何故私はアル中になったのか 其の3

こんにちは。長々と取り留めなく書き綴ってしまったが、前回の続きである。

・酒を呑みつつ無職→正規→無職→非正規を点々と堕落する・・・・

退職後はそれまで蓄えた金を使い(実家暮らしだったので貯金は容易だった。)海外旅行などし、現実逃避しつつその後は単発のアルバイトを断続的に行った。何度か職安の求人に申込んだが面接で不採用、書類選考すら通らない事もあった。もちろんほぼ毎日、逃避のため酒で酩酊していた。そんな生活が一年以上続き、業を煮やした父親に酔った勢いで怒鳴りつけられ(父親もアル中)、親戚のコネで東京への就職を命じられた。

 その就職先は危険物の解体業で金払いは良かったが、職業柄か同僚や上司の気性は非常に荒く、一つでもミスや失言をしようものなら何かしらの罵声は当たり前、非番時は飲み会へ参加を余儀なくされた。この職場では作業内容が複雑かつ危険なため要領の悪い私は当然の如く再三再四、叱責罵倒された。仕事が怖くなり昼休みはトイレの個室に籠もることもあった。三度か四度かもう分からないがまた私は酒に逃げた。この頃は一晩にウィスキーを一本飲み干すほどアル中が悪化した。

 そのような状況に肝っ玉の小さい私が耐えられるはずもなく、わずか半年で退職となり、恥を忍んで実家へ出戻りとなった。それとほぼ時を同じくして、私は生来の自分の集中力のなさ、要領の悪さ、コミニュケーション能力の低さ、アルコールへの依存の強さにようやく疑問を持ちはじめ、心療内科で検査したところ発達障害(ADHD)と診断された。

 晴れて(?)私は失業しただけでなく、障害者と成った。

 その後は地元に戻り、医師の指示で1年ほど自宅療養したのち、非正規ながら事務員としての職を得た。事務とはいっても、単なるデータ入力、簡単な書類作成だけでライン工と同じ単調な作業だったが、それでも2年半続けることができた。定期的に設けられた面談日では、上司から仕事が速いと褒められ、3ヶ月や1年おきには皆勤賞という名目で、これまで私の人生に縁遠かった賞状なぞ貰う事もたびたびあった。

 その反面、入社して2年目くらいから日に日に上司からこなすべき案件の数や仕事の正確性が高くなっていき、プレッシャーからか、くどいようだが私はまた酒に溺れた。

 入社してちょうど2年半経った頃、私は直属の上司に部署異動を命じられた。上司の言う分にはその部署は超激務で終電での帰宅が当たり前、退職者が続出しているという有様で、どうしても異動してほしいとのことだった。

 気の小さい私はそれを断りきれず了承してしまい、異動当日になって酒で泥酔した勢いで出社拒否し、心配して電話してきた上司に対して「ふざけるな!!」と暴言を吐く最悪の暴挙に出てしまった。

 その後、上司から今回の件では退職にはしない上に休職期間とその期間の傷病手当を貰えるという寛大な処置をうけたが、もはや私には働く意欲はなく、会社の産業医にその旨を伝え退職となった。本来、退職日には職場へ赴き書類手続きしなければいけなかったが、私はそれすら拒否し全て郵送で済ませた。

こうして私は三度無職、アル中障害持ちニートとなった。

・更に酒に溺れ、現在は就労支援に身を寄せる

 仕事を辞めてからは部屋に引きこもり浴びるように酒を飲んだ。

朝起きたらまず買い置きしておいた300円の安ワイン一本(750ml)を半分開ける。昼間は身内に悟られないようジョギングをしてくるという名目で外出し家からやや離れた格安量販店で発泡酒や酎ハイのロング缶を計四本(2000ml相当)買い求め、ブラブラとあてもなく歩きながら、あるいは公園のベンチなどで小一時間かけて飲み干す。夕方の帰り際に別の量販店(店員に顔を覚えられたくないため)に立ち寄り新たなワインを一本買い求め帰宅。夕食後に冒頭の買い置きしておいたワインの残り半分を飲み干し就寝。酒で胃が荒れるため夕食はほとんど食べることができなかった。次第にそれだけでは満足できなくなり、ワインは大容量ボトル(1500ml)のものに置き換わった。そのような生活を数か月つづけた結果、起き上がって歩くことすら困難になり、ついに体が酒を受け付けなくなり(飲んでも酔えず、ただ気持ち悪くなるだけ)、水すらまともに飲めなくなった。

 自分の人生はもう終わっているのだからいつどうなってもいいという腹積もりでいたが、酔いが醒めると、途端に体の不調が怖くなり、たまらず近所の内科に駆け込み血液検査をしてもらった。結果、肝数値は通常の約八倍を記録し最低でも三週間の禁酒を命じられた。そののち身内の紹介で就労支援施設なるものを知り、現在こうしてコラムを書くに至っている。

 禁酒は32日間続いたが、先日、再飲酒してしまった。今の自分の現状、30代独身実家暮らし、無職、まともな職歴やスキルなし、発達障害持ち、アルコール依存症だということが素面ではどうにも受け入れられないのだ。とは言え、さすがに飲む量は減ったのだが・・・。

・まとめ

 結局のところ私の意志が弱かった。書籍などでは、アルコール依存症は本人の意志によるものではないと記載されることがあるが、先述の学生時代や退職した件から、私の場合は本当に意志が弱かった。事実、節酒はできても禁酒はできていない。すべて自分で蒔いた種だが、私は30代障害持ちの職なし、友なし、女なしの人間なのだから酒くらいは勘弁してくれと居直っている。アル中はどんな理由をつけてでも酒を飲もうとすると聞いたことがあるが、正にその通りだ。

 現在このように就労支援施設でのコラム作成を通して社会復帰をするという体になっているが、それがぐれはまとなれば、手元にある金と命が尽きるまで酒を飲み続け自滅の道を驀進するのも悪くないなどと開き直っている今日この頃である。

※ぐれはま・・・物事の手順、結果が食い違うこと。

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三十郎

初めまして。三十郎と申します。30代発達障害でややアルコール依存症気味(γ-GTP600越えを記録) 趣味、飲酒、喫煙、読書、映画鑑賞(主にマーティン・スコセッシ監督の映画) 施設でコラム作成などを通してリハビリの予定。あと節酒。よろしくお願い致します。

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