謎が多い「彼」の話。

ロミオとジュリエットやハムレットなど戯曲を生み出したウィリアム・シェイクスピアですが、
複数人いたのではないか?と議論されています。

何故、複数人説やシェイクスピア別人説が出たのかというと、

1.シェイクスピアの個人史には所々大きな空白部分がある。
2.シェイクスピア自身によって書かれた手紙が存在しない。
3.詳細に書かれたシェイクスピアの遺言書が現存するが、そこには本や戯曲や詩、その他いかなる書き物についても          言及されていない。
4.自分の芸術に関する持論を1つも表していない。
5.署名が6通りもあり、どれ1つとして似た書体ではない。
6.そして、シェイクスピアの人となりについてはほとんど何も知られていない。

などが挙げられます。

彼の生涯

生い立ち
1564年にイングランド王国のストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれ、スニッターフィールド出身の成功した皮手袋商人で、町長に選ばれたこともある市会議員であった父ジョン・シェイクスピアとジェントルマンの娘であり、非常に裕福な家庭環境だったメアリー・アーデン(地主の娘のお嬢様)との間に生まれました。
父はシェイクスピアの生まれたころには裕福であったが、羊毛の闇市場に関わった咎で起訴され、市長職を失いました。いくつかの証拠から、父方、母方の両家ともローマ・カトリックの信者であった可能性が推測されています。


ストラトフォードの中心にあったグラマー・スクール、エドワード6世校に通ったであろうと推定されています。(シェイクスピアが在籍したという確たる証拠はなく、進学してそれ以上の高等教育を受けたかどうかも不明のため)創設に関与したのはローマ・カトリックであり、エドワード6世の時代を大きく遡る15世紀初頭に開校。この学校はラテン語文法や文学について集中学習が行われており、講義の一環として学生たちはラテン演劇の洗礼を受け、実際に演じてみることでラテン語の習熟に役立てたそうです。

結婚後
1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは26歳の女性アン・ハサウェイと結婚しました。(当時では珍しいできちゃった婚です。)
1583年5月26日、ストラトフォードで長女スザンナの洗礼式が行なわれ、1585年には長男ハムネットと、次女ジュディスの双子が生まれ、2月2日に洗礼が施されました。2人の名はシェイクスピアの友人のパン屋、ハムネット・セドラーとその妻ジュディスにちなんでつけられましたが、ハムネットは1596年に夭折し、8月11日に葬儀が行われました。

ロンドンの劇壇に名を現わすまでの数年間に関するその他の記録はほとんど現存していません。双子が生まれた1585年からロバート・グリーンによる言及のある1592年までの7年間は、どこで何をしていたのか、なぜストラトフォードからロンドンへ移ったのかなどといった行状が一切不明となっているため、「失われた年月」 (The Lost Years)と呼ばれる。この間の事情については、「鹿泥棒をして故郷を追われた」「田舎の教師をしていた」「ロンドンの劇場主の所有する馬の世話をしていた」などいくつかの伝説が残っているが、いずれも証拠はなく、これらの伝説はシェイクスピアの死後に広まった噂だそうです。

ロンドンの劇壇進出
1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、演劇の世界に身を置くようになりました。当時は、エリザベス朝演劇の興隆に伴って、劇場や劇団が次々と設立されている最中でした。その中で、シェイクスピアは俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになります。1594年の終わりごろ、シェイクスピアは俳優兼劇作家であると同時に劇団の共同所有者ともなっており、劇団の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなりました。
1601年にスポンサーが起こしたクーデターにより政府の取り調べを受けたり(お咎め無し)、などすったもんだがあったようです。ロンドン在住中にシェイクスピアは大きな経済的成功を収め、ロンドンのブラックフライヤーズの不動産や、ストラトフォードで2番目に大きな邸宅ニュー・プレイスを購入するまでになっていたそうです。

晩年
1613年に故郷ストラトフォードへ引退したと見られています。
シェイクスピアの生涯最後の数週間に起きた事件は、次女ジュディスに関わる醜聞でした。
ジュディスの婚約者であった居酒屋経営者のトマス・クワイニーが地元の教会裁判所で「婚前交渉」の嫌疑で告発されました。マーガレット・ホイーラーという女性が私生児を産み、その父親がクワイニーであると主張してまもなく母子ともども死亡したこの一件でクワイニーの名誉は失墜し、シェイクスピアは自分の遺産のうちジュディスへ渡る分がクワイニーの不実な行為にさらされることのないよう遺言書を修正したそうです。

逝去
1616年4月23日にシェイクスピアは51歳で亡くなりました。死因は腐ったニシンから伝染した感染症であるとされます。誕生日が4月23日であるという伝承が正しいなら、シェイクスピアの命日は誕生日と同じ日ということになります。

作風

人間の普遍的な感情や葛藤を深く掘り下げ、多様な登場人物を魅力的に描き出すことで知られています。彼の作品は、喜劇、悲劇、歴史劇、ロマンス劇など多岐にわたり、その表現力豊かな言葉遣いや、複雑な心理描写、そして時代や文化を超えて共感を呼ぶテーマ設定が特徴です。

主な代表作
  • ロミオとジュリエット
    敵対する家同士で恋に落ちた二人による物語です。
  • ヴェニスの商人
    ヴェネツィアを舞台に、アントーニオという商人が高利貸しのシャイロックからお金を借り、その返済が滞ったことで起こる裁判を中心に展開する物語です。
  • ハムレット
    デンマークの王子が父王の死と叔父による王位簒奪、母の再婚という悲劇に直面し、復讐を誓う物語です。
  • 十二夜
    双子の兄妹が船の難破で離ればなれになり、再会するまでの物語です。
  • 真夏の夜の夢
    結婚行進曲で有名な喜劇です。アテネ郊外の森を舞台に、恋人たちと職人たちが妖精の魔法に翻弄される様子を描いた物語です。
  • ウィンザーの陽気な女房たち
    奥様達がセクハラをする不届きものを成敗する物語です。
シェイクスピア別人説

シェイクスピア自身に関する資料は少なく、手紙や日記、自筆原稿なども残っていないことが挙げられます。また、法律や古典などの知識がなければ書けない作品であるが、学歴からみて不自然であることから、別人が使った筆名ではないかという主張や、「シェイクスピア」というのは一座の劇作家たちが使い回していた筆名ではないかという主張もあるからです。

当然のことながら一般にシェイクスピアの作品はシェイクスピア自身によって書かれたものと認められていますが、懐疑派は「本当の作者」の候補としてフランシス・ベーコンクリストファー・マーロウ第17代オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィアーなどを含む多くの人物の名が挙げられています。

署名が6通り……?

シェイクスピア自身が書いた署名として6種が現存しています。6種の署名が4つの文書に記入されているそうです。
筆跡が異なるため議論されている要因の一つです。

  1. 1612年5月11日付のベロット対マウントジョイ事件の証言録。
  2. 1613年3月10日付けのロンドンのブラックフライアーズで家を購入した際の文書。
  3. 1613年3月11日付けの同じ家の抵当に関する文書。
  4. 1616年3月25日付の最後の遺言書。各ページに1つずつ3種の署名が書かれています。

書かれている署名は次の通りです。

  1. Willm Shakp
  2. William Shaksper
  3. Wm Shakspe
    4-1. William Shakspere
    4-2. Willm Shakspere
    4-3 By me William Shakspeare

1.1612年5月11日付のベロット対マウントジョイ事件の証言録。
Willm Shakp

2.1613年3月10日付けのロンドンのブラックフライアーズで家を購入した際の文書。
William Shaksper

3.1616年3月11日ブラックフライアーズ抵当権 のWm Shakspē

4-1.1817年の遺言書1ページ目 
William Shakspere

4-2.遺言書2ページ目 
Willm Shakspere

4-3.1616年3月25日付の最後の遺言書 
By me William Shakspeare

当時は署名を簡略化して書くのが一般的だったそうです。

遺言書の内容

妻アンは、2番目に良いベッド家具を遺贈
 不仲説などがありますが、「ベッドと家具だけが妻に遺贈されるのは、当時では普通のことだった」とし、
 子供たちが1番いいものを相続し、妻が2番目にいいものを相続するのは伝統的慣習だったからです。

長女スザンナ遺産の大部分を相続

次女ジュディスは、財産を相続
 遺言書を作成中に、ジュディスの婚約者に隠し子が発覚したため、
 遺産のうちジュディスへ渡る分が婚約者の不実な行為にさらされることのないよう修正し、
 弁護士に法的に有効な公文書として書き直させた3ページにわたる遺言書に3カ所に署名しました

財産を相続
友人や同僚少額の金銭や品物を遺贈
自分の墓を暴かないようにという注意書き
 

お墓

シェイクスピアの墓があるのは、イギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォンにある聖トリニティ教会です。この教会は、シェイクスピアの生誕地であり、彼が洗礼を受け、結婚し、そして埋葬された場所です。

彼のお墓には、こう刻まれています。「この墓を守ろうとする者に神の祝福を。 そして、我が骨を動かす者に呪いあれ。」 ……ちなみに、教会の修繕工事の際は、彼のお墓を動かさずに「呪い」を回避したそうです。

レーダーでお墓をスキャン

ドキュメンタリー番組を制作するため、研究者がレーダーでお墓をスキャンした結果、
彼の「頭蓋骨」がないことが分かったそうです。

終わりに

──ウィリアム・シェイクスピア。彼の人物像は謎が多いですが、その部分を含めて魅力的人物なのかもしれませんね……。彼の作品の一つ、「十二夜」の映画についての記事もありますので、お読みいただけますと幸いです。

──それでは別の記事で、お会いできるのを楽しみにしております。

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コロレ

初めまして。コロレと申します。動物と小説や漫画、アニメが大好きです。 アイビスペイントや画像生成AIを使ってイラストを作っています。 よろしくお願いします。

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