『昭和・平成・令和 スイーツ4』
♢ひんやり懐かしい氷菓子のレシピ
☆あずきバー
あずきバーは、紙コップで作ることもできます。
このレシピでは、砂糖を使わない発酵あんこを使っていますが、もちろん市販の粒あんなどでもOKです。
アイスの棒は、100均などにも売っています。
☆アイスキャンデー
棒付きのアイスキャンディーも昔からある定番の夏菓子。
オレンジやミルクなどシンプルな味で懐かしい雰囲気に。
水あめを加えることで、硬くなりすぎるのを防ぎます。
☆みぞれのかき氷
かき氷も夏の風物詩。
ノスタルジックな氷菓ですね。
いまはおしゃれなフラッペがいっぱいですが、昔風のかき氷は、やはり“みぞれ”。
透明な最もシンプルなシロップです。
このレシピでは、その作り方が紹介されています。
♢3時のおやつや給食で食べた揚げ菓子のレシピ
☆シュガードナツ
砂糖をまぶしたドーナツは、懐かしい家庭のおやつの代表的なものですね。
薄力粉、卵、牛乳などシンプルな材料で作りますが、お菓子作り初心者の方はホットケーキミックスを使えば手軽で時短になりますね。
生地をしっかりと冷やしてから型抜きするのがコツ。
☆給食のきなこ揚げパン
コッペパンが半分浸るくらいの油で片面をからりと揚げ、ひっくり返して同じように揚げます。
揚がったら、新聞紙やバットなどにのせて油を切ります。
バットなどに砂糖ときなこを混ぜておき、揚げパンが熱いうちにまぶせば、懐かしい給食のきなこ揚げパンの完成です。
☆食パンの耳ラスク
サンドイッチなどを作るときに切り落としたパンの耳を揚げて砂糖をまぶしたラスク。
少ない材料で、香ばしいおやつがあっという間にできてしまいます。
砂糖にシナモンパウダーを加えたものも作ると、味に変化があって飽きません。
♢昭和のおやつでレトロなティータイムを
昭和のおやつは、素朴な味にほっと癒されます。
その当時を知る人にとっては懐かしく、若い方には新鮮に感じられることでしょう。
懐かしの製菓道具や食器とともにレトロなおやつタイムを楽しんでみてください。
皆さんは知っている菓子はありましたか?
どれも懐かしい菓子ですね。
~平成スイーツ~
平成スイーツは、皆さんは、覚えていたりしますか?
社会の情報化が急速に進んだ平成の時代。
メディアによってスイーツのトレンドが生まれ、そのスピードは時代とともに加速。
めまぐるしく移り変わるようになりました。
さらに、グローバル化の波とともに、海外のスイーツがどんどん紹介され、日本でも気軽に楽しめるようになりました。
♡ティラミス大流行
実は先立つこと昭和61年(1986年)、「デニーズ」が日本で初めてティラミスをメニュー化しましたが、当時はまだティラミスの原材料、イタリア産のクリームチーズ「マスカルポーネ」が日本では入手困難で、ドルチェ(イタリアンデザート)のティラミスとは程遠い、コーヒー風味のスポンジとアイスクリームに、オレンジ風味のカスタードクリームがかかったデザートで、コーヒー風味の「サンデー」で、それなりに美味しく楽しんだ記憶があります。
そして、昭和63年(1988年)不二製油から植物性のフレッシュタイプのチーズ風味原材料「マスカポーネ」(注意※マスカルポーネの”ポ”がない)が業務用として開発販売されると事態は一変。
前述の「Hanako」平成2年4月12日号に「ティラミス」の大特集を掲載。これまで馴染みのなかったティラミスに世間は飛びつきました。
その5月「デニーズ」は、コーヒーを沁み込ませたスポンジとマスカポーネクリームを交互に重ね、ココアパウダーをかけた現在の「ティラミス」の原型ともなるものに一新、新発売しました。
そして「ティラミス」はカフェやケーキ屋などに爆発的に広がっていき、令和を迎える現在では大定番のスイーツとなったのです。
♡アイスクリーム輸入自由化~高級アイスクリームの台頭
平成2年にはスイーツ界に革命的な事が起きました。
「アイスクリーム輸入自由化」です。
高級アイスクリームブランドの「ハーゲンダッツ」はいち早く反応し、アイスバーの輸入を開始、パイントやガロンなどの大型カップを国内生産から輸入に切り替え、同時に高級アイスクリームのミニカップの国内生産と販売ルートを強化。
セブン-イレブンやローソンなどコンビニなどで販売開始します。
すると他のアイスクリームメーカーも、高級アイスクリームのミニカップ化、コンビニ販売に活路を見出し、プレミアムアイスクリーム市場が拡大していくのです。
♡第1次タピオカブーム
香港料理(広東料理)のデザートの白いタピオカ(タピオカパール)に
ココナッツミルク(杏仁ミルク)と練乳のスープに、白い半透明の小さな粒々が入った、スプーンで食べるエスニックなデザートと「西米露(シミル)」が「タピオカ」デザートとして初めて日本に登場。
これがタピオカブームの最初と言われているが、実はこれは今のタピオカとはまったくの別物です。
このタピオカと呼ばれていた西米露は、タイやマレーシアの華僑圏のデザートで、広東料理では定番の甜品(デザート)として楽しまれていました。
白い粒々の「西米(シミ)」は「sago(サゴ)」というヤシ科の植物のデンプンで作られ「サゴパール」とも呼ばれています。
現在のタピオカと原材料はキャサバというイモ科のデンプンで作られるというのは、メディアにより衆知となりましたが、おわかりのとおりに、まったく異なるものです。
当時はタピオカよりも、ココナッツミルクの味のほうを楽しんでいたように思う。
バブル後半はエスニック料理ブームで、自分も90年代前半に本格的タイ料理レストランとして上陸してきたコカレストランで食べた記憶があります。
その他、香港飲茶(点心)も女性たちにブームで、その手の店のデザートは必ずココナッツミルクのタピオカデザートでした。
香港中国料理の人気デザート「マンゴープリン」にも、ソース代わりにかけられていたような気がします。
そういう意味では香港中華デザートでもありました。
なので、エスニックブームの延長でトレンド雑誌もやし系のブームと言えるでしょう。
♡ナタデココ
ヒット商品ティラミスに続き、デニーズが前年平成4年にデザートメニュー化したことでメディアが注目。
平成5年にフジッコがナタデココの自社生産を開始し、TV©コマーシャルの子フレーズ供のダンスとがお茶の間で話題になる。
以後、コンビニなどでナタデココ入りのカップデザートが販売される。
♡なめらかプリン
パステルが「なめらかプリン」を販売開始。
以降、カップデザートや洋菓子店のプリンは「なめらか化、とろける化」する傾向になり、プリンは「固め派?とろける派?」という論争もおこるほどに。
♡パンナコッタ
本来は、生クリーム、牛乳、砂糖を合わせて火にかけて、ゼラチンで冷やし固めた生クリームプリンのようドルチェ(イタリアンデザート)。
平成4年にサントリーが粉末の「即席パンナコッタ」を製造販売開始し、平成5年にはデニーズでメニュー化、森永乳業がカップ入りを商品化し、平成6年にかけてブームとなる。
♡生チョコレート
1988年湘南「シルスマリア」で、従来からフランス菓子などにある、チョコレートガナッシュ(チョコレートと生クレームを混ぜ合わせたもの)を冷やし固めダイス状にカットしたものを「生チョコ」として販売。
そしてこの年、北海道のROYCE‘が量産化すると、生チョコレートは全国区となり、平成10年頃には、洋菓子店でも多く見かけるようになる。
♡カヌレ
スイーツまとめサイトなどに、この年ブームだと散見(コピペw)されるが、言葉が独り歩きした珍しい現象。
実際に販売した店は少なく、小ぶりでありながら売価も高く、口にしたことがある人も少なかった。
カヌレがメディアに初めて登場したというのが正しいところでブームに至っていない。
♡モカフラペチーノの衝撃
スターバックスが、8月2日東京銀座に北米地区以外に初出店。
社会現象となる。
コーヒーなのに、もはやスイーツだった「モカフラペチーノ」の衝撃と言ったら、当時の自分には革命で、週に何度も通ったものだ。
それにしても、生まれた時からスタバがある世代のトップが、もう二十歳を超えているということに驚く。
♡東京ディズニーランドに、キャラメルポップコーン専用ワゴンが登場
ポップコーンといえば映画のお供、と言われるほどの映画館の定番オツ。
そんなポップコーンに革命をもたらしたのが、東京ディズニーランド トゥーンタウン内でのワゴン「トゥーン ポップ」などて販売された、キャラメルポップコーン。
甘い香ばしいキャラメルポップコーンの香りは当時の大人を魅了し、アトラクション並みにポップコーンに大行列ができたりした。
そのポップコーンたっぷり入ったスーベニバケットを斜めがけして、手をベタベタさせランド内を楽しんだ思い出は、今となっては小っ恥ずかしい(笑)
その後2013年にグルメポップコーンがアメリカから上陸しブームとのる。
♡べルギワッフル
昭和61年梅田にベルギーワッフル専門店の元祖「マネケン」がオープン。
同年に新宿にも開店し買い求める人で行列。
平成9年にはマネケン創業者が本国ベルギーから勲章をもらい、ベルギーワッフルが世間から注目され、専門店がいくつも誕生し、コンビニにも登場。
今でもコンビニで商品化され、マネケンの店舗は行列している。
♡クイニーアマン
フランス伝統菓子「クイニーアマン」を、「セブンイレブン」が袋詰めしたクイニーアマン風菓子パンを発売、大ヒット。
伝統菓子クイニーアマンを知られるきっかけとなるが、当時は本来のクイニーアマンはブームにはいたらず流行ったのはあくまで、コンビニの菓子パンである。
だが現在は本格フランス菓子店やブーランジェリーでよく見かける。
♡ロールケーキのスイーツ化
昭和の時代、ロールケーキといえば、菓子パンメーカーで製造販売される、スポンジ生地に油脂クリームやジャムを渦巻き状に巻いたもので、ポリプロピレンフィルムに包まれ、常温で取り扱いできスーパーなどで安売り特売されたりする菓子パンの類であった。
その後、国内の乳業メーカーの努力で、安定的に良質の「生クリーム」が普及するようになると、洋菓子店で「ホイップ生クリーム」を巻いたロールケーキが製造販売されるようになる。
しかしロールケーキは前世代の菓子パンのイメージを払拭できずにいたが、そのイメージを覆し、ロールケーキをスイーツ化したのが熊谷喜八氏率いる「KIHACHI」グループであった。
1988年バブル時代のデートレストランとして話題になった青山の「セラン」をはじめ、90’年代の外食シーンを席巻していた。
平成2年に「パティスリーキハチ」1号店を開業。
その後「キハチ カフェ」、「キハチ チャイナ」などを開業し、10年の「キハチ イタリアン」がオープンするころには、「KIHACHI」のシグネチャーデザート「トライフルロール」が大人気になり、店頭販売していた各地の「パティスリーキハチ」では品切れが続出した。
この「トライフルロール」とは、薄めのしっとりスポンジ生地でイチゴ、バナナ、パパイヤなどのフレッシュなフルーツとたっぷりの生クリームで巻き、中心にカスタードクリームもあって、これまでのロールケーキの菓子パンというイメージを一新してくれた。
これ以降、世間はロールケーキに対する意識をあらたまり、つくり手も刺激されロールケーキが「スイーツ化」したのが、この90’年代後半である。
5続く・・・