ありがとうという言葉は自分も相手も幸せにしてくれる言葉です。
忙しなく過ごす日々の中で、言葉を惜しむことなく伝える大切さを今一度考えてほしいのです。これから私の体験を交え、他者に対する感謝の大切さを伝えていけたらと思います。
ありがとうという言葉
諸説ありますが「ありがとう」の語源の1つに仏教の『盲亀浮木のたとえ』というものがあります。
仏教では人間に生まれることは「有る」ことが「難しい」、「有り難い」ことだと教えられています。この教えから他人から何かをしてもらえることは「有る」ことが「難しい」、「有り難い」こと、「ありがたいことです」となり、「ありがとう」となったそうです。「有難い」とは「有ることが難しい」ということでめったにないことを言います。
「ありがとう」とは自分と他者の心を尊重し、慈しむ言葉であり、人のまごころが詰まった言葉です。
(引用:https://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2016111050.html)
他者へのリスペクトと感謝が社会を形作る
社会の中で障害を持って生きるのに一番大切なことは感謝だと思います。なぜなら障害を持ちながらも一人の人間として生きられているのは他者からの支援があるからです。障害を持って生きるということは他者の協力がなければとても難しいのです。
しかし支援されるのが当たり前になると、人はそれが日常となり、他者への感謝が遠くなってしまうのも現実です。
しかしながら当たり前のことなど何一つとしてこの世にはないのです。
【他者に感謝しお互いを尊重し合い生きる】ということは、尊くも身近なものであってほしいものです。
感謝を伝える大切さを知ろう
障害を持っている人には支えてくれる支援者がいます。その支援者が障害を持っている人を支えてくれるのは当たり前のことではありません。大事に、大切にしなければならない存在です。
皆さんは話を聞いてくれる支援者に感謝を伝えられているでしょうか?
仕事なんだから話を聞いてくれて当たり前と思っていませんか?話を聞くのが仕事だろうと思っていませんか?
確かに仕事ではあるでしょう。しかしながら親身になって聞いてくれるのは仕事ではなくその人の優しさであったり、思いやりです。その温かな心を粗雑に扱ってしまうのは悲しいことです。因果応報という言葉があるように人に対して行ったことは自分に返ってきます。暖かな心を粗雑に扱えば、自分も粗雑に扱われるのです。
何かしてもらったら感謝を伝えましょう。自分を思ってのことならなおさら感謝を伝えましょう。
支える立場になって気づいた心
なぜ、この記事を書こうと思ったのかというと私が支援者側になる機会があったからです 。その時、「ありがとう」と言われたくてしたことじゃなかったけれど、何も言葉をかけられないことにすごくモヤモヤしました。感謝されたくてやったことではないけど何の反応もないのはすごく寂しくて、自分がしたことは間違いだったのではないかと自分を責めてしまいました。
その時、気づいたのです。私は、支援者の人たちに感謝をきちんと伝えられているのだろうか?と。助けてもらうことに慣れて感謝を伝える努力を怠っていたのではないか?と。
言葉にしなければ伝わらないのです。ニュアンスで汲み取って下さいはありがとうと呼べないのです。
まとめ
人間はたくさんの人と関わって生きています。そこに相手を思いやる気持ちがなければ社会として成り立ちません。
日々、感謝を忘れずに生きていけば優しい世界になると思うのです。
伝えることの大切さを少しでも伝えられたら幸いです。