私が好きな歌手(第三編)

世の中の不条理に抗い続けた

反骨の女性シンガー

アイルランド Sinéad O’Connor

      (シネイド・オコナー)

ライナス

「私はアイルランド」

アイルランド人を代表して

音楽活動を展開する

 こうして彼女は単なる女性シンガーという存在ではなく、社会に存在するあらゆる不条理と闘う存在となっていきましたが、そのような状況でも自分の故郷であるアイルランドのことはずっと思い続けていました。

「私はアイルランドだ。」

と語ったエピソードも残っており、自分自身のアイデンティティーをアイルランドにちゃんと残していたことを象徴しています。 

 例えば、1994年に発売された「Famine」という曲では、1845年頃から1849年頃にアイルランドを襲った「ジャガイモ飢饉」についてのことをラップ形式で歌っております。

Sinead O’Connor, Famine

 他にも、1995年にザ・チーフタンズとのコラボによって、アイルランドの伝統的な反英闘争歌である「Foggy Dew」を歌っています。

The Foggy Dew – Sinéad O’Connor & The Chieftains, 1995

 また、アイルランドの伝統的な民謡である「Danny Boy」も歌っており、彼女のアイルランドに対しての一貫した姿勢が窺えます。

Danny Boy – Sinéad O’Connor, 1993

 また、72年に北アイルランドで起こった反英闘争と軍の虐殺が行われた「血の日曜日事件」に対しての鎮魂歌も歌っています。

Sinead O’Connor – This is a Rebel Song

 その彼女の想いが結実した結果が、2002年に発売されたアルバムの 「Sean-Nós Nua」と言えると思います。タイトル名はアイルランド語で「新しい古いスタイル」という意味で、これまで歌い継がれてきたアイルランドの「Sean-nós」を彼女やこの企画に参加した音楽関係者によって様々にアレンジした一枚となっております。このように彼女はただ単なる反発心だけでなく、歌や音楽に関する高い知見を持ち合わせながら、時代状況を見据えてそれをどう伝えていくのか、という事に関してもしっかりとした見識を持っていたことが伝わる一枚です。

Sinéad O’Connor – Sean-Nós Nua – 2002 full album

・筆者おすすめの曲 「molly malone」

sinead o’connor – molly malone [from sean nos nua 2002] [kieransirishmusicandsurvival

・「Peggy Gordon」

Sinead O’Connor – Peggy Gordon

・「oro se do bheatha bhaile」

sinead o’connor – oro se do bheatha bhaile [from sean nos nua 2002] kieransirishmusicandsurvival

・「Paddy’s Lament」

Paddy’s Lament – Sinéad O’Connor, 2002 

「反逆のカリスマ」という「偶像」が

「現実」、「等身大の自分」との

  乖離を生じ始め、次第に

  自身のメンタルを蝕み始める

 こうして彼女は自身の人気を不動の地位に高めていったのですが、それとは裏腹に彼女と彼女を取り巻く環境は次第に悪化の一途をたどっていきました。

 先ずはメジャーのレコード会社からの契約を軒並み打ち切られたこと。これは前述したように彼女が写真破りを行ったことがきっかけで大手のレコード会社が彼女に関して、

「何をしでかすのかわからない危険な人物」

と見なされてしまった事によって、大手のレコード会社から敬遠され、彼女は事実上インディーズのレコード会社での楽曲の制作・発表を余儀なくされたのです。

 次は彼女自身の周辺の環境が悪化しました。これも前述したように、彼女は生涯で四度の結婚と離婚をしており、子供たちはいずれも父親違い(シェインに関してはドーナル・ラニーとの婚外子)といった事もあり、彼女を支える環境が整わなくなってしまったことも大きな要因でした。

 ですが、何よりも、彼女自身が心身を悪化させてしまいました。彼女は医師から双極性障害PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受けており、後に彼女自身からそれを公表しましたが、夫や子供たちの前でも癇癪が抑えられず、物を壊したりするなどの悪態に走り、その行為を自分自身で後悔し、苦悩するといった悪循環に陥っていました。

 子供たちとの関係も、結婚と離婚の繰り返しによって変わる父親と、

理想の母親像が分からず、また「家族」という共同体に幼少期の人生を狂わされた彼女には、「子育て」という行為や行動そのものが、過去のトラウマを想起させるものだったと筆者は感じています。恐らくその苦痛と苦悩は、常人には理解しがたいものだったでしょう。

娘(長女のロイジン・ウォーターズ)と共演するSinéad。

終始和やかな雰囲気で対応している。

  加えて、前述のようにライブで教皇の写真を引き裂くというパフォーマンスを行ったことによって(この頃からカトリック教徒の児童虐待などの様々な問題が明るみになっていきましたが、それはまだ氷山の一角にすぎず、多くのカトリック教徒は彼女のことを蛇蝎のごとくに嫌悪していました。)、キリスト教徒の多数派を占めるカトリック教徒に嫌悪され、ライブ活動を含めた音楽活動に関して出演拒否や制限をかけられるなど有象無象の圧力を受けて、次第に活動が八方塞がりになっていく状況で、彼女は1999年にキリスト教系の新興宗教団体である独立カトリック教会のラテン・トリエント教会の「女性司祭」となって人々を驚かせました。

 この行動自体は既存のカトリック教団には決別するという彼女の決意と、それでも宗教に心の拠り所を求めていたが故の行動だと筆者は見ていますが、世間がそう見なすはずもなく、彼女の想いとは裏腹に公私共に孤立を深めることになっていくのでした。

歌手活動の引退と撤回。

再婚後即離婚、

ニューカマーとの舌戦、

自殺未遂騒動と入院、

家族との絶縁…。

 2003年に彼女は突然ともいえる歌手活動からの「引退宣言」をします。そして「最後の一枚」と銘打たれたアルバム「She Who Dwells by Independent」[注14]の作成に取り掛かります。

Sinéad O’Connor – She Who Dwells in the Secret Place of the Most High Shall… (DISC ONE)

 このアルバムは2枚組で、これまでの彼女の代表曲や新しいカバー曲、デモ、未発表曲などが納められたもので、累計10万枚以上のセールスを記録しました。それを機に彼女は一時的に歌手活動を休業します。

 恐らくはメジャーレーベルとの確執、カトリック教徒と紛争状態になったことへの嫌悪感、家族及び家庭内の不和状態の解消が真相ではなかったのか、と筆者は思っています(この他に線維筋痛症を患っていたと言われています。)。

 しかしその2年後の2005年に再びアルバム「Throw Down Your Arms」を発表し、事実上の「引退『撤回』」を行います。

Sinéad O’Connor ‎– Throw Down Your Arms – Album Full ★ ★ ★

 

復帰作である「Throw Down Your Arms」の表紙。

Sinéadが初聖体拝領をした時の写真が使われている。

 こうして彼女は「復活」を果たし、アルバムはアイルランドではゴールドディスクに輝き、累計25万枚以上のセールスを上げました。彼女は売上の一部をジャマイカラスタファリ運動の長老たちを支援するために寄付するなど、歌手活動だけではなくアンチ・カトリック活動に関しても活動を再開しています。

 その一方で私生活では4度目の結婚をするものの、僅か16日で離婚するなど、相変わらずの破天荒ぶりでした(離婚に至った経緯を彼女は後にインタビューで語っています。詳細はこちら。)。

 更に女性司祭に関しても、「飽きた」という理由で(彼女らしい、と言えばそれまでですが。)、その座から降りています。

 しかしその中でも歌手活動は精力的に行っており、2007年にアルバム「Theology」[注15]、2012年に再びアルバム「How About I Be Me (and You Be You)?」[注16]をリリースするなど、精力的に活動していました。

 その過程でX(旧Twitter)には度々子育てに関する問題で「死にたい」と呟くなど穏やかではない投稿をするようになっていきました

(後に彼女はそのことについて、そのような投稿をあえて行うことによって「感情の『虫下し』をしていた」と語っています。詳細はこちら。)。

 また、当時アメリカの新進気鋭の歌姫であったマイリー・サイラスに対して、彼女が「音楽業界の娼婦にされないよう気を付けて」と公開書簡で忠告するメッセージを送りましたが、本人及びファンから精神障害を揶揄する内容や、彼女を非難するコメントを送りつけられる事態となり、あわや一触即発の状態になります。

 新旧の歌姫の舌戦は一時的にメディアを騒然とさせましたが、彼女はこの事態に対してテレビ番組での出演で「もう終わったこと」と語り、さらに「『音楽産業』の存在によって音楽やロックンロールが『殺されてしまった』事を残念に思っている」とコメントしています。

 この事態によって一時的にメンタルを病んでしまったのか、彼女はSNSで「『過激なストーカー』の被害にあっている」とコメントし、SNSからの「引退」を示唆し、また彼女の代表曲である「Nothing Compares 2 U」に関しても「もう二度とパフォーマンスは行わない」と宣言しました。彼女はその理由について、「この曲に込められる少しばかりの感情もすべて使い尽くしてしまった」、「もう感情的にこの曲と自分を重ね合わせられない」とコメントしました(後に撤回し、ツアーやライブなどで歌っています。)。

 恐らくこのことによって、彼女の精神的な気持ちの糸が切れてしまったのでしょうか。彼女のSNSからは大量の薬物服用や自殺を示唆するコメントが相次いで投稿されるようになり、またこの時期に婚外子の息子のシェインをめぐって父親のドーナル・ラニーら家族、親族と親権の争いがあったとみられ、親権を失った彼女は心身ともに疲弊し、遂にオーバードーズを行い、アイルランド警察に保護される事態となります。

 警察、家族、親族、行政らの説得に彼女は素直に従い、入院を受け入れることとなります。それでも一時凍結していたSNSを入院後から再開し、コメントはいつもの彼女らしいアイロニーの効いた返しをしています。

 しかし、その後SNS上で家族との「絶縁」を宣言し、子宮の全摘手術を行うなど公私ともに不安定な状態が続き、歌手活動は出来る状態ではなく、治療への専念のために彼女は再び「引退」を宣言します。それでも退院後に再び活動を再開させましたが、向精神薬の投与のせいか、以前の彼女の面影とは程遠い状態となっていました。

 

  活動再開後のSinéad O’Connorの一枚。

   向精神薬の過量投与の影響なのか、かつての

    面影はなく、「激太り」と言える状態である。

 それでも彼女は持ち前の負けん気を発揮してダイエットを敢行して、以前の姿を取り戻すことに成功するのでした。

・[注14] 「She Who Dwells by Independent」は和訳すると「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿るであろう」という意味になります。これは最初のアルバムである「The Lion and the Cobra」が記載された旧約聖書の詩篇からの引用です。

・[注15]「Theology」は和訳すると「神学」という意味になります。後述しますが、キリスト教教条主義への違和感を感じ始めた彼女からの「問いかけ」のようにも感じます。

・[注16] 「How About I Be Me (and You Be You)?」は和訳すると「私は私で(そしてあなたはあなたで)はどうですか?」という意味になり、哲学的な問いかけを感じさせるタイトルになっています。 

第四編に続く

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ライナス

ライナスと申します。読書や日本の歴史、アイルランドやスコットランドの音楽が好きなので、皆様に紹介して共有できればと思っています。

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