花言葉
サツマイモの花言葉は、「乙女の純情」と「幸運」になります。
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乙女の純情
サツマイモの花が朝顔に似ていることから、朝顔の花言葉「はかない恋」や「愛情」の影響を受けて、この花言葉が付けられました。
幸運
サツマイモの花は日本では珍しく、開花条件が揃わないと咲かないため、花を見ることができたら幸運だそうです。
由来
「幸運」と言う花言葉は、サツマイモは寒さに弱く本州で栽培すると、めったに花はさかないため、花が咲くと幸運が訪れると言われていたことが由来だそうです。
象徴
強い生命力と繁栄
サツマイモは瘦(や)せた土地でも根を張り、たくましく育つ生命力の強い作物となっています。
このことから「どんな困難な状況でも根を張り成長していけるように」と言う願いが込められた縁起物として考えられています。
サツマイモはなぜサツマイモと呼ばれているのか?
サツマイモは、かつて「琉球芋や唐芋」と呼ばれていました。
江戸時代に薩摩藩(現在の鹿児島県)から全国に広まったことから、「薩摩芋」、つまり、「サツマイモ」と呼ばれるようになりました。
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伝来
サツマイモは、17世紀頃に中国から琉球(沖縄)を経て薩摩(鹿児島)に伝わったのです。
普及
江戸時代には、青木昆陽などの尽力により、救荒作物として全国に広がっていったのです。
名前の由来
当時の薩摩藩からやってきた芋であることから、「薩摩芋」が転じて「サツマイモ」と呼ばれるようになりました。
その他
地域によっては、「唐芋(からいも)」や「琉球芋」とも呼ばれています。
歴史
サツマイモは、メキシコを中心とする熱帯アメリカが原産で、日本には約400年前に琉球(沖縄)を経て薩摩(鹿児島)に伝わりました。
その後、江戸時代に飢饉(ききん)を救う作物として全国に広まったのです。
詳細
1、原産地と伝来
・サツマイモの原産地は、メキシコを中心とする熱帯アメリカです。
・日本への伝来は、17世紀初頭、中国から琉球王国に伝わり、その後薩摩藩に伝わったとされているのです。
・琉球から薩摩への伝来には、いくつかの説がありますが、一般的には、1609年以降の薩摩藩による琉球支配に伴い、薩摩に伝わったとされています。
2、薩摩から全国へ
・江戸時代、享保(きょうほ)の大飢饉や天明の大飢饉などの飢饉が起こり、食糧不足が深刻化しました。
・薩摩で栽培されていたサツマイモが、飢饉を救う作物として注目されました。
・1732年、将軍・徳川吉宗は、蘭学者・青木昆陽も命じ、薩摩から江戸に種芋を取り寄せ、小石川御薬園(おやくえん)などで試作させました。
・これにより、関東地方を中心に、サツマイモの栽培が全国に広まっていきました。
3、サツマイモの名前
・薩摩地方に伝わったことから「薩摩芋」と呼ばれるようになっていったのです。
・また、中国から伝わったことから「唐芋(からいも)」とも呼ばれ、卸市場などでは「甘藷(かんしょ)」とも呼ばれているのです。
現代
現代では、品種改良が進み、焼き芋ブームが到来するなど、再び注目を集めたのです。
飢饉とは❓
飢饉とは、農作物の不作やその他の要因により、食料が著(いちじる)しく不足し、多くの人々が飢餓(きが)状態に陥り、餓死者や病死者が出る社会的災害です。
その原因は、日照りや長雨などの気候変動、病害虫の発生、火山噴火、そして戦争(紛争)など、自然災害や人為的な要因が複合的に作用することが多いのです。
飢饉の主な原因
自然災害
干ばつ、冷害、日照り、長雨、洪水、病害虫の異常発生、火山噴火などです。
紛争(戦争)
戦乱による農業生産活動の停滞や食料供給の途絶も、飢饉の大きな原因となっています。
環境破壊
人為的な環境の変化も、飢饉を引き起こす要因となります。
飢饉の特徴
広範囲な飢餓状態
特定の地域や集落で食糧が不足し、多くの住民が空腹に苦しんだからです。
多数の死者
飢餓による餓死や、栄養不足が原因で増加する病死者が出ていたからです。
緊急支援の必要性
飢饉が発生すると、食料の緊急支援が必要となります。
飢饉の現代における状況
かつての飢饉は自然災害が主な原因だったが、近年では紛争が最大の要因となっています。
一方で、国際的な人道援助の広がりや、輸送網の発達、食糧生産技術の向上などにより、飢饉の発生は減少傾向にあります。