前回コンパニオンまでお伝えしました。次は知り合いが、岩手の安比高原にペンションを出すので手伝ってほしいと言われ、単身岩手に行きました。働いてみたもののオーナーと折り合いが悪かったのですぐにやめました。何故かというと、お客様に対しての、高飛車な態度と、たばこをくわえながらの食事作り、何度も注意はしましたが、改めてはくれず、そんな時オーナーの友達から、スナックを営業しているのでやってほしいと言われました。ペンションにいるよりはいいかと思い了承しましたが間違いの基でした。1カ月、働いても、2カ月働いても、お給料を払ってもらえませんでした。お客様はそこそこ来ていました。近くに私がよく行っていたスーパー銭湯があり、そこのオーナーに相談したら「じゃあうちで働かないか」と言ってもらい、即座に移りました。ここでの仕事は楽しかったです。仕事内容は受付と、掃除と食事作りでした。終わると毎日、タダで温泉に入らせてもらってました。嬉しかったです。また、オーナーには、小学3年生の娘さんがいました。ご自宅が向かいだったので、よく遊びに来ていました。その子と仲良くなり、よく一緒に遊んだり、一緒に温泉に入ったりしていました。ここで働いてから素敵なおまけがついてきました。それは、毎日温泉に入っていたので、お肌がすべすべ、つるつるになりました。これは嬉しかったです。この頃、ある男性と知り合いました。息子の父親です。その人は、自分で看板屋をやっていました。それを無償で手伝いました。例えば、ある銭湯のシャッターに大きくウルトラマンの絵を描いてほしいとか、安比高原のゴンドラに貼ってあるシールを新しく貼りなおしてほしいというものでした。ゴンドラは頂上にあったので、そこまで、バギーで行きましたが、運転はその人がして、私は後ろに乗りましたが、帰りが怖かったです。何故かというと猛吹雪でした。おまけに、道に迷い、終わったと思いました。でも、何とか無事に降りてくる事が出来て、良かったです。でもこの人とは、仕事に対しての取り組み方や、考え方が合わず別れました。









その後、私は警備日記、職業日記1でも書きましたが、施設警備員、妊娠をきっかけに、仙台に戻ってきて、息子を産み、保育園入園後、スーパーで働き、病気を経て、大手の警備会社の障がい者枠で働き、パワハラにあい、やめて今に至ります。苦手克服日記でもお伝えしましたが、今は、苦手だったパソコンが好きになり、得意だった、記事の作成、これも、苦手だった、イラスト作成等も好きになり、とても充実した毎日を過ごしています。苦手な事でも、諦めず取り組めば、好きになり。趣味にしても、楽しめるのだという事を学びました。


更に私は、40年位働いてきて、仕事というのは楽しみながら、どんな仕事でも、やりがいと、誇りをもってするというのが、仕事に対しての、私のモットーで、姿勢です。私はもう定年を迎える程の年齢で、障害があったりしますが、姿勢とモットーは変えずに体が動かなくなるまで、働き続けたいと思います。
*病気になる前には必死で働いていて、特にスーパーで働いていた時は、コロナの影響でとても忙しく、休みもなく「疲れたな、休みが欲しいな」と思っていました。でも中には休みを余儀なくされている人や、職を失ってしまった人がいたりして、その時は、羨ましく感じていました、でも病気になり、私も職を失ってしまいました。そして、しばらくは、入院やリハビリで、数年は働いていませんでした。その頃の私は、、ニートの引きこもりのようになってしまい、自分は価値のない人間なのだと、感じていました。そして、思ったのは、仕事があるというのは、なんと幸せなことなのだろうと、強く感じました。これを、若い世代に伝えたいと思います(息子にも)
