こんにちは、ラーメン君です。「障害を持って生きるということ」第9回になります。今回のテーマは、「気持ちによる葛藤」です。
買い物に行くということは生活には欠かせないですね。交通機関を使って目的地へ行き、買い物した分の荷物が増えた状態で、また交通機関に乗り自宅へ戻る。この流れも当たり前のことだと思います。
しかし障害を持っていると、これだけでもいろいろなシチュエーションに遭遇することがあります。障害があると、いろいろな目で見られる、いろいろな見方をされる・・・・・手を貸してほしい、反対に手を貸してほしくない・・・・・そして嫌なこともある・・・・・
ほんの数分の中でもいろいろなことが起こります。
1.席が空いていなくて座れない時に・・・・・
まずは目的地へ向かいます。バスや電車の中で、席が空いていないということがあります。立っている障害のある方を見かけたら、席を譲っていただけたらありがたいという方は多いかもしれません。しかし、譲られると気を遣ってしまうという方や、運動のような気持ちで座らないという方もいらっしゃると思います。
●例えばこのようなシチュエーション
・席があいていない時に、譲っていただけるのであれば、席をそっと立っていただけると、お礼の一言も言いやすいと思います。
・席を譲ってほしいとは思っていたとしても、自分からお願いをする人というのは少ないと思います。バスの運転士さんが優しくアナウンスをしてくれると、席を譲ってくれる方もいると思います。
・席を譲っていただけるのはありがたいことですが、突然身体に触れることや、無理やり引っ張るなどで席に連れていこうとするのは控えたほうが良いと思います。人それぞれ歩くペースなどの違いもあるので、無理に動かされると転倒の恐れもあります。見知らぬ人に身体を触られる、引っ張られるというのは、気持ちの良いことでしょうか?
*あまり気を遣いすぎないで、誰でも気持ちよく座ることができると理想的ですね。
2.車いすに乗っている時に
私は車いすに乗ることもありますが、例えばショッピングモールなどで車いすを借りて買い物をする時に自分で車いすを操作します。その時に大変なことは、人混みの中で車いすではなかなか行きたいところに進むことが難しい場合があります。
その時に車いすを邪魔だと言いたげな雰囲気で見られてしまったり、中には勝手に押してきて「邪魔だよ。」と言ってくる人もいます・・・・
人が乗っている車いすをもののように扱わないでほしいと思います。
手伝っていただけるときには、「お手伝いしますか?」という言葉をいただけると、とてもありがたいですね。
しかし、見ず知らずの人にお手伝いなどをお願いするのは気を遣ってしまうという場合もあるので、お断りした場合には、その場から離れていただけるとありがたいなということもあります。
*バリアフリースタイルより画像引用
https://baria-free.jp/assistive-products/rental-wheelchair
*ショッピングモールでは、入り口などに貸し出し用の車いすが置いてあることがあります。
利用する場合には、お店の車いすなので、丁寧に扱うように心がけたいですね。
●車いすが邪魔と思われてしまう原因について
・車いすはどうしても幅をとってしまうので、車いすを使っている側も気をつけなくてはいけないこともいろいろあります。
人やものにぶつからないというのは基本的なことです。しかし、どうしても通路が狭くなっているところでは、多少はやむを得ないこともありますね・・・・・
・通路が広いからといって、車いすでスピードを出している人もいます。操作に自信があるのかもしれませんが、車いすも勢いよくぶつかったりすれば、事故の原因になりえる「車両」だと思います。
・ショッピングモールで買い物をしていると、店員さんが棚卸し作業をしている場合があります。段ボールなどが置いてある場合もあり、車いすではなおさら通りにくい状況になってしまいます・・・・・
車いすが店員さんや段ボールにぶつかってはいけないと思いながら車いすを操作する必要があります。もちろん通路はたくさんの人が通りますので、車いすが通るのは意外と難しいものです。
動くタイミングをはかるために慎重になっていると、後ろの人から見ると邪魔になってしまっているのかもしれないですが・・・・・
3.杖や車いすなどは身体の一部です。
障害のある方は、杖や車いす、いろいろな道具などを使用して生活をしている方は多いです。それは「身体の一部」のように、日常生活に欠かせないものも多いです。
もの珍しいということで、触られたり、おもちゃのようにされたり、本人が見ていないところで勝手に使われたりといろいろなことがありますが・・・・・
そういうことで壊れてしまったりということも考えられます。中には高額なものもありますので、極力本人以外が安易に触れないほうが良いかもしれません。
障害についてはデリケートな問題です。歩いていたり、バスや電車に乗っていると、興味本位などで触ってきたり、どういう障害で杖や車いすを使っているのかなどと聞いてくる人もいます・・・・・
杖や車いすは身体の一部であり、障害については、なりたくてなっているわけではないので興味本位で聞かれたいという人は基本的にはいないと思いますね・・・・・
4.障害のある方々は、それぞれのやり方で動いています。
障害を持って生きていると、人から「大丈夫ですか?」という言葉をかけられることが多いです。「歩くのが大変そうだから」「荷物が重そうだから」などのいろいろな意味の「大丈夫ですか?」という言葉だと思います。
障害のある方で、特に一人で行動する場合には、動き方や荷物の持ち方などを工夫して、自分のできる範囲を把握していることもあります。あまりに何度も「大丈夫ですか?」という言葉をかけては、その方に失礼になることもあるかもしれません。またそのような言葉が逆にプレッシャーのようなものになってしまうこともあるかもしれません。
心配してくださるという気持ちもありがたいものではありますが、障害のある方でも一人で行動している方はたくさんいらっしゃるので、「大丈夫です。ありがとうございます。」という言葉が返ってきたら、それでいいんだなというように思っていただけると良いかもしれません。
●必要以上に心配することは・・・・・
・障害によって歩くことが大変そうに見えることはあると思います。その中で外出をしている人たちは、それが可能なくらい歩くことができるということなので、大丈夫なのであると言えると思います。
・荷物が重いとしても、大切なものが入っているものを持っていただくというのは、防犯の意味でもなかなかお願いできることではないと思います・・・・・
貴重品などの入っているものもあるかもしれませんので、冷静に考えて、用心することも大切だと思います。
・持ちきれないくらいの買い物をする場合には、知り合いに同行をお願いするなどの対策をする人も多いと思うので、必要以上に心配をする必要はないのだと思います。
5.ウイークポイントについて触れられることは・・・・・
例えば人の容姿についてを例にあげると、顔のことや体型のことなどを安易に言うことは、人を傷つける結果になることもあります。人によって思っていることは違いますが、ネガティブなことを言われて気持ちのよい人というのはいないと思います。
顔や体に消えない傷の跡が残ってしまっている人に対して、そのことを聞くのはあまりよくないと思います。
障害について触れるということは、それと同じようなことであると思っていただきたいのです。
「触れる」というのは、「身体に触れること、言葉によって触れることの両方を意味しています。」
私は今回の記事を作成するにあたり、知人にお願いをして、「第三者が興味本位で障害について触れてくることについてどう思うでしょうか?」ということを聞いてみました。
・例えば、バスや電車などで偶然となりに座った人に、「あなたよりも大変な障害の人はたくさんいるのだから、あなたは恵まれているよ。」と言われてしまったとしたら・・・・・
その人の気持ちは誰にもわかることはできないものだと思います。それを他人が勝手に判断してしまうのは身勝手なことのように私は思いますので、そのような発言は控えています。
障害の有無に限らず、「あなたはこうだ!」と決めつけるのは良くないことかと思います。
言われた相手は良い気持ちにならないと思いますし、トラブルにもなりかねないと思います。
しかし、人である以上、どうしても配慮のない言葉や行動をしてしまうこともあるかもしれません。
一人ひとりが、自分の言動に注意し、発言の前に相手を傷つけてしまわないかを考えられるような社会であってほしいと願うばかりです。
障害を持っていても、自分で行動ができることに満足している人もいると思います。しかし、行動することにも苦労があることも事実だと思います。
人それぞれの想いというものを考えずに発言をされるとモヤモヤした気持ちになりますね。
「相手と同じ経験ができなくても、対話をして、その人のことを知って、その人の想いに寄り添うこと」が大切だと思います。
人間は、実際に自分がその状態にならないとわからないものだと思います。例えば杖を使って歩けるからといって、恵まれているのか?それは実際のところ、本人にしかわからないことを、勝手に自分の解釈や想像で、人の心がわかったような言い方はあってはならないと思います。
悲しい目にあった人も見た時に、大変そうだなと思うことはありますが、その人の悲しみがどれだけのものかというのは、はかれないものだと思います。言葉の重みを感じてほしいと思います。
なんだか複雑な気持ちになりそうですね。その状況を体験していない第三者から、比較や評価をされてしまうことは、気持ちの良いものではないなと感じることがあります。
なぜこのようなことを言う人がいるのか?ということを考えてみました。
障害を持っていても、「ある程度の行動ができること」が生活の中での満足感や辛さ、いろいろなことを決めていると思われているのかもしれません。
人と会う時に、その人の外見や特徴などに縛られすぎないように、目の前の人そのものに関心を向けて理解していきたいと思います。
ご協力を いただいた方々、貴重なご意見をありがとうございました。それぞれの意見の中で、とても良い言葉をいただけたと思っています。共通して言えることは、「相手の気持ちを考える。」というところだと思います。
障害の有無に関わらず、人には言われたくないことは必ずあると思います。特に状況や関係性なども関わってくると思いますが、人のウイークポイントと考えられる部分を勝手な憶測で発言することは、人を傷つけることに繋がる可能性が高まってくると思います。
6.まとめ
今回の記事は私なりに、外出時に遭遇するシチュエーションから、その時の気持ちの葛藤を書いていきました。
・障害を持っていることで、大変そうに思われることもあり、ありがたいという気持ちと、必要以上に心配しないでほしいという気持ちがあります。
・障害についてはデリケートな問題です。その人にしかわからないこともありますので、第三者に安易に触れられたくはないなという気持ちがあります・・・・・
私も障害者の立場として、障害のある方に出会った時には、障害については触れないようにしています。
・障害のある方はそれぞれのやり方で動いています。荷物は持てる範囲内で持っていたり、助けが必要な場合には、知り合いなどに同行をお願いしたり、できる範囲で工夫をしながら動いています。
今回の記事を読んでいただいた方々に、私が感じていただきたいことは、この3つです。
「大変そうだから手を貸さなければいけない」気持ちは、ありがたいことですが、「見守り」という気持ちが広まってくれたらいいなと思っています。
例えば私も外出をしている時に、障害のある人を見かけることがあり、その人が何かをするのに少し大変そうにしている時に、自分のできる範囲のことであれば、手を貸したいなと思うことがあります。
その時にはなるべく相手に気が付かれないように見守り、どうしても手を貸す必要がありそうな時には声をかけて、必要がないようであれば、静かにその場から離れるようにしています。
障害があっても、その人のやり方で、自分のペースでいろいろなことをやっているんだろうなと思っていただければと思います。