人工で造られた島での生活

軍艦島。正式名称は端島(はしま)をご存知ですか?

長崎県長崎市にある島で、かつて人が住んでいました。

島のサイズ

軍艦島(端島)のサイズは、南北の長さが約480メートル、東西の幅が約160メートルと非常に小規模です。面積は約6.3ヘクタール(0.063平方キロメートル)であり、これは東京ドームのグラウンド(約1.3ヘクタール)に換算すると約5個分に相当する広さしかありません。島を外周の岸壁に沿ってぐるっと1周したとしても、その総延長は約1.2キロメートルであり、大人の足であれば徒歩15分程度で回りきることができるほどの極めて小さな島です。

島の成り立ち

軍艦島(端島)はもともと、現在の3分の1ほどの大きさしかない小さな瀬(岩礁)にすぎませんでした。しかし、1893年(明治26年)から1931年(昭和6年)にかけての約38年間に、計6回に及ぶ大規模な埋め立て工事が実施されました。これにより島は四方へと徐々に拡張され、現在の「軍艦」にそっくりな細長い人工の島の形へと姿を変えました。島のサイズ

開拓と居住

軍艦島(端島)に人が定住していた期間は1890年から1974年までの約84年間であり、三菱合資会社による海底炭鉱の操業開始を契機にコミュニティが形成された。1916年には日本初の鉄筋コンクリート造高層アパートが建設されて居住空間が拡張され、1960年には約5,300人が暮らす世界一の人口密度を誇る島へと発展したが、1974年の閉山に伴い無人島となった。

島での生活の様子

軍艦島(端島)の生活は、狭い島内で全てが完結する、最先端で活気あふれるものでした。

海底炭鉱での危険な労働の見返りとして住民の給与は全国平均を大きく上回り、1960年頃には家電の「三種の神器」の普及率がほぼ100%に達していました。さらに家賃、水道光熱費、医療費、教育費などは三菱が負担していたため、生活費は実質無料でした。島内には映画館、パチンコ店、プールなどの娯楽施設から、病院、小中学校、郵便局、24時間営業の売店まで揃っていました。

島民は全員が顔見知りだったため、泥棒もおらず玄関に鍵をかけないなど、大家族のような強いコミュニティが形成されていました。子供たちはアパートの屋上や路地を遊び場とし、地域全体で育てられていました。

一方で、離島特有の苦労もありました。強い台風による高潮の被害や、1957年の海底水道開通まで続いた水不足、コンクリートに覆われ土や緑がない環境などが挙げられます。そのため、住民は屋上に土を運んで菜園を作るなどの工夫をして暮らしていました。

無人に移行

軍艦島(端島)は、主要エネルギーが石炭から石油へ移行したことと、海底深くへ掘り進めたことによる採掘の限界から「海底炭鉱の閉山」が決まり、終わりを迎えました。

運営会社の三菱鉱業による経営判断により、1974年1月15日に閉山式が行われ、炭鉱としての歴史に幕を閉じました。島民にとって島に住む目的は炭鉱での労働であったため、閉山に伴い全員が退去を余儀なくされました。住民に与えられた猶予はわずか3ヶ月であり、島民たちは慌ただしく引越しの準備を進め、強固だったコミュニティは一瞬で解散となりました。

同年4月20日には最後の住民が島を離れ、完全な無人島となりました。離島からの家具や家電の運搬コストが高額だったため、多くの生活用品や子供のおもちゃなどがそのまま島内に残されました。誰もいなくなった街は、時間が止まったようなゴーストタウンとなり、その後は激しい潮風や波に晒され続けることで風化が進行しました。こうして、かつて世界一の人口密度を誇った活気ある島は、現在の神秘的な姿へと続く「海上の廃墟都市」へと姿を変えたのです。

現在の扱い

軍艦島(端島)は世界遺産に登録され、現在は長崎県を代表する大人気の観光地となっています。

かつては立ち入り禁止の無人島でしたが、2009年に長崎市が島内に安全な見学通路を整備したことで、35年ぶりに一般の人の上陸が解禁されました。さらに2015年には、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としてユネスコの世界文化遺産に登録され、国内外から多くの観光客が訪れる場所へと生まれ変わりました。

現在の観光は安全確保と景観保護のため、個人での自由行動は禁止されています。観光客は民間の「軍艦島上陸クルーズツアー」に事前予約して参加する必要があります。また、島内で立ち入れるのは南側に整備された3つの見学広場とそれらを結ぶ通路のみに制限されており、高層アパートや学校などの廃墟が残る居住エリアへの立ち入りはできません。

なお、島には船を安全に着岸させる防波堤がないため、天候や波の高さに大きく左右されます。年間の平均上陸確率は70%前後にとどまり、天候不良で上陸できない場合は、島の周囲を船で巡る「周遊クルーズ」へと切り替わります。

まとめ

「仕事のためだといえ、島に暮らしたいとおもいますか?」

かつて軍艦島に生きた人々にとって、答えは「イエス」でした。厳しい環境の離島でありながら、そこには近代化を支える誇りと豊かな暮らし、鍵のいらない温かいコミュニティがあったからです。

1890年から始まった約84年間の歴史は、1974年の閉山により突如幕を閉じました。わずか3ヶ月で全員が退去し、一瞬で無人化した島は「海上の廃墟都市」となりましたが、2015年には世界文化遺産に登録され、現在は長崎の人気観光地として蘇っています。

立ち入れるのは一部の通路のみですが、佇む廃墟は、かつてここで紡がれた最先端の営みと人々の記憶を今も静かに伝えています。

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EASTONE

自然をみるのと安らぎます。

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