私はカルチャースクールを経て、とある声優事務所の養成所に所属することになりました。
それからは週末に仙台と東京(新宿)を高速バス、深夜バスで往復する日々。
カルチャースクール時代の同級生は東京に住む人が多い中、私は実家に住み続けることを選びました。
養成所では滑舌練習や演劇、現役の声優さんからお話を聞くなどをしていました。
最初は他己紹介というものをしました。他己紹介とは自分のことではなく別の人のことをみんなに紹介するというものです。事前に相手と話し合いをして情報を仕入れるのですが、テンパって全然相手の情報を聞けず、少ない情報でひやひやしながら他己紹介をした記憶があります。
演劇では役が固定ではなく、その時立候補した人が演じるという方式でした。自分がセリフを全然覚えていなくて迷惑をかけてしまうこともありました。現役の声優さんにお話を聞くときには質問も可能で、当時悩んでいたことを質問したりしました。
ですが、養成所に入ったことによるバスでの往復による出費、そして年金。その二つに私は悩まされていました。貯金がどんどん減っていくのです。今考えると年金に関して言えば控除を受ければ良かったのですけど、当時の私には知識がなく真面目に全額払い続けていました。
さすがに収入なしではきついと思いアルバイトを始めようと思いました。始めに有名チェーン店での接客業。とんでもないミスをすることもありましたが、シフトも融通が利くし、肉体的につらいわけでもないし、良いアルバイトでした。ですが、私は3週間程度でやめてしまいます。やめた理由は特にありません。なんとなくでやめました。
次にゲームデバッグの業務委託。ゲームデバッグとは発売前のゲームの動作確認やバグが発生しないか確認するお仕事です。1か月は続けられたのですが、デバッグするゲームタイトルが変わったことでチームの人も変わって関わる人も変わって、それに慣れなくてやめてしまいました。
養成所はと言うとセリフを覚える気力がなくミス続き。みんなしっかり覚えてるのに、しっかり自主練もしてるだろうに。私は養成所に受かったことに満足して、自分の家で練習するのが恥ずかしいからと家で練習もせずに。
今思い出したら、すごくもったいないことをしたなと思います。せっかくチャンスを手にしていたのに、それをふいにして。
結局養成所に、実家と養成所を週1で行き来する生活に耐え切れず行くのをやめてしまいました。
その後、別の養成所に行きました。ちょうどコロナ禍でオンラインでのレッスンでした。そこでも演劇をしました。LINE通話でみんなと練習したりしてました。でも、やめてしまいました。
今回は養成所時代についてお話ししました。

養成所に行く日の夜行バスをイメージして描きました。
ご清聴ありがとうございました。