わたしの好きな場所「定禅寺通り」のこと。 part2 歴史あれこれ

定禅寺通りの由来

「定禅寺通り」ってみんな当たり前にいってるけど、「定禅寺」ってどこにあるの?って考えたことがある、ヒマな人はいるだろうか?
江戸時代、現在の宮城県庁前らへん(青葉区本町)の、当時は高台だったところに「定禅寺」というお寺はあった!(昭和になってから仙台市電を通すために道路が整備されたというが、そういわれれば、今でも県庁や勾当台公園付近を歩くとけっこう高低差があると感じるなぁ。)
この定禅寺は、仙台城から見て北東方向(鬼門)だったために伊達政宗が祈願寺に定めたと伝わり、もとはこのお寺に通じる道路(参道)であったことから「定禅寺通り」といわれ、明治時代に定禅寺がなくなったあとも、通りの名だけが残っているといわれている。

定禅寺通りができるまで

1945年(昭和20年)7月の仙台空襲で、定禅寺通りだけでなく仙台の街全体が焼け野原となり、1946年(昭和21年)「戦災復興土地区画整理事業」が行われる。
定禅寺通りは、今と同じく道路は46mに拡幅、中央部には12メートル幅の遊歩道付きの緑地帯が設けられるなどの整備が始められ、その後、1958年(昭和33年)から数回に分けて約700mにわたってケヤキを植樹、休憩できるベンチなどを設置。1977年(昭和52年)には、国内外の著名な彫刻作品(「夏の思い出」グレコ作、「水浴の女」クロチェッティ作などのブロンズ像)を導入、「杜の都・仙台」のシンボルロードになった。

「杜の都」のルーツも伊達政宗

仙台といえば「杜の都」というフレーズが有名になっているが、初めは定禅寺通りをいってわけではなく、定禅寺通りから南に1キロの場所にある片平丁(東北大学や裁判所があるあたり)を指していた。
江戸時代、片平丁は仙台城からよく見えるということから、伊達家の重臣などが住んでいた。しかし、仙台藩は大幅に領地を失ったあとも家臣をリストラしなかったため、経済的に困窮していた。この窮地を打破するために、伊達政宗は各武家屋敷の広大な庭に食材となる栗、柿などの実のなる樹木や、燃料や建材となる杉や松を植えさせる。この自給自足のための植樹政策によって育った各庭の木々は、やがて仙台を覆い尽くし、明治時代の観光案内書には、その様子はもう「森の都」と書かれている。「杜の都」と字を当てて書き記すようになったのは、昭和になってまもなくからといわれている。

定禅寺通りのイベントのはじまり

定禅寺通りで行われるイベントが、なぜ、いつ始まったかをこの機会に調べてみた。
まずは、仙台にも夏がやってくることを告げる、毎年5月第3土、日曜日に開催される「青葉まつり」。武者行列、11基の仙台山鉾巡行、すずめ踊りなどがあり、観光客などで定禅寺通りがにぎやかになる。
古くは江戸時代、仙台東照宮(青葉区)で行われていた「東照宮御祭礼」(仙臺祭)という、山鉾や神輿が出る、大規模な仙台藩のまつりに始まる。
定禅寺通りで行う、今のような形のまつりになったのは、伊達政宗の没後350年にあたる1985年(昭和60年)。(※ちなみに、伊達政宗関連のイベントは雨に降られるというジンクスは今も健在だ。)
「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」は、定禅寺通りをはじめ、仙台のあちこちがステージになり、街中にジャズにとどまらず、いろいろなジャンルの音楽が溢れる日。始まりは、1987年(昭和62年)141(現・老舗百貨店の定禅寺通り館)のエル・パーク仙台を会場にした、ジャズを中心とする小さいライブ。回を重ねるたびにプロ・アマチュア問わず参加者が増え、いつしか仙台の秋の風物詩となった。東日本大震災以降、地震発生時間の14時46分にA「ラ」の音を一斉に出して追悼の意を表す。
(※小さいころ、前に住んでいた青葉区の家の前でおじぃちゃんと遊んでいたときに「今度できるんですよ~」っていいながら141って印刷された風船をもってきた男の人(営業さん?)に、黄色の風船をもらったという記憶を鮮明に覚えている。)
「SENDAI光のページェント」は、1986年(昭和61年)から。1970年代から普及したスパイクタイヤで道が削れて粉塵が飛び、ケヤキ並木が汚れていると嘆く市民たちが立ち上がり、樹木に電飾を施すことを思いついたことから始まった。宮城の冬の乾いた空気の中光る明かりは毎年、市民の心をあたためる。

そういえば、昔は8月の七夕まつりのときは「動く七夕」というパレードがあったっけ…今は、10月に行われる「みちのくYOSAKOIまつり」や、コーヒー、お酒などのイベントが開催され、定禅寺通りは形を変えても、いつでもみんなの憩いの場に違いない。

あぁ、今すぐにでも定禅寺通りに行きたくなってきた。今年はいっぱい行けるといいなぁ。

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パクチー

歴史、絵画・舞台鑑賞なんかが好きな、難病+障がい者の二刀流です。 興味があること、思っていることを書いてみようと思ってるので、 共感できるひと、気になったひと、ちょっと寄っていってください。

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