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こんにちは、Heinzです。
今回は「言葉か物か」をテーマに記事を書いていこうと思います。
別段重い話ではないので、気軽に読んでいただければ。
まず、記事を書くにあたって取材雑談に協力してくれた友人YとK(敬称略)に感謝を。
Heinzは、人に贈り物をするのが好きです。
誕生日等はもちろんの事、気の向いた時に何となく贈ったりするのが、ある意味趣味と言いますかなんと言いますか。
ですが、ふと、こちらは楽しんでいるけれど相手はどうなのだろう?と思うことがありました。
返しきれないから貰っても困る、という方も中にはいたりして。
そういう人は、言葉で十分、とよく言うのですが……
物と言葉、どちらが信用できるのだろう。
という考えに至り、この記事を書いているわけです。
Heinzは、基本的に友人知人に嘘はつきません。
隠し事はしますが。
ですが、相手にとって自分の言葉はどれほど信頼に値するのだろう、と思うと、やはり言葉より物(行動)な気がしてしまいます。
「好き」だとか「大事にしている」とか「楽しかった、また会おうね」とか。
表面上ではいくらでも言えるんです。
それは嘘をついているとか、そういう訳ではないにしても、その場を円滑に、穏やかにやり過ごすための手段でもあったりする訳でして。
嘘ではないけれど、本心ともちょっと違うかなあ。
という事はままあると思います。
そう考えると、言葉だけってちょっと信頼性に欠けるかなあ…
特に私のように卑屈で疑り深い性格だとなおのこと。
「今度会いたいね」とか「日程があえば遊びたいね」とか、6割方実現しないだろうなと思っています。
だからと言って相手を嫌いになったりはしませんし、本心でなくても気を遣ってくれているのだろうなと有り難いです。
特別期待もしていないので、がっかりすることもないという感じなのですが。
人を信じるのって難しいですね。
言葉に説得力や信頼をもたせるにはどうしたらいいのか。
それは、多分有言実行なのだと思います。
口だけでやらない人を信じるのは難しいですが、行動を示してくれる人のことは信頼できます。
自分が発した言葉に責任をもつこと。
それが、最終的には、相手に自分の言葉を信頼してもらえる事なんだろうなあ。
まあ、それはそれとして、贈り物は趣味なのでこれからも続けるわけですが(笑)
だって、友人に喜んでもらえるのは嬉しいですしね。
余談ですが、取材した友人YとKは
Y氏
「返しきれないから、あんまり貰ってもこまる」
K氏
「贈り物は、自分の事を考えて選んでくれたんだなと、感じるので嬉しい」
との事で。
本当にそれぞれだなあと思いました。
押し付けにならないように、できる限り相手の事を考えたいですね。
─Heinz