私は、小さい頃から、『普通』ということが、よくわかりません。
というか、その感覚が理解できません。
そこで、言葉の意味を調べてみました。
・特に変わっていないこと。
・ごくありふれたものであること。
・それがあたりまえであること。また、そのさま。
と書いてありました。
しかし、私は、これを読んでも、しっくりこなかったです。
それは、『それがあたりまえであること。』という部分の、その『あたりまえ』という言葉の基準が、とても曖昧だと思ったからです。
『普通』という言葉は、その時々の状況や気分などによって、その人自身にとって、都合よく考えることができてしまう便利な言葉であるからです。
しかし、物事には、必ず、二面性があるように、良い点もあれば、反対に、良くないこと、つまり、弊害も発生します。
あまりにも便利な言葉であるために、その使い方や解釈には、注意が必要だと考えています。
そのことが、よく日本語が難しいと言われる要因なんだろうなと感じます。
正直、英語の方が、あいまいな表現が少ない言語だというイメージがあるので、日本語より、理解しやすいのかもしれません。
私は、生粋の日本人ですが、それでも、いつも日本語は難しいな~と思います。
なぜなら、この『普通』という言葉を使うだけで、そのことや、その人の価値観や印象などもが、勝手に作り上げられてしまう恐れもあるからです。
それによって、何の罪もない人が、傷つけられてしまったり、世の中に対して、理不尽を感じたりする人が少なからずいると思います。
今、深刻な問題になっているいじめも、この『普通』という言葉が生み出した弊害であるように感じます。
ある人が、相手の人に対して、悪意を持って、弱点や欠点を見つけだして、『この人は、普通じゃない。(変だ。おかしい。)』などと言ってしまうだけで、周りの人は、その人に対して、間違った認識や誤解を生んでしまい、結果的に、「いじめ」につながってしまうのでしょう。
そもそも普通とか変わってるということは、その人の捉え方によって、まったく違います。
例として、たとえ家族だとしても、性格も考え方も違う“他人”であることは、確かです。
だから、喧嘩や誤解などが起きたりするのは、とても自然なことなので、自分を責めたりする必要はないと思います。
そう考えると、一度、落ち着くことができますし、無駄な抵抗をせずに、その問題に対して、楽に、対応できると思いますし、お互い様だと思える気がします。
気持ち的にも、反対に、みんな全く同じ考えや性格だとしたら、そのほうが不自然です。
どんなことでも、諸行無常と言われるように、人間だけでなく、すべてのことは、時間の経過とともに、変わっていくものです。
結局、人は、それぞれ違うことが『当たり前』や『普通』の意味なのだと“私は”思います。
だから、どんな人に対しても、敬意を持って、お互いを尊敬できる関係性になれたら、今より、もっと平和で、障害を持っている人も、持っていない人も、老若男女、性別なども、まったく関係なく、みんなが楽しく、穏やかに過ごせる世界になることを、心から願っています。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
また気になったことや、お気に入りの本や漫画、好きな音楽、アーティストさんの紹介など、ジャンル問わずに、書いていきたいと思いますので、また読んでいただけたら、嬉しいです(^^)
最後のイラストのような『普通』の日常を過ごしていきたいものですね~。。