世の中の不条理に抗い続けた
反骨の女性シンガー
アイルランド Sinéad O’Connor
(シネイド・オコナー)

ライナス
イスラム教への改宗、
最愛の息子の自殺…。
その約一年半後に後を追うように彼女も…。
2018年に彼女は自身の姓を「Magda Davitt」(マグダ・ダヴィット)に改姓すると発表しました。この改姓について彼女は「家父長制的なスレイブネームから自由になりたかった」と語っていますが、この姓名からも分かるように、この名前にはムスリムの色彩が現れています。おそらくこの頃からキリスト教、特にカトリック教徒に対して彼女が完全に三行半を突き付け、自身の心の拠り所となれるような宗教を模索し、それがムスリムだったという事なのでしょう。そしてこの改姓には、これまでの彼女の人間関係や家族関係に対してのリセットの意味合いもあったのではないかと筆者は考えています。
当然のことながら彼女の周辺の人間関係は程なくして破綻をきたし、彼女が信頼できるのは息子のシェインと最初の夫であるジョン・レイノルズのみといった状態に陥ります。そのような状況の中で彼女はさらにムスリムに傾倒し、ついにはイスラム教への改宗を発表し、姓を再び変更し、「Shuhada’ Sadaqat」(シュハダ・サダカット)と改めたことを公表しました。何故彼女がこのような行動に出たのかについては、インタビュー映像の中から彼女の心情を推し量れると思いますので、ご覧いただきたいと思います。
Sinead O’Connor on Islam | The Late Late Show | RTÉ One
Sinéad O’Connor aka Shuhada’ Sadaqat on The Tommy Tiernan Show 2020/02/01
それでも音楽活動の名義は本名の「Sinéad O’Connor」で通し、シングルのリリースやツアーなどを精力的に行っていました。また、2021年に自伝的回想録である「Rememberings」を出版し、アイルランドのベストセラーリストで初登場1位となる売り上げを記録するベストセラーとなりました。
Amazon | Rememberings | O’Connor, Sinéad | Popular
しかし、そんな彼女に突如として不幸が襲い掛かってきます。彼女の息子で肉親の唯一といっていい程の彼女の信頼者であり、思春期から精神的な障害を患っていた当時17歳のシェイン・ラニーが入院先の精神病院から突如失踪し、その二日後に自死したと思われる状態で発見されたのです。
| 海外セレブニュース | シネイド・オコナー行方不明の息子が遺体で発見

息子のShane(シェイン)(左)と異父弟のYeshua
(イェシュア)(右)とSinéadの3ショット
彼女にとってShaneは公私共に
唯一「信頼」と「信用」が出来る
「精神的支柱」であり
「家族の一員」であり
「パートナー」であった。
この事実に一時的に錯乱状態になった彼女はSNS上でアイルランドの家族サービス機関であるタスラと国の保健当局であるHSEを厳しく批判しました(後にタスラとHSEに対してSNS上で釈明と謝罪をしています。)。その後自らの死を仄めかすツイートをSNS上で投稿し、医療機関の勧めもあり、再び入院し、入院先のベッドでシェインの死に深く悲しみ、傷ついた彼女はSNS上でこのようなツイートをしています。
” 以来、死なずの夜の生物として生きています 。彼は私の人生最愛の人であり、私の魂の灯でした。私たちは二つに分かれた一つの魂でした。彼は私を無条件に愛してくれた唯一の人間でした。彼のいない中有 (仏教用語で現世と来世の中間)で私は彷徨っています。” (翻訳・括弧書き注釈は筆者)

唯一彼女を愛してくれる「肉親」であり、公私共に彼女を支えていた「パートナー」、何よりも彼女の「心の痛み」を理解していたが故に自らも精神疾患を患い、若くしてその命を絶ってしまったシェインの死に彼女は大きく傷つき、予定していたツアーや楽曲政策を中止するなどして、その死を悼みました。しかし、親愛な息子を亡くした「心の空洞」は何をしても埋まる事は無く、退院後はアイルランドと英国を往復する生活をしていたといいます。

晩年のSinéad O’Connor。シェインを喪った哀しみから
立ち直れなかったのか、心なしか物憂げな表情をしており、
かつての「反逆のカリスマ」と呼ばれた頃の面影が失せ、
ただの「一人の女性」となったような一枚である。
そのような状況でも彼女は音楽活動に関しては積極的で、ツアーの開催やアルバム制作、スコットランドの曲である「The Skye Boat Song」をアレンジするなど、活動していました(参考情報はこちらシネイド・オコナー、新しいアルバム&新しいツアー&回顧録の映画化を検討していた – amass)。さらに彼女の生涯と功績を紹介したドキュメンタリー映画「Nothing Compares」が公開され、数々の賞を受賞するなどのヒットを遂げ、改めて彼女に注目が集まっていました。
Nothing Compares | Official Trailer | Paramount Pictures UK
Nothing Compares (2022) Watch HD – Vídeo Dailymotion
まさかそんな自分に死の影が目前に迫っていたことなど、彼女自身や周囲の人々にも信じられないほどでした。しかし「その時」はあまりにも突然に、容赦なく彼女に襲い掛かってきました。
2023年7月26日、ロンドンの自宅で彼女は「生体反応の無い」状態で病院に搬送され、やがて病院で「死亡」が確認されました。享年56歳。まだまだこれからという時の突然の訃報でした。
このあまりにも突然の発表に世界中が驚き、長年にわたって精神障害と闘っていた彼女だっただけに、一時的に「彼女はシェインの後を追って『自死』したのではないか」との報道が駆け巡りましたが、ロンドン警察庁は「彼女の死を『不審死』として扱っていない」と発表しました。
その後彼女の家族や親族の要請で検視の実施が行われ、その結果、2024年1月9日、担当の検死官は彼女の死が自然死であったとの見解を表明しました。その後同年7月に見つかった死亡診断書からは、正確な死因が慢性閉塞性肺疾患と気管支喘息の悪化、(結果としては煙草及び麻薬、向精神薬などのドラッグの過料投与及び服用が原因)および低悪性度の下気道感染症であることが分かりました。息子シェインの死から約一年半後に、世界や世間の不条理や自身の精神障害と闘い続けてきた稀代の歌姫は、56年の波乱万丈に満ちた自らの人生の感情の声を拾い続けたマイクの電源をこうして切ったのでした。

愛用の煙草を持っているSinéadの一枚 。
彼女は幼少期からの愛煙家であった。
そのことが彼女の命を縮めることになるなどとは、
彼女自身も予想していなかっただろう。
彼女の死に世界各国の
様々な著名人やシンガーが
追悼と哀悼のコメントを
発表する。
こうして彼女は56歳で亡くなったわけですが、8月8日に行われた彼女の葬儀には有名無名を問わず、世界各国から多くの参列者が訪れ、彼女の突然の死を悼みました。葬儀に関しては彼女の生前からの意向を尊重してイスラム式に則って執り行われました。

Sinéad O’Connorの葬儀の際の一枚。
多くのマスコミや参列者が大勢訪れて、
彼女の遺骸を乗せた霊柩車に
哀悼の花を添えている。
シネイド・オコナーさんに最後の別れ U2ボノさんも参列 アイルランド(2023年8月撮影)
また、お別れの会には多くの参列者が集まり、一同はこれまでの彼女の生涯にわたって音楽を通して訴え続けた活動の功績をたたえながら、彼女の代表曲である 「Nothing Compares 2 U」を合唱していました。
Sinead O’Connor Memorial Barnardo Square Dublin City Hall July 30 2023
葬儀にはアイルランドのマイケル・D・ヒギンズ大統領とサビーナ夫人が参列し、「シネイド・オコナーの人生と仕事に対する悲しみと感謝の声は、彼女がアイルランド国民に与えた深い影響を示している」とヒギンズ大統領は述べました。著名な参列者の中には、生前に深い親交のあったU2のボノ、ジ・エッジ、アダム・クレイトンのほか、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフも参列していました。
この葬儀の後、世界各国の様々なミュージシャンが彼女の死について追悼と哀悼のコメントを発表しました。
・トッド・ラ・トゥーレ、クイーンズライク
・ピート・レフラー、シェヴェル
このように様々なミュージシャンが追悼と哀悼のコメントを発表しましたが、その中でもモリッシーのコメントは白眉と言えます。普段は他のアーティストに対して傲岸不遜なコメントを常に行う彼ですが、今回の追悼のコメントは彼女への尊崇に満ちたものでした。
・モリッシーのコメント
https://www.morrisseycentral.com/messagesfrommorrissey/you-know-i-couldn-t-last
このように世界各国のミュージシャンが若すぎる彼女の死を惜しみ、彼女が生涯を通して訴え続けた世情や世界、体制への不条理に対して彼女の遺志を継ぎ、訴えを続けていくことを誓ったのでした。
母から娘へ。
歌い継がれる名曲
「Nothing Compares 2 U」
こうして彼女はロック界の「伝説の『歌姫』」となったわけですが、彼女の子供たちもまた、彼女と同じように音楽の道に進んでいます。
まず、長男のJake Reynolds(ジェイク・レイノルズ)は現在38歳で、俳優兼ミュージシャンとして活躍しています。
・Jake Reynolds (@jakewreynolds) • Instagram photos and videos
次に次男のYeshua Bonadio(イェシュア・ボナディオ)は現在18歳で、表立った活動はまだしていませんが、亡き母の記念イベントなどに出席、参加したりするなどしています。また、音楽配信のストリーミングサイトに楽曲を投稿したりするなど、今後の活動に注目が集まっています。
https://www.thesun.ie/tvandshowbiz/13794782/sinead-oconnor-lookalike-son-stamp-shane-macgowan/
最後に長女のRoisin Waters(ロイジン・ウォーターズ)は現在29歳で、母親の後を継ぎ、音楽活動をしています。そのことを象徴するのが、2024年3月20日に、亡き母のトリビュートコンサートで、亡き母の代表曲であった「Nothing Compares 2 U」を歌ったことでした。
Roisin Waters – Sinéad O’Connor’s daughter sings “Nothing Compares 2U”
この出来事に会場の観客たちは大喝采。生前の母親と変わらぬ力強い歌声に観客は熱狂し、曲の終盤には拍手とスタンディングオベーションが自然と沸き起こる盛況ぶりでした。
このように3人の子供たちはそれぞれが独自の感性を持ちながら、音楽の道にかかわっています。このことを天国へ行った彼女はどう思っているでしょうか。非常に興味深いですね。
「プロのヘルスケアワーカーになる」
「カリスマ」と言われた
彼女の等身大の「優しさ」
さて、ここで一旦時を遡り、2020年9月1日、世界中がコロナウイルスのパンデミックの厳戒下で騒然としていた最中、彼女は当時のTwitterにこのようにコメントを残しました。
「これからもシンガーとして活動するけど、アルバム制作とツアーの合間にヘルスケアのアシスタントとして働くつもりなの」
そうコメントし、実際にプロ・ヘルスケアワーカーになるための講習や訓練を受けていることをコメントしていました。
この動機について彼女は「パンデミックの中で懸命に働く最前線の看護師たちに心を打たれた」、「自分が少しでも『彼ら、彼女ら』の助けになれないか、と思った」とコメントしています。
当時の彼女はイスラム教への改宗で一部のアイルランドやカトリックの教徒の人々から「裏切り者」という心無い中傷を受けていた頃でした。そんな中でのこのコメントに医療従事者だけでなく、多くの人々から賛同を受けました。また、彼女がこれまで積極的に携わってきた慈善活動に関しても再評価する声が高まって、これまで根付いていた「反逆のカリスマ」という偶像にも見直しの声が出始めました。
実際にこの時に、アイルランドでマスク着用に反対するグループが、集会で彼女の音楽を使用したとして、彼女は非難しました。何百人という活動家たちが8月22日、首都ダブリンのカスタム・ハウス・キー(Custom House Quay)に集まり、彼女が唄った「The Foggy Dew」[注17]を大音響で歌ったそうです。その映像を見たオコナーは、SNSで次のように呼びかけました。
「身勝手にもマスクを付けず、ガイドラインを無視して抗議活動を行なっている人たちは、私の曲を使わないで下さい。まるで私があなた方を支持しているかのように誤解されてしまうし、私は支持していませんから」
この声明に「反逆のカリスマ」という偶像だけで彼女を見ていた人々は大変驚いたそうです。恐らく彼女が「『反体制』のミュージシャン」だと稚拙な勘違いをして、自分たちの活動や行動を支持してくれる、と思っていたのでしょうが、当の彼女から見事な肩透かしを食らってしまいました。このように、彼女は「反体制・反差別」のイデオロギーに固執せず、自分自身をその枠に納めず、自分の信念を曲げずに生き続けた、という事です。因みに生前に、回顧録の中で、彼女は自分自身について、こう綴っています。
「私はポップスターではない。私は時々マイクに向かって叫ぶ必要のある、悩める魂にすぎない。」
と。
[注17]「The Foggy Dew」 については、この唄を唄ったのはSinéad だけではありませんが、デモの映像からは、Sinéadの肖像画を掲げたりしている人々の姿が映っていたと言われており、アイルランド人のアイデンティティーを強く持っていたSinéadがこの唄が冒涜されることを危惧して、非難声明を行ったのでは、と筆者は考えています。
まとめと本稿の構成について
今回はアイルランドの歌手のSinéad O’Connorについて取り上げました。そのことについて、いくつかの補足事項を読者の皆様に伝えたいと思います。
・Sinéad O’Connorについては日本での知名度は決して高くなく、またその生涯についても決して好意的な評価を受けていないため、過激な言行については筆者の考えを補足して、印象の悪化を最小限にするように努めました。
・Sinéad O’Connorはその生涯にわたって波乱万丈で破天荒な事象が多く、そのことによって正当な評価を得ていないのではないか、と筆者は思っていたので、幼少時代からの描写を丁寧に書き、人となりだけではなく、Sinéad O’Connorの思想信条や思考の核心に触れるような記事になるように努めました。
・本稿ではSinéad O’Connorについて少しでも親しみを感じてもらえるようにと思い、画像説明や注意書きを除く本文中では一貫して「彼女」という「呼称」を用いて、本稿を記述しました。
Sinéad O’Connorについては多くの評論家が、「時代が早過ぎた」、「主張に時代が追い付かなかった」などと言われ、決して正当な評価を受けているとは言い難く、また昨今の世界情勢により、全体主義的な思想やエスノナショナリズム(自民族優位主義)が隆盛してきた今、そのような事象に対して生涯にわたって一貫して異を唱え続け、自身の意見を歌の中で主張してきたSinéad O’Connorについて語り、考えることが現在において非常に重要なのではないか、との思いに至り、本稿を記述しました。本稿は筆者がこれまで執筆してきたものの中でも最も長い記事となりましたが、読者の皆様がご一読いただいて、Sinéad O’Connorというロックシンガー、人物という人がいたことを読者の皆様の中の記憶の中に留められることが出来たのであれば、筆者にとって非常に有意義なものであったと言えます。
これからも、アイルランドの事や人物などについて書いていきたいと思いますので、ぜひご一読をお願いします。
それではまた次回お会いしましょう!ライナスでした!
