歩くという行動には自由と意思があります。そんな僕も今日は自由に光景をさがして写真を撮るという意思のもとに歩き、すれ違う景色とともに過ぎゆくときを共有する大事な時間となりました
以前の僕は、なやみ、なげき、そのまま立ちどまり、時はただ流れゆき自我を離れさまよい…未来を悲観していました。しかし時に立ち止まることも必要です。おのれを見つめ、過去の自分と向き合い、すべてをとき放す自由な時間が流れ、支配されることなく心のわだかまりが浄化して湧水となり、徐々にゆっくりとあふれゆき歩きだす勇気という意志が流れゆくからです。
CREATORESですごす時間は僕にとってダムのような居場所です。自分を自由に意思表現できる意場所があるのは大事で、むしろ表現できる居場所がないということは自分の存在価値を失うことにほかならないとおもうのです。このように僕は写真で表現し、言葉で伝えることができて幸せだと思っています。時は永遠じゃなく、過ぎゆき一緒にあゆんでゆくもので、写真は僕にとって時をきりとり表現していく脳の断片を具体化するツールなのです。