
私には双極性障害という持病があり、障害者手帳を所持している。
今回は、私が障害者として生きる上で大切なことを学んだ2人の障害者の方についてご紹介しようと思う。
長くなるので前後編の2回に分けて紹介する。
まず前編で紹介する1人目の障害者の方は、脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎さん。
熊谷さんは「自立とは依存の反対語ではなく、依存先を増やすことである」という特徴的な視点を持っている。
私は最初この言葉の意味があまり理解できなかったが、熊谷さんの生い立ちや東日本大震災の時に感じたことが書かれているインタビュー記事を読んでいるうちに「これは障害者だけでなく、全ての人が生きる上でものすごく重要な言葉ではないか」と心を打たれた。
東京大学先端科学技術研究センターの特任講師である小児科医の熊谷晋一郎さんは、出生時の新生児仮死の後遺症である脳性まひという身体障害を抱えている。言語障害はそれほど重くないが、常に体が緊張していて体を上手く操ることができず、電動車椅子に乗って生活している。食事、排泄、入浴など生活全般にも常に介助が必要だ。
熊谷さんは東京の大学に進学するのを機に一人暮らしを始めるが、その時に先輩の障害者から「介助者は最低でも30人くらいはキープしろ」とアドバイスされる。介助者が少数に限定されている状態では、その人に見捨てられた場合生きていく術がなくなってしまい、結果的に介助者の顔色を伺うことに繋がってしまう。でも介助者が30人いれば、1人の介助者との関係が悪化したときに「他にも29人の介助者がいるんだから」と思うことができる。
熊谷さんが東日本大震災で被災した時のエピソードも「依存先の分散の重要性」という意味において、とても印象的だ。
熊谷さんは職場であるビルの5階の研究室で被災するが、地震でエレベーターが止まってしまい逃げ遅れてしまう。健常者であればエレベーターが止まっても階段やはしごやロープを使って逃げることができる。逃げるという行為に対して複数の依存先があるのだ。しかし電動車いすユーザーである熊谷さんにはエレベーターという1つの依存先しかない。
この経験から、熊谷さんは「障害者とは依存先が限られている人たちのことではないか」という仮説にたどり着く。
健常者は何にも頼らず自立していると思われているが、実際は逆で健常者こそ依存先の選択肢を複数持っていて、一つ一つへの依存度が浅いのだ。
依存先を増やして、一つ一つへの依存度を浅くすると、何にも依存していないかのように錯覚できる。
現状多くの重度障害者は、依存先が親か施設に限定されているため、自立を目指すなら依存先を増やすことが重要だと熊谷さんは提唱する。
熊谷さんのこの考え方に触れ、私はずっと自分の肩に背負っていた重い荷物を下ろすことができたような不思議な感覚を味わった。
精神障害により普通の人が普通にできることができなくなってしまった私は、ずっと「もっと頑張らないと、もっと頑張って普通の人と同じようにならないと」という考えに支配されていた。
しかし、障害者になった私に本当に必要だったのは、自分ひとりで頑張り続けることではなく、頼れる人や場所の選択肢を複数持ち、依存先を増やすことだったのだ。
現在、私は障害を抱えながら地域で一人暮らしをしており、一人暮らしを始めてちょうど1年が経つ。
最初は本当に一人きりで始まった生活だが、この1年間で様々な人との出会いがあった。
特に生活において支えられているのが障害福祉サービスの利用だ。
「ヘルパー(居宅介護)」「作業所」そして正確には障害福祉サービスの範疇ではないが「訪問看護」。
どれも障害者である私が地域で一人暮らしを続ける上で欠かせない制度であり、とても助けられている。
体調がすぐれず自分一人では家事や身の回りのことができないときは、ヘルパーさんに手伝ってもらう。継続して作業所を利用して社会との関りを持つ。病気の症状で困っていることは、訪問看護師さんに相談する。他にも、精神科の主治医に症状の変化を伝えて薬を調整してもらったり、日常生活で困ったことがあったり逆に嬉しいことがあった時は、彼氏や友人と共有する。SNSで遠くの人と趣味の話題で交流することもある。
こうして依存先を複数持つことで、一つ一つへの依存度が浅くなり結果的に障害者が地域で一人暮らしをすることを可能にしている。
今回は「自立とは依存の反対語ではなく、依存先を増やすことである」という考えを提唱する小児科医の熊谷晋一郎さんのことを中心にお話ししたが、次回の後編でも依存先を分散させて福祉サービスを利用しながら地域で一人暮らしをする、もう一人の障害者の方について紹介しようと思う。
