カルチャースクール
今回は専門学校時代についてお話ししていきます。
専門学校と言いましたが、厳密には違います。認可外の学校で扱い的にはカルチャースクールになります。
私は高校3年生になると同時にそのカルチャースクールに通うようになりました。なんで同時?と思われると思うので説明します。私が通っていた通信制の高校の系列にカルチャースクールがあり、高校と併用可能ということで高校3年生とカルチャースクール1年生が同時期だったと言う話です。
カルチャースクールでは声優について学んでいました。基本的な発声のやり方からアフレコまで。なかにはダンスと言うものもありました。
ですが、カルチャースクールに通う中で精神的な異変を感じます。直球にいうと不登校の時と似たような症状が出始めたのです。この異変に気づいたとき、母親に相談したのですが涙が溢れて止まりませんでした。また同じ道をたどるのか、と。それから私は精神科に通院するようになりました。以前にも通っていたことがあったのですが勝手に通院をやめてしまって、その以前通っていたところに通院を再開しました。今でも月1で通院しています。
カルチャースクールは私にとってはハードワークで、校舎とスタジオを行き来しなくてはならないこともあったので体力的にもきつかったです。
1年生の時最後に発表会のような物があったのですがそのころはまた不登校の状態になっていて、結局発表会には出ることが出来ませんでした。単位も実は危うかったようで、後で聞かされたのですが母が当時の担当の先生と話し合いをしてくれて進級出来たようでした。
2年生の時も休みがちではありましたが、ぼちぼち通えていました。特にアフレコの授業には積極的に参加していました。2年生の時には卒業発表会がありその稽古もしていました。
しかし問題発生。フローリングの床に靴下で立ち稽古をしていたのですが、足首に異変を感じ整形外科へ。右足首が疲労骨折していました。そこは前に捻挫したところでもありサポーターをつけたりと気を付けていたのですが、なってしまいました。それからしばらくは私だけ椅子に座って稽古に参加。発表会前には完治していました。
やっていたお芝居は特徴的というか、私の役が人間ではなく人間の内部機関のような役でした。本当に説明が難しい役でした。
発表会は2日間にわたって行われました。1日目はセリフの順番がごっちゃになりとっさに言い方を変え、2日目は冒頭で少しセリフを飛ばすと言う結果になりましたが何とか乗り切ることが出来ました。親と妹が1日目に来てくれてうれしいような、恥ずかしいような。そんなこんなで発表会は幕を閉じたのでした。
それからはオーディションに向けての準備が始まりました。私たちが目指していたのは声優、俳優になること。養成所へのオーディションを受け、合格するのが最終目標でした。私は集団でのドラフトオーディションと事務所単体のオーディションを受けました。ドラフトオーディションは残念な結果に終わりましたが、とある事務所に受かり養成所所属となりました。
そんな感じでカルチャースクール時代は幕を閉じたのでした。

当時のアフレコしている自分をイメージして描きました。
次は養成所時代についてお話ししたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。