前の投稿でも、似たようなことを書いたが、優れた音楽の功罪は、自分は特別だと思わせてくれる瞬間や、自分で自分を愛せるような瞬間を、手渡すというようなものだとつくづく思うのです。そして、それらは、ポピュラー音楽の中では、歌の中のヒーロー・ヒロイン気分を味わうというものが強くあると思うし、また、それらは、アンダーグラウンドな音楽の中では、その音楽が持つスノップさを味わうというものが、またしても強くあると思うのです。もちろん、ポピュラー音楽にしろ、アンダーグラウンドな音楽にしろ、それだけが、全ての聴く理由になるわけではないというのは大前提で話すべきなのですが、まあ、そういう所もありますよねといった所でしょうか。
つまり、このアルバムや、私が灰野敬二氏の音楽に触れて感じる、複雑な多幸感というのは、この音楽を理解できる自分、この音楽を愛している自分へのナルシズムから出来ているのというのも、ある部分の一部としてはあるのではないかと思ったりもするのです。そして、そういうことを考える時に、結局、私が今、強く思うことは、この人が溢れる世界の中で、人は誰かしら、あるいは、何かしらと一緒に手を組まないと、もう少し、愛らしい表現をするとしたら、手を繋がないと、結局の所、生きていけないのではないかという事なのです。つまり、こんな私も、この灰野敬二氏の音楽と手を組みたいと思ってしまった、一人なのであります。それは、つまり、灰野敬二氏の音楽のファンでありたいと思ったという事なのです。
では、このアルバムはどのようなアルバムかと、少し、感じていることや、考えていることをまとめたいと思うのです。まず、最初に言うと、このアルバムも、灰野敬二という人も、ポップスの持つ物差しや、ロックの持つ物差しでは、到底測れないという誰もが思ったりする事を思ったりするのですが、では、本当にポップスの持つ物差しや、ロックの持つ物差しで、図れない存在なのだろうかと思ったりもするのです、好きになるには順番がいると思うのです、何を言いたいかというと、いきなり、灰野敬二の音楽を聞いて、魅力を感じるという人は、多分、あまりいないのではないかと、当たり前のことかもしれませんが、思ったりするのであります。つまり、ポップスを測る物差しや、ロックを測る物差しを手にした人で、アンダーグラウンドの、ちょっとした、深淵を覗いてしまった人が見事に沼るものだと思うのです。私もそんな、深淵を覗きこみ、また、深淵にのぞき込まれてしまっているかもしれない、一人なのであります。
つまり、私が今、思っていることはこういうことです、ポピュラー音楽だろうと、アンダーグラウンドな音楽であろうと、どちらにしろ、音楽であるという事、また、その、どちらの音楽にしろ、その、どちらの音楽も、まるで、コインの表と裏のように、繋がるところもあるのではないのかということなのです、つまり、ポピュラー音楽の先に、アンダーグラウンドな音楽があるとしたら、また、アンダーグラウンドな音楽を愛でるという事は、最終的には、ポピュラー音楽の真髄を知ることに近づくのではないかと思ったりもするのです、つまり、そういう事なのです。
