「楽天イーグルスの問題児」
と呼ばれた男
Todd Linden(トッド・リンデン)

ライナス
皆さんこんにちは。ライナスです。今回は楽天イーグルスで活躍した外国人選手、Todd Linden(トッド・リンデン)についてご紹介したいと思います。どうぞ最後までご一読お願いします。
学生時代から俊足強打の
スイッチヒッターとして活躍!
高校では部活動を3つ掛け持ちする
武勇伝も!
しかし大学時代から素行不良が…。
Todd Linden(トッド・リンデン)、本名Todd Anthony Linden(トッド・アンソニー・リンデン)は 1980年6月30日、アメリカ合衆国ワシントン州スノホミッシュ郡エドモンズで産まれました。
小学生の頃から野球を始め、早くからその才能が開花し、中学時代に好成績を収め、高校からの推薦でワシントン州シルバーデールのセントラル・キトサップ高等学校に入学し、そこでもその才能をいかんなく発揮します。リンデンの運動神経は良く、その才能にほれ込んだ他の部活動からも誘いがあり、リンデンは高校時代は野球のみならず、同校のフットボール部とバスケットボール部を掛け持ちするという超人ぶりを発揮し、花形学生として高校を卒業したリンデンは、大学も推薦で名門のワシントン大学に入学します。ここで2年間野球をプレーし、2000年夏の大学リーグ戦で長打率5割3分5厘という記録を成し遂げた後、ルイジアナ州立大学(LSU)へ転校し、サザンイースタン・カンファレンスの両打席本塁打試合のシーズン記録を作るなど、俊足、堅守、強打の三拍子が揃ったスイッチヒッターの外野手としてプロからも注目の的になっていました。
しかし大学入学当初から素行面において問題が噴出し始め、ワシントン大学在学時代には野球部の規則のみならず、大学の学則も公然と破る悪童ぶりを発揮します。
極めつけはキューバとの親善試合の際にキューバ製葉巻を密輸し逮捕され(結果は不起訴)、さすがに事態を重く見た大学側はリンデンに対し野球部の退部処分及び大学からの退学処分を宣告しました。
この大学時代から後年の楽天時代の悪態の片鱗の萌芽がここですでに垣間見えてはいますが、それについては筆を改めて後述いたします。
そのため前述したようにルイジアナ州立大学への転学を余儀なくされましたが、ここでは水が合っていたのか大きな問題行動は起こさず、むしろ大学の看板打者となるなど、水を得た魚のように実力を発揮し、ドラフト選考の候補となるなど、才能をいかんなく発揮していきました。
ドラフト1位でジャイアンツに入団!
しかしその後は伸び悩み
エレベーター生活に…。
こうしてメジャーリーグのスカウトたちの目に留まったリンデンは、2001年のMLBドラフト1巡目追補(全体41位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、念願だったプロ入りを果たします。
プロ入団後は3A(トリプルエー)で2年間を過ごしましたが、2003年8月18日のモントリオール・エクスポズ戦でメジャーデビューを果たしました。9月22日のロサンゼルス・ドジャース戦では当時所属していた石井一久からメジャー初本塁打を放っています。

ジャイアンツ時代の写真に写るリンデン。
期待の高さがうかがえる一枚である。
それからは主に当時MLBのスーパースターだったバリー・ボンズの守備固めに入る控え選手としてプレーしていました。しかし、当時のジャイアンツの外野陣は層が厚く、スタメン定着を果たせないままメジャーとマイナーを行ったり来たりするエレベーター生活が続き、結局2007年5月10日にDFA(戦力外通告)となりました。

ジャイアンツ時代、チームメイトの
バリー・ボンズとグータッチを交わすリンデン。
俊足強打のスイッチヒッターとして期待されたが、
メジャー定着には至らなかった。
環境を変えながらプレーするも、
なかなかメジャー昇格できず、
「渡り鳥」生活に…。
こうしてジャイアンツを戦力外になったリンデンは2007年5月18日にウェイバー公示を経てフロリダ・マーリンズへ移籍しました。しかしここでもスタメン定着及びメジャー定着には至らず、シーズン途中でマイナー契約となり、オフに自由契約となりました。

マーリンズのメジャー時代に
右打席でヒットを放つリンデン。
しかしここでもメジャー定着とは
ならなかった。
その後2007年11月21日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加し、首脳陣から一定の期待を受けていましたが、残念ながら開幕のメジャーロースター(支配下選手登録枠)には残れませんでした。その後はメジャーには昇格せず、2008年5月20日に自由契約となりました。
リンデンはその一週間後の2008年5月27日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約しますが、ここでもメジャー昇格は果たせず、シーズン終了後にFAとなりました。

アスレチックスのメジャー時代にタッチアップで本塁に
突入するリンデン。首脳陣からの期待は高かったものの
結果で答えることは出来なかった。
このようにチームを転々と変える選手のことをプロ野球関係者は皮肉を込めて「渡り鳥」(英語ではジャーニーマンと呼びます)と称することがありますが、リンデンの場合は見事にそれが該当している状態であったと言えます。
(第二編に続く)
