「仙台」+「5月」と言えば、正解は「青葉まつり」!
今年は「青葉まつり」の前に、改めて私が長年住んでいる仙台を造った仙台藩の初代藩主・伊達政宗公に逢いに行こう!と思いつき、「青葉神社」に参拝に行ってきた。
※「青葉まつり」の本まつりのときに行われる「時代絵巻巡行」に出陣する御神輿は神社から人力で運ばれる。
マサムネ公(神号・武振彦命(たけふるひこのみこと))を祀る「青葉神社」は仙台の中心街から北に約1.5キロ離れた青葉区青葉町という住宅街の一角に鎮座する。(仙台市地下鉄 南北線「北仙台駅」から徒歩7分)
神社周辺の地区は「北山五山」と呼ばれ、覚範寺、東昌寺といった伊達家にゆかりのある禅寺が集まっていて、近くには支倉常長のお墓がある光明寺もある。
今の場所に「青葉神社」が創建されたのは、意外にも1874年(明治7年)と新しい。「青葉神社」はもともと仙台城内にあったが、明治維新の廃城令によって、戊辰戦争に敗れた伊達家は、1873年(明治6年)仙台城を廃城することになった。だが、マサムネ公を慕う住民らが「私たちから神社を取り上げないで!」と強く願い出たことから「青葉神社」を北山に移転、造営した。(この頃、藩祖を祀る神社を創建することが全国的に流行したという)
予習で見た、神社に参拝した人の感想の中に「石段が何段あるのか」と書いている人がいないのが気になって、せっかく来たんだからと石段を数えながら進んで行った。いつも神社を下から見ていたときは200段くらいあるのかと思って怖気づいていたが、全部合わせても101段ぐらいだった…なんだ、迫力に圧倒されていただけだったのか。(パクチー調べ)
石段を数えながら登っていたとき、すれ違った女性グループに笑顔で「こんにちは!」と急に声をかけられたことにビックリして、それまで数えてた数を完全に忘れてもう1回、帰りの下りで数え直した。返したあいさつが中途半端になってごめんなさい!
石段を登り切って着いた神社の敷地は思ったよりシンプルで(←神社ってそういうところだからね)本殿と拝殿、社務所やマサムネ公の家臣を祀る祖霊社などがある神聖な場所が奥にあると思うと、拝殿までの参道の横はベンチがあったりして、休むこともできる広場みたいになっている。ひとりで朝の散歩に来てゆっくりしてもいい場所であり、平日の昼間は近くの保育園の園児たちの遊び場にもなっているようだ。参拝に行ったときも、小っちゃい子どもたちがあちこちで思い思いに遊んでいた。危なくないからいいね!
そして、最近はここの場所で桜が咲いている時期(神社はお花見スポットとして有名)や、青葉まつりの時期、秋などにマルシェが開催されていたりと、地域の人々が集まる、憩いの場にもなっているようだ。
神社の鳥居をくぐって石段を登るたびに緑が濃くなるからか、下界の喧騒も消え、余計なものが一切遮断された空間が広がる。石段を登るだけでも頭に酸素が入ってくるのがわかり、魂レベルで浄化されるような気さえした。最近オツカレの人、ぜひ行ってくださいませ。
「青葉神社」が今でも人々に愛されるのは、マサムネ公がただ強かった戦国武将だったというだけじゃなく、領民を大切にする心を持ち合わせていたからだ。
マサムネ公は、領土を大きく拡大し、現在の宮城県を中心とする仙台藩を確立したあとも自分の領地に住む領民の生活が安定するようにと、領内の治水工事や新田開発に力を注ぎ、農業発展のための政策などを数多く行った。
また、マサムネ公は文化人としての顔もあり、茶の湯や歌、書など多趣味であった。これらの多くは今も「伊達文化」として残っている。
このマサムネ公の生き方や精神が先人たちから受け継がれたことで、今日も変わらずに私たちもマサムネ公を尊敬し、「青葉神社」は同じ気持ちを持った人たちのオアシスとして必要とされている。
青葉神社プチ情報!
●代々「青葉神社」の宮司さんはマサムネ公の右腕として仕えていた重臣・片倉小十郎(景綱)のご子孫!片倉小十郎(景綱)が戦国ゲーム「戦国BASARA」に登場することで、今でも若い女性ファンが全国から子孫の宮司さん目当てに神社に来るそうだ。現在の宮司さんは片倉家16代目にあたり、今でも「伊達家の守護神」は健在している。
●「青葉神社」は実は、マサムネ公と正室の愛姫(めごひめ)が合祀されていることから『良縁』にもご利益があり!!すでに家族がいる人は「家内安全」のご利益が。また、マサムネ公は商業にも力を入れていたので「商売繁盛」にもご利益がある。今すぐ行くっきゃない。行かない理由がない!私にもご利益がありますように☆
●ちなみに神社に仙台駅方面からバスで行くときは、近くのバス停で降りたらお弁当屋さんの「ほっともっと」が目印!この奥の森にマサムネ公が待っている。(この通りは今も通称「青葉神社通」と言われている)
神社の石段からの青葉神社通。「ほっともっと」を越えて、まっすぐに仙台市の国分町方面に繋がる。