生きるとは、幸福とは何なのでしょうか。
個人的な価値観でしかありませんが、ここに記しておこうと思います。
気が向いたら読んでください。
これを読んで気が変わったとしても、人生が良くなったとしても、それはあなた自身の努力によるものです。誇りに思いましょう。
まず生きるということは前提としてとても大変なことです。
皆、目標を持っている。生きる理由があるからこそここにいる。生き甲斐があるから生き続けられる。
少なくとも、生きる意欲を持つ人々は無意識のうちにこのようなことをしているのでしょう。
しかし、それが難しい人もいる。例えば生きている自信がなくなり、生きる理由がわからないといった人々です。
そんな気持ちをあなたは少しでも思ったことはないでしょうか。
なにかがきっかけでも、きっかけがなくても、生きることに関して思うことはそれなりに体力を使うことです。
どんな励ましも、どんな気晴らしも効果がなく、ただ無力感に襲われる…
そんな気持ちに、襲われたことはないでしょうか。
私は、そんな生きる理由を探し求めたときにあらわれるのが幸福と不幸の概念だと思います。
では幸福とは何なのでしょう?不幸とは?生きるにあたってどんな役割を果たしているのか?
それを個人的解釈で考えていきます。
あくまでこれは一個人の価値観です。きっとあなたにとっては違う答えがでることもあるでしょう。
しかしそれでいいのです。それがいいのです。
あなたの、あなただけの人生の価値観をぜひあなた自身の手で導いてください。
まず幸福について。
一概に幸福とは言ってもピンとこない時もあると思います。
たとえ全体的な幸福を想像できたとしても、自分自身の幸福、と制限されると首を傾げるかもしれませんね。
ここでいう全体的な幸福とは、世界平和や誰にも嫌なことが起きない、等、自分を含めた、あるいは自分を含まない考え方を指します
自分自身の幸福…自分だけに起こる嬉しいことを想像するのは、意識してみると意外と出てこないものですよね。
ここで自分の日常に隠れている「小さな幸福」を想像してみましょう
「小さな幸福」とは、自分にだけ起こった、どんなに小さなことでも、どんなに一瞬でも充実したという気持ちが沸き上がった瞬間のことを指します。
探し物をしていたらお金を見つけてラッキーだとか、友達や家族と過ごした時間は悪いものではなかったな、という気持ちだとか…
生きているうえでこのような事は必ずついてきています。
今はわからない、となってしまっても焦る必要はありません。
これから意識して日常を過ごすだけでも随分世界の見え方が変わってきます。
逆に不幸について
こちらも生きているうえで必ずついてくるものです。
一概に不幸、となると嫌なことや辛いことを思いますよね。
実際そうです。不幸はつらく悲しいことであり、少なくともいいことではありません。
しかし、なぜ不幸があるのでしょう?
なぜ人間は不幸を感じるのでしょうか?
私は不幸というものは「生き甲斐」につながっているのではないか、と思います。
不幸があるからこそ張り合いになる。不幸があるからこそ学ぶことができる。
不幸がいいことだ、とは声を大にして言うことはできませんが、不幸があるからこそ、あなたの人生のスパイスになっているのではないでしょうか。
では、今不幸である、あるいは不幸なことしか考えられないときはどうすればいいのでしょう?
何を考えても過去の後悔ばかりがよぎり、幸福なことなんて何もないと感じてしまう。
過度な不幸によって更なる不幸を呼んでしまう…
きっと、そんなこともあるでしょう。
そんな時は友達、家族…頼れる誰かに話をする、或いは気晴らしに好きなことをする、またはゆっくり休んで、映画を見ながら寝る…などなど、たくさん対処法があります。
生きていく上で様々な壁に当たり、心が折れそうになったり、心が折れたりすることもあるかと思います。
そういう時に思い出してほしいことがあります。
それは「あなたは一人ではないということです。」
どんなに孤独になっても、どんなに寂しくなっても、自身の身の回りの家族、友人のことを思い出してください。
つらい時、不安な時、話をすればあなたの不安を共有してくれます。
自分のことのように考え、解決策を探してくれます。
あなたは一人ではないのです。
長々と書きましたが、人生は案外適当に生きても何とかなるものです。
自分のやりたいことや自分のできることを自分自身で制限しないであげてくださいね
肩の力を抜いて気楽に生きましょう。
よき人生を