前回のお話で色々思い出したことがあって、結構時間が経ったんだなぁと思い直したA.A.です。色んな理由はあったと思いますが、今はお酒類を料理で使うもの以外一切取っていないので、このままでいられるといいなぁと思っております。

ところで最近寝つきがとても悪く、お布団に入るのが22時前後でも寝つけるのは1時以降…という日が増え、日中の眠さと戦う日々です。生活時間の悪化は避けたい、と思うと自ずと入院中の生活を思い出します。前回お知らせしたことですし、今回は入院前・入院中の話をしようと思います。注意事項としましては、私が入院していた時期は『新型コロナウイルス流行期』だったので、一般的な依存症入院とは違う可能性があります。予めご了承ください。

前回私がAUDでも特殊な例なので凡例には向かないと書いたのですが、ずばり『アルコールの味が嫌い』だからです。あの独特の苦みと舌に残る薬品みたいな味が今も昔も嫌いです。ですので、『あの味が飲みたい、欲しい』と思って再度飲酒する事は現在ほぼありません。なんならAUDで飲酒していた頃も、焼酎を鼻をつまんで一定量飲んだ後、甘い飲料で味を上書きするような飲み方でした、いわゆる青汁飲み。
私の入院に至る始点はある日突然起こりました。早朝に強烈なのどの渇きと動悸の発生、そして一切の身動きができなくなりました。生存本能なのか、私は異常を察し母を呼びました。そして水を飲むのですが…飲んですぐにも嘔吐してしまう状態でした。そしてそれが赤褐色、血が混ざってたんですね。母は即座に救急車を呼び、私は病院へ搬送されました。そこで驚きの状態の数々が明らかになったのです。
殆ど食事をせずアルコールを摂取していた為重症低血糖状態に陥っており、搬送直後の血糖値は20mg/dL前後。意識がありましたが、意識があるのが不思議なくらいと看護師さんには言われていたらしいです。※以下の画像は拡大可能です。

率直に言えば慢性的な栄養失調で、初めて搬送された時は人間の体重で39キロくらいまで落ちていました。そして度重なる嘔吐で食道と胃の境目の粘膜が縦に裂ける『マロリー・ワイス症候群』になっていました。精密検査の結果脂肪肝にもなっていた為、救急の病院から紹介をもらい、現在通院している病院へ通院をはじめ、そのまま数カ月で入院、という流れになりました。

依存症病棟への入院となりますので、基本的な生活行動は自分で行う事になります。その最たるものが恐らく洗濯。基本的には三か月の入院となりますので、衣服は患者衣ではなく(病院内で買える患者衣もありますが)私服の事が多かったです。その為洗濯・乾燥機が1回100円(うろ覚え)で置いてありました。
一日の生活サイクルは決まっていて、朝は6時に起床し大体の人はラジオ体操に参加します、第二まで。その後、一定数の患者さんたちは『抗酒剤』を服用します。私は服用したことがないのですが、この抗酒剤というのは一般的な薬品とは一線を画し、アルコールを摂取すると通常時より強い不快感、いわゆる二日酔い症状を引き起こします。何故これの摂取の必要があるかと言うと、患者自身が『アルコールを摂取すると不快になり、摂取しない状態の方が楽である状態』を脳や身体に覚えさせる必要がある為です。更に言えば周囲の人から見て、当該患者がアルコールを摂取した事を視覚的に知る事ができるという点もあります。
しかしこれが厄介で、通常の酒類に反応するのはもちろん、料理酒やみりん、食品に含まれるリキュール、マウスウォッシュ、手指消毒用の消毒液など全てのアルコール用品に反応してしまう事。例えそれが想定外の摂取であっても問答無用で酷い不調に陥る為、入院生活中に提供される食品には一切酒成分は含まれておりませんでした。

では先に書いた時期の話を少し書こうと思います。なんせ新型コロナ流行期でしたので、毎日一日三回の血圧・体温チェックと記録付けがあり、外出も一回に三十分と定められていました。もちろん病院に帰ってきた後は荷物チェックが義務です、何を買ってきたかは確認します。これで一番辛い患者さんたちは喫煙者の人たちですね、院内と周囲のコンビニはとっくに禁煙。少し距離を歩いて灰皿のあるところを探す必要があります、三十分で。なのでルール破りをしてシャワー室で喫煙する人たちもいたようです、許せねぇ。
そして時期的に世間で流行していたのが『ストロング系』の飲料。同室に入院してきた同性の患者さんとお話したことがあるのですが、比較的短期間で一気に依存状態になった患者さんの8割ほどは、このストロング系を愛飲していたと個人的に思います。私はダメでした、炭酸がすごく苦手だったので。
性別で病棟が分かれていたので異性の患者さんと会話する事はほぼなかったのですが、入院患者の殆どは高齢者で何度も依存症病棟に入退院を繰り返している、とお話を伺いました。お話をした方の殆どは『定年後に暇な時間を潰す楽しみがお酒しかなかった』と仰っていました。コロナの流行で色んな物事が出来なくなり、横の繋がりもなくなり、不要不急の外出もできなくなり、閉塞的な時期故の一過性の増加、というのも多かったのかな…と思います。
『誰か』と『何か』のせいではなく、連鎖現象による悪循環
さて、ここまで長々書いてきましたが、半分くらいは患者当人の話ですから…言い訳がましいと思うことも、思う人も必ず居る事でしょう。それくらいの世間的な迷惑をかけてきた部分も、失った信頼もあると今は知覚しています。そしてその『信頼を失う行為をした期間の記憶』を、厄介な事に大抵のAUD患者は失っています、私もそうです、記憶を失う程飲酒していたわけですから。
今の私に出来る事は、身の回りで様々な依存対称によって失調していく人の手を取り、話を聞き、いつか自ら何とかしなくてはと思った時にどう身を振るかを書き記す事くらいです。一番怖いのは患者自身が一切のコミュニティーから切り離されてしまう事、断裂してしまう事です。真面目につらつらと書きましたが、いつか、誰かの目に留まればそれでいいかな、と思っています。
やばい!大長文の大惨事だ!ここまでお読みいただきありがとうございました!
