ぶつかり稽古としての親子関係

親と子の関わりとは、大相撲における「ぶつかり稽古」のようなものではないだろうか。

子供は成長の過程で、ありのままの感情や欲求、時には理不尽な反発を「ぶつける」ことで、自分の存在を試そうとする。それに対して親は、逃げずにその全身を受け止める。子供は親という頑丈な胸を借りて全力でぶつかることで、「どこまで力を出しても自分は安全なのか」「どう関われば相手と対等に向き合えるのか」という人と人との距離感や感情の発散方法を学んでいく。

この「受け止められた」という確信こそが、子供の自己肯定感の根幹となる。自分を受け止めてくれる存在がいるという安全基地があって初めて、子供は他者と深く関わる勇気を持ち、未知の世界や新たな試みへと足を踏み出すことができるのだ。また、この受け止め手不足を補う意味でも、親だけでなく親戚や地域の大人が関わり、多様な胸を貸すことが本来の社会の姿であった。

しかし昨今、この「ぶつかり稽古」が成立しにくい社会になってきている。子供が感情をぶつけようとしても、正面から向き合うことを避け、逃げ回ってしまう親が増えているように見受けられる。衝突を極端に恐れたり、対応の仕方が分からずに距離を置いたりした結果、子供は「適切なぶつかり方」も「人の受け止め方」も学べないまま大人になってしまう。その結果、他者との摩擦を避けるために深く関わることを諦め、社会の中で孤立を深めていくのだ。

ただし、ここで特定の親たちを一方的に責めることはできない。彼ら自身もまた、深刻な被害者である可能性が高いからだ。かつて親や周囲の大人に自分の感情を受け止めてもらった成功体験がないまま成長した人は、いざ自分が親になったとき、子供の感情をどう受け止めればよいのか分からない。自分の引き出しにない行動は取れないため、結果として「逃げる」選択肢を選ばざるを得なくなる。ここに、感情の受け止め手が不在のまま引き継がれる「負の連鎖」が存在する。

この連鎖を断ち切るために必要なのは、親個人を糾弾することではない。親自身が過去に得られなかった「安心感」を社会全体でどう補い、親子ともに受け止めてもらえる環境を作れるかという視点だ。ぶつかり稽古には、受け止める側のゆとりと覚悟が不可欠である。社会全体でその「胸」を用意し直すことこそが、個人の孤立を防ぐ第一歩となるはずだ。

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みき

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