今回僕がコラムにするのは誰でもいる人やこの世にいない人もいるはずのおばあちゃんについて
じいちゃんは生まれる前にいないのですが、実家の実在していたおばあちゃんについて書きたいと思います。つまりおっかあの母親についてです!
僕のおばあちゃん
僕はおばあちゃんには色々と苦労かけていました。
でもいなくなってから毎日とはいきませんが仏壇にお線香をあげています。神棚とセットで、
おばあちゃんが生きている間、あーだの、こうだのと色々喧嘩していて、
しまいには死ねなどと自分は
最悪なクソガキでした。でも子供の頃は一緒に寝ていて、仲良かった最高のばあちゃんでした。
ある日、子供の頃ばあちゃんに手相を見てもらったときがありました。苦労人の手相していると言われました。「ばあちゃんは、ほら見ろ金持ちの手相してるだろ、運命線が縦に一直線やろぅ」っていつも言っていました。
また、ある日ばあちゃんがたばこを縁側で吸っていました。
そしたら、おっかあがものすごく怒鳴っている姿が見えました。
たばこのカートンをぐちゃぐちゃにして
捨てた母にばあちゃんは申し訳なさそうにしていました。
ばあちゃんは肺がんで肺を切っていたのをあとで
知りました。肺がんの末期でした。
またある日は、ばあちゃんは乾燥肌で「背中がかゆいからローション塗ってけろ」と頼まれて僕は塗っていました。斜めに大きくメスで切られた手術痕は当時の僕はあまり気にならなかったですが、大人になって意味がわかりました。
小林から志賀へ
僕はばあちゃんが亡くなってから苗字が小林から志賀へ変わりました。丁度僕が中2のとき、17年前のころです。
戸籍上の土地の相続の問題で変わらないといけませんでした。
そのときは突然でした。ばあちゃんが危篤状態になり、
後から親に聞いたのですが亡くなる一日前に苗字の変更の手続きが終えたみたいで
それが遅れていたら僕たち家族は住むところがありませんでした。
ばあちゃんは最後「ありがとう」って言って、しゃべれませんがそう言ったかのように旅立ちました。
僕はばあちゃんが亡くなってから苗字が小林から志賀へ変わりました。丁度僕が中2のとき、17年前のころです。
戸籍上の土地の相続の問題で変わらないといけませんでした。
そのときは突然でした。ばあちゃんが危篤状態になり、
後から親に聞いたのですが亡くなる一日前に苗字の変更の手続きが終えたみたいで
それが遅れていたら僕たち家族は住むところがありませんでした。
ばあちゃんは最後「ありがとう」って言って、しゃべれませんがそう言ったかのように旅立ちました。
まとめ
今回は僕の実家のおばあちゃんを紹介しました!
みなさんのおばあちゃんはどのようなおばあちゃんですか?
やっぱりおじいちゃん、おばあちゃんは特別ですよね。
またおばあちゃんに会いたいです!
その為に地道に生きていきたいと思います。