こんにちは。下手で長ったらしい文章で申し訳ないが、前回の続きとなる。
・就活が怖くて酒に逃げる
大学3年生の中頃になると就活シーズンが到来したが、私は面接が怖くてほとんど活動しなかった。申し訳程度にリクナビに登録するだけ、就職課に求人票を見に行くだけに留まる。
私のようなコミュ障アル中の人間が社会人としてやっていけるとは到底思えなかったし、言い訳がましいが、日本のようなブラック労働、サービス残業、パワハラ、モラハラ、うつ病等々当たり前の労働環境で、よくて月給20万前後の対価で働くということに対して馬鹿らしいと思っていたし、そのような状況をさも当たり前のように受け入れて「内定」という椅子を取り合っている就活生たちも滑稽とさえ思っていた。
・・・いや馬鹿や滑稽というより、実を言うと怖くて仕方がなかった。このころから常に「就活」の2文字が頭から離れなくなり、勉強に身が入らず(元々入っていなかったが)授業も休みがちになり飲酒量も増えていき、朝は二日酔いが当たり前となった。
4年生の秋頃。自分の数少ない友人たちも公務員試験に受かったり、企業から内定を貰って歓喜している様を見て、さすがに危機感を覚える。急いで就職課で履歴書の添削や面接練習をしてもらったり、怖くて仕方がなかった面接も地方から東京まで出張って行ったが、時すでに遅し。当然の如く私のような人間を採用する企業などなかった。
唯一内定を貰ったのは、工場のライン工としての職だった。
・何とか新卒で就職するも・・・・
案の定入社した工場はブラックで朝は5時起きで夜は22時や23時帰宅が当たり前となった(とは言え残業代は払ってくれたが…)。
機械に商品の材料を投入するだけ、出来上がった商品を段ボールに詰めるだけの単純作業だった。
夏の職場は非常に蒸し暑く冷房が完備されていたが経営陣が費用をケチり冷房を使うことを禁止していたため、熱中症で倒れ救急車で運ばれる作業員が続出した。実際に私も一度熱中症で倒れた。冬は冬で例えインフルエンザに罹っても出社している社員もいるようだった。盆休みや正月休みなど当然の如くなかった。またしても私は酒に逃げ二日酔いで出勤は当たり前、ひどい時は朝に飲酒した状態で出勤するようになった。酔った勢いで腹いせに近所のゴミ箱や自販機を蹴り飛ばすこともあった。
賞与は年2回もらえたが、賞与の支給と同時期に自社製品の購入催促(約10万円分)なるものが職場の掲示場に貼り出され、そんなものに従おうものなら、せっかくの賞与が相殺され、手元に金が残らなくなってしまう。大半の愚直な作業員は泣く泣くその理不尽な司令に従っていたが、私は生来の不真面目さから従わず咎められた。それやこれやがあって入社して一年半後に私の堪忍袋の緒が切れて退職と相成った。
元はと言えばそんな会社にしか入れなかった自分に責があるのだが・・・。