『野球のチーム (東北楽天ゴールデンイーグルス)1』

こんにちは、二十六回目の投稿になります。

今回は、野球のチーム(東北ゴールデンイーグルス)について深堀していきたいと思います。

『野球のチーム (東北楽天ゴールデンイーグルス)』

⚾野球(東北楽天ゴールデンイーグルス)のこと⚾️

今回はじめは、野球のチーム(東北楽天ゴールデンイーグルス)について 野球のチーム(東北楽天ゴールデンイーグルス)とは、東北宮城県仙台市にあるプロ野球チームの本拠地です。

皆さんは、プロ野球チームを知っていますか?

野球チーム(東北楽天ゴールデンイーグルス)について詳しく書いていきたいと思います。

⚾野球(東北楽天ゴールデンイーグルス)とは⚾️

皆さんは、野球には詳しいですか?

球団の歴史

☆球団創立

2004年

6月に明るみに出たオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、楽天が本拠地を神戸市または大阪市とするプロ野球参入の意思を表明。

この時点ではコミッショナーの根來泰周は「参入は時間的に難しい」と述べていた。

9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。

10月13日、初代監督に田尾安志が就任することが発表される。

10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した。

「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の世界遺産・白神山地に棲息する猛禽類・イヌワシに拠る。

この時すでに「ゴールデンイーグルス」の商標をライブドアが取得していたことが発表後に判明し、すべての権利を買い取ることになった。

新規参入決定後の11月8日、オリックスと近鉄の選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定。

11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議に参加。

明治大学の一場靖弘を自由枠で獲得したことに加えて、大学・社会人球界から「即戦力」になりうる6名の選手を指名した。

さらに、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。

また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが、入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。

ドラフト会議で指名した選手のうち、東北に唯一縁のあった5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)は、現役引退後の2018年に一軍のコーチとしてチームに復帰。

いわゆる「松坂世代」に当たる6巡目指名の平石洋介(トヨタ自動車)は、現役引退後もチームに在籍したまま、一軍・育成コーチや二軍監督を経て一軍の監督代行を経験し、2019年には楽天の生え抜きとしては初の監督に就任。

チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう、2箇年計画で増改築されることが決まった。

その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始した。

その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。

命名権は二軍のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。

また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。

仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。

一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)を使用することになった。

その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化。

仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(ただし二軍本拠地は変更しない)。  

新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。

☆田尾監督時代

2005年

2月1日の沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。

2月26日、新大分球場にて球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦が行われ、4対3で勝利した。

オープン戦は16試合で7勝8敗1分だった。

3月26日にパ・リーグ公式戦が開幕し、楽天は球団として初の一軍公式戦となる千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発の岩隈が完投し3対1で勝利した。

球団創立以来一軍公式戦で、1試合も戦っていなかった球団が球団創立以来一軍公式戦で戦った経験のある球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、日本プロ野球史上初めてのことであった。  

だが、翌3月27日の第2戦は、打線がロッテの先発・渡辺俊介の前に1安打に抑えられ、2リーグ制開始以降としては最大得点差の0対26で一軍公式戦初敗戦を喫した(当該試合記事を参照されたい)。

その後4連敗し、4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回先頭打者の礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の一軍公式戦本塁打を放つなど、16対5でチームは開幕戦以来のシーズン2勝目となった。

しかし4月15日の北海道日本ハムファイターズ戦から29日の西武戦にかけて11連敗で、勝率が1割台に突入。

このため、4月30日にGMのマーティ・キーナートをチームアドバイザーに(代わりに編成部長の広野功がGM代行を兼任した)、またヘッドコーチの山下大輔と打撃コーチの駒田徳広を二軍にそれぞれ降格(替わって二軍監督の松井優典と同外野守備・走塁コーチ橋上秀樹が昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。  

5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位に終わった。

7月には10勝9敗1分けで球団史上初の月間勝ち越しを記録したものの、8月にはシーズン2度目の11連敗[注釈 3]を喫するなどして、8月29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。

8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年における8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。

9月25日のホーム最終戦(ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表された。

最終成績は38勝97敗1分・勝率.281で、1970年にヤクルトが記録して以来35年ぶりの最終勝率3割切りとなった。

開幕前からささやかれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差を付けられた。

2リーグ制以降の新球団の初年度の成績としては最低の勝率となった。

チーム最多勝は岩隈の9勝で、その次は福盛和男の4勝など戦力的に他球団と格段の差があった。

分配ドラフトの仕様など、最低限の戦力の保証が一切無かった事が大きく響いてしまった。

編成部長の広野によれば「他のチームは補強費に40億近く用意しているのに、(楽天では)オーナーからもらった補強費は20億しかない」状態だったとのことで、三木谷浩史オーナーには「20億のチームが40億のチームに簡単に勝てたらおかしい」と説明していたが、それでもチームが試合に負けるたびに三木谷から米田純球団代表へ叱責の電話が止まなかったという。  

田尾監督の後任には南海やヤクルト、阪神などの監督を歴任した野村克也が就任した。

このとき広岡達朗のGM就任や、同時期に巨人を退団した清原和博の獲得なども検討されていたが、結果的にどちらも実現しなかった。

☆野村監督時代

2006年

弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。

この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズからセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。  

オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム、香川県営野球場、静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合が組まれた。  

リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。

その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。

イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。

練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。

3月25日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈が故障のため、前年2勝止まりだった一場が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。

交流戦では5月25日のヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でリック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫した。

最終成績は17勝19敗で7位。

後半に入ると、8月20日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)でリーグ戦初の同一カード3連勝。

9月以降の成績を9勝10敗1分としたものの、9月23日の西武戦で開幕から5位以上となることなく 2年連続最下位が決定。最終成績は47勝85敗4分で、5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。

ホセ・フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。  

9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大を1巡目で指名した。

日本ハム、オリックス、横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。

2007年

3月24日の開幕戦のグッドウィルドームの西武戦で岩隈が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。

翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。

4月1日のオリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にフェルナンデスと山﨑がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。

同17日から19日のソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。

5月には、山﨑が球団初となる月間MVPを受賞。  

7月2日にオールスター戦で8選手がファン投票で選出され[14]、田中、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部、山﨑と楽天の選手が占めた。

しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、監督の野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハムの監督のトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。  

8月は月間15勝。

9月も好調を維持し、初の2か月連続勝ち越し。

29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。

対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シーズン対戦成績で勝ち越している。

総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。

山﨑が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打108打点の成績で本塁打、打点の二冠王となり、田中が球団初の新人王を獲得。  

楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻り、日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。

1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。

2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。

2008年

スローガンは「Smart & Spirit 2008 考えて野球せぃ!」。  

3月20日の開幕戦のソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回裏に逆転サヨナラ3ラン本塁打を打たれて敗れ開幕から4連敗するが、その後7連勝で4月3日のロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。

交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)。

6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。

シーズン途中で前日本ハムのフェルナンド・セギノールを獲得し、打線強化を図る。

だが8月以降も岩隈が奮闘するものの負けが込む。

シーズン最終戦となる10月7日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。

65勝76敗3分の5位に終わった。

チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。

また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。

岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP、沢村賞、ベストナイン(投手)に選ばれている。

セギノールも低迷するチームの中で大きく奮闘した。  

シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。

翌年も引き続き楽天を指揮することになった。

また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。

小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。

2009年

スローガンは 「Smart & Spirit 2009 「氣」~越えろ!~」。  

1月にメジャーリーグベースボールのオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。

WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日のオリックス戦と翌24日の西武戦)。

4月3日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝で4月15日まで首位に立ち、一端首位から落ちたものの初めて4月を首位で終え5月11日まで首位だったものの、交流戦では6連敗するなど最終的には9勝15敗の10位。

打線の軸として期待された中村紀やセギノールも開幕から低迷し、二軍落ちするなどの誤算もあり7月も8連敗するなど低迷は続く。

しかし、8月以降の3か月で38勝21敗と勝ち進み9月12日のソフトバンク戦では球団史上初となるクライマックスシリーズ進出のマジックナンバー19が点灯し、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた。

同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し、CS第1ステージ地元開催権を獲得。

最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。

投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井怜)が2桁勝利を挙げた。

10月12日、野村は球団から監督退任を通告される。

10月16日から行われたCSの第1ステージはKスタ宮城でソフトバンクと対戦し2連勝で第2ステージ進出するものの、札幌ドームでの日本ハムとの第2ステージは第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け。

第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退。

CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任。

後任の監督に、この年まで広島東洋カープ監督を務めたマーティ・ブラウンが就任。

野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)。

2続く・・・

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