頑張ったり、我慢したり、信用することは偉くない。

私は頑張るという言葉が嫌いだ、別に頑張るのが嫌なんじゃない。
「頑張ります」とか「頑張ってね」とか安易に言う人が嫌いだ。
頑張るのは当たり前のことだ、人間生きていれば頑張らなきゃいけない時は有るだろう。

更に良い歳をした大人が「私だって頑張ってるのに!」と言ったりする。


「私はこんなに頑張っているのに、あなたは私の頑張りを評価や理解をしないのか!」と言う思考だから、他人に文句を言えるのだろうが、そう言う人こそ他人の頑張りを見ていない、自分勝手な人だ。

世の中の人も、みんな頑張っているのだ。自分だけが頑張ってると思っているのだろうか?

それは、まるで子供の言い訳だ。自分の事しか考えていない。

昔アルバイト先で私より年上の人が「雪が降ったから遅刻しました」と言っていて「おまえの家だけ雪が降ったのか!」と怒られていた。
天気予報で雪が降るのは、わかっていたから他の人は皆、普段より早めに出勤して遅刻しなかったのだ。


ちなみに被災者に言ってはいけない言葉が「頑張ってね」とか「頑張ってください」だそうだ。
被災地の人は酷い目に遭って既に相当頑張っているだろう。
部外者が「頑張ってください」なんて軽々しく言って良い訳がない。


個人的には時と場合によって言葉を選んで「力になれることが有れば言ってください」とか「応援してます」で代用すれば良いかと思う。

以前、新型コロナウイルスで職場が倒産してしまい、お金に困ってる見知らぬ人に話しかけられた際、別れ際に私は「じゃあ、お元気で」と言ったら、その人は頭を下げて「ありがとうございます」と言った反応だった。

私は困っている人に「頑張ってください」なんて、とても言えない。困ってる人は既に頑張ったり我慢しているのだから。

更に頑張りすぎて心や身体を痛めてる人に対して「頑張ってね」は最悪だ。
これ以上頑張ったら悪化してしまうではないか。むしろ「そんなに頑張らなくても良いんじゃない?あなたが頑張ってるのは皆知ってるよ」と言った方が良いのではないか。


余談だが、そんな私に対して「あなたは努力すれば報われるって言ってました!」と言い張る人が居た。
私が言うわけがない。もちろん時系列順に事実確認をしたら言っていなかった。その人が勝手に勘違いして、そう思っていただけだった。

例えば天災で、たくさんの学生や社会人が亡くなったりしているのだ。
家族のために頑張って建てた家が津波で流されたり、地震で倒壊したり、彼らは努力してなかったから報われなかったのだろうか?そんなわけ無いだろう。


数年前にも大学入試を控えた学生さんが飲酒運転の車に轢かれて亡くなった報道が有った。その学生さんは努力してなかったのだろうか?

ちなみに世界的に有名なサッカー選手は「努力したから報われるんじゃない。報われるまで努力するんだ。」と言ったそうだ。名言だと思う。

我慢も同じだ、みんな我慢してるんだ。頑張ったり、努力したり、我慢するのは、当たり前のことだ。それを免罪符の様に使うのは感心しない。
むしろ「みんな頑張ったり、努力したり、我慢してるんだ」と他者に敬意を払うべきだ。

そして信用と言う言葉も、好きではない。人を信用するということは実態としては証拠や根拠も実績ないのに「◯◯さんのことは信用している」と、勝手に思うことが実態の様に思う。

そして自分の認識と違うと「あなたのこと信用してたのに!」「そんな人だと思いませんでした!」と文句を言われても「あなたが勝手に、そう思っていただけでしょう?」と言う感想しか出てこない。

「傷ついた」と言われても「だから何?」だ。
具体的に、事実として、こういう事を言われて、このような理由で「私は傷付けられた」なら私に加害性が有るが、その人が勝手に傷ついただけなら私に加害性はない。

言われたところで、何もしようがない。私に非が無いのだから当然、謝罪(自身の非を認めること)も出来ない。

頑張る、我慢、努力、信用してた、それを自身を正当化するための口実に使うのは感心しない。
それらを美徳のように捉えるのではなく、頑張るべき時に頑張る。我慢するべきに我慢する。それで良いのではないか。

具体的な事例として私に対して「ビールが苦手なんですが、どうしたら良いですか?」と相談してきた人が居る。
ビールが飲めるということは成人している年齢だろう。


私は「今の時代、アルハラとかパワハラとかハラスメントの問題も有るし、お酒なんか無理に飲むものじゃない。
雰囲気を壊したくないなら乾杯だけして、ビールが好きな人に静かに渡すとか、口つけるくらいで残せば良いんじゃないかな?」と返答したら「わかりました!頑張って全部飲みます!」と言われた。

時が止まると言うか「あなた話聞いてた?」となった。
その人の中では「頑張って嫌々ビールを飲む私は偉い!正しい!」と固定概念が有り、私からは「頑張って偉いね」と言われたかったのだろう。話にならなかった。

ダイエットも同じだ「人間は、頑張ったり、我慢するから失敗したり挫折するんだ。だから、いかに頑張らない、我慢しないで太らない、痩せる選択をすれば良い。そうすれば一生ダイエットから解放される」と私は語る。


しかし、そういった話をしても「頑張って我慢して何キロ痩せました!」と報告してくる人が多い。
『頑張ってる自分を褒めてほしいのだろう』

何故、こんなにも頑張ったり我慢することが好きな人が多いのだろう?
それよりも結果や成果を出したほうが良いだろう。

「良く頑張りました」「もう少し頑張りましょう」と評価されるのは小学生までだ。

中学生になったら結果を求められる。「頑張って我慢して志望校は全部落ちました」より「別に頑張ったり我慢してないけど志望校に全部受かったから偏差値の高い高校に進学しました」の方が結果を出している。

仕事なら、なおさらだ。大事なのは利益であり、頑張ったり我慢したかは関係ない。
会社に損害を与えておいて「私だって頑張ったし我慢したのに!」と言われても知ったことではない。


そんな人は例えば自分が通販でお金を払って買った物を、宅配便の人が落として壊して「私だって頑張ったのに!」と言われて納得するのだろうか?


車をぶつけられて破損して、その相手が「私だって頑張って我慢したのに!」と言ったら納得するのだろうか?

安易に「頑張った、我慢した、信用していた」を、口実にする人達は嫌いだ。
自分勝手そのもので幼稚だ。

「私だって、こんなに頑張ってるのに!」そんな言葉は使わないほうが良いだろう。
頑張ったり我慢するのは当たり前、結果や成果を出すべきだ。

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