サトウキビ(砂糖黍) 正式な和名(甘蔗「かんしょ」)

花言葉

サトウキビのサトウキビの花言葉は「平和」です。沖縄では、サトウキビの花が咲く時期が冬になります。

ススキのような銀色の花穂(かほ)が畑一面に広がる様子が冬の風物詩となっています。

サトウキビの花言葉は、沖縄の復興や平和への祈りを象徴しているとも言われているのです。

詳細
・花言葉
サトウキビの花言葉は「平和」です。
・開花時期
サトウキビの花は12月~2月にかけて咲きます。
・沖縄の風景
沖縄では、冬になるとサトウキビ畑一面に花が咲き、その風景が冬の風物詩として親しまれています。
・平和への祈り
サトウキビの花言葉「平和」は、沖縄の歴史や復興と結びつけられ、平和への願いが込められているとも言われています。

サトウキビの方言

サトウキビは沖縄方言で「ウージ」と呼ばれています。

地域によっては「ウギ」、「ウーギ」、「ウジイ」、「トーウギ」、「フギ」、「トーギ」、「ウーニ」、「キィビィ」、「グイ」、「トーキビ」、「フーギ」など、様々な呼び名があるのです。

詳細
・沖縄本島
一般的には「ウージ」と呼ばれます。例えば、那覇では「うーじ」と表記されています。
・宮古島
「ぶーず」と言う呼び名があります。
・石垣島
「しっちゃ」と呼ばれることがあります。
・奄美大島
「フギ」、「トーギ」などと呼ばれることがあります。
・喜界島
「ぐい」と呼ばれることがあります。
・与論島
「ウジイ」、「トーギ」、「フーギ」などと呼ばれることがあります。

まとめ

これらの呼び名は、サトウキビが沖縄や奄美地方で古くから栽培され、生活に密着した作物であった為、地域ごとに異なる呼び名が生まれたと考えらました。

歴史
サトウキビの歴史は古く、紀元前8000年頃にはニューギニア島で栽培が始まりました。
その後、インドや東南アジアに伝わり、甘味料や薬用として利用されていました。
日本には、奈良時代に鑑真(がんじん)によって伝えられました。
沖縄や奄美大島で栽培が始まりました。

主な出来事

・紀元前8000年頃
ニューギニア島で栽培が始まりました。
・紀元前2000年頃
インドで甘味料や薬用として利用されていました。
・5世紀頃
中国で沙糖(サトウキビを煮詰めて乾燥させたもの)が作られていました。
・奈良時代
鑑真が日本にサトウキビを伝えたのです。
・17世紀
沖縄や奄美大島で栽培が本格化し、黒糖が始まりました。
・18世紀
薩摩藩が奄美のサトウキビ栽培を管理し、砂糖を重要な収入源としたのです。
・明治時代
輸入砂糖の増加により、国内のサトウキビ農家は苦境に立たされたのです。
・第二次世界大戦中・後
砂糖の輸入制限により、国内のサトウキビ生産が見直されたのです。

栽培と利用

栽培
現在では、世界約80カ国で栽培されており、特にブラジル、インド、中国などが主要な生産国です。

利用

サトウキビは、砂糖の原料となるだけでなく、搾(しぼ)りかすや糖蜜(とうみつ)なども利用されています。

沖縄
沖縄では、黒砂糖の生産が盛んで、サトウキビは重要な産業となっています。

その他

搾りかすは、バイオエターノールの原料や家畜の餌(えさ)、製糖工場の燃料などに利用されています。

香川
香川県では、和三盆の原料としてサトウキビが栽培されています。

サトウキビはなぜ有名なのか

沖縄県でサトウキビ栽培が盛んなのは、台風などの自然環境に強いのと、沖縄の気候に適しているためです。

特に、台風の多い沖縄では、強風や水不足に強いサトウキビが基幹作物として重要な役割を果たしているのです。

詳細
台風に強い
サトウキビは、台風で倒れても比較的短期間で起き上がり、再び成長を続けるため、台風常襲地の沖縄に適した作物です。
気候への適応
温暖な気候を好むサトウキビは、沖縄の気候によって、農家の約7割が栽培をしています。
基幹作物
サトウキビは、強風や水不足に対して大変強い作物です。そのため、台風や干ばつなどの厳しい自然環境にある鹿児島県南西諸島及び沖縄県においては、欠(か)かすことのできない基幹作物であり、農家の約7割の方がサトウキビを栽培しているのです。

鑑真(がんじん)

鑑真とは、奈良時代に日本に渡来し、律宗を広めた中国の僧侶のことです。

聖武天皇の要請を受けて来日し、東大寺に日本初の戒壇(かいだん)を設け、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建しました。

渡来の際には、数々の困難を乗り越え、失明しながらも日本に仏教の教えを伝えたのです。

来日と活動
鑑真は、中国の唐の時代に生まれ、日本からの招請(しょうせい)を受けて来日しました。
日本での活動
東大寺に戒壇を設け、多くの僧に授戒(じゅかい)を行いました。また、唐招提寺を創建し、日本の仏教の発展に大きく貢献しました。
困難な渡航
来日までの道のりは険しく、5度の渡航失敗し、失明と言う苦難を経験しました。
戒律
仏教徒、特に僧侶が守るべき規範となる規則のことです。
仏教の教えを実践するための行動指針であり、僧侶の生活態度や言動、修行の方法などが定められていました。

功績

律宗の開祖

日本の律宗の開祖として、仏教の戒律を体系的に教え、仏教の発展に貢献しました。

文化交流
仏教だけでなく、唐の文化を日本に伝え、日本の文化に大きな影響を与えました。

不屈の精神

困難に屈せず、仏教を伝えるために尽力した鑑真の姿は、多くの人々に感銘を与えていました。

文化の伝来
鑑真は、東大寺に日本最初の戒壇を設け、聖武天皇(しょうむてんのう)を始めとする多くの人々に戒律を授けました。
これにより、正式な僧侶となるための儀式が確立され、仏教の組織化が進み始めました。

社会貢献

鑑真は、悲田院(ひでいん)を設立し、貧しい人々や孤児を救済するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいました。

まとめ
鑑真の功績は、日本の仏教化を豊かにし、社会全体に大きな影響を与えていたのです。

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