒカリノリは死んだのかもしれない」
マキノは足を止めて振り返った。
「そう。でないと説明がつかないよな、普通。脱出の際にも思ったが生気を吸う海苔が腹にいてそんなに歩けるわけがないんだ」と、言った直後に咳き込むアサを一目見て、まさかな、と独りでに呟き始める。
「わかったんですか?」
「いや」マキノはかぶりを振る。「確信はない、ないんだけれども、熱に弱いのかも、と。それに植物は皆、夜には呼吸する。だいぶ煙に燻されたし、ノリが呼吸出来なくなって生きてられなくなった可能性も大いにある」
それからしばらくの間マキノはただ黙ってアサの横に並び、山道を上り続けた。アサは後ろを振り返ることなどなく、燃え落ちた屋敷も、村人の怒号も遠い過去のものとなった。
「私はこれから知らぬ土地、別の村で暮らすけれど、時々村に戻るわ。イトに花をあげなくちゃね」
マキノは小さく頷いた。朝の薄い光が木々の間に差し込む中、アサとマキノは足を一歩ずつ、静かに前に運んだ。ヒカリノリを失ったアサの身体は軽く、しかし心は重く沈んでいるが次の村を目指して歩くほかなかった。
