☆ブラウン監督時代
2010年
スローガンは「Smart & Spirit 2010 Eagle Fire!」(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。
3月20日、開幕戦のオリックス戦(京セラドーム)に1対0で敗れ、その後チームは4連敗。
交流戦は12チーム中第5位(3位と同率も前年度順位が考慮された)となったが、この年の交流戦は上位6チームをパ・リーグが独占。
そのためリーグでの順位が浮上することはなかった。
交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位になって以降は1度も順位を浮上させることができず、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定した。
開幕から1度も勝率を5割に乗せることができず、最終戦績は62勝79敗3分で優勝したソフトバンクとは15ゲーム差、5位のオリックスとは7.5ゲーム差。
ホームゲームの平均観客数も前年より1000人近く減少。
こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウンの監督解任を発表。
ブラウン監督の後任に、中日ドラゴンズ、阪神タイガース元監督で阪神のシニアディレクター・星野仙一が就任した。
☆星野監督時代
2011年
メジャーリーグ経験者の岩村明憲や松井稼頭央を獲得。
また、ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍を表明していた岩隈も入札で独占交渉権を獲得したオークランド・アスレチックスとの交渉が決裂し、球団に残留。
キャプテン制度導入に伴い、鉄平が球団初代キャプテンに就任した。
チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。
当初、3月25日のKスタ宮城でのロッテ戦で創設以来初の本拠地開幕戦を迎える予定であったが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で仙台市が大きな被害を受け試合が主催できる状態でもなく、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ、修復工事が必要となったことから一時的に関西で主催試合を代替で行うことになった。
この日、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中で、選手は全員無事であった。
13日に練習再開、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い、関西などを中心に開幕までの練習を行い、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている。
4月2日・3日には12球団によるチャリティー試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。
このとき、嶋基宏が「見せましょう野球の底力を」とスピーチした。
4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野は「遅くなってすみませんでした。
ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している(この真っ最中にも、強い余震が起きた)。
4月11日には、フアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された。
東日本大震災により、2011年のセ・パ両リーグ全体の開幕日は4月12日に延期となった。
同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦、主催試合初4月15日からの阪神甲子園球場での対オリックス戦。
本拠地・Kスタ宮城での初戦は宮城県が「震災復興キックオフデー」とした4月29日対オリックス戦となり、いずれも勝利した。
詳細は「東日本大震災によるスポーツへの影響#日本プロ野球」を参照
4月を9勝6敗で2位で終えたが、5月は7勝14敗2分と負け越し、岩村や鉄平が打率1割台と低迷、エースの岩隈も18日離脱した事が原因とされ、18日には5位、翌6月4日には最下位となっている。
交流戦も、9勝13敗2分の9位と低迷した。
一方で田中が6、7月に連続して月間MVPを受賞するなどの活躍もあり、7月には永井怜が故障で離脱したものの、岩隈が復帰、ダレル・ラズナーが抑えに転向し5セーブ、新人の塩見貴洋が2勝を挙げるなどもあり、12勝10敗1分と勝ち越す。
8月、前半に7連敗するも、後半に球団タイの7連勝もあり勝ち越す。
しかし9月は8勝14敗と失速し、終盤までクライマックスシリーズ進出争いには加わったものの10月13日に進出の可能性がなくなり、最終的に66勝71敗7分、首位のソフトバンクと23.5ゲーム差、3位の西武と3ゲーム差の5位となった。
統一球の影響もあり、本塁打は球団最少の53本で7月から8月にかけ、17試合連続で無本塁打の球団ワースト記録となった。
ヤフードーム(11試合)と札幌ドーム(8試合)においては、それぞれ本拠地球場となってからはパ・リーグ球団初の本塁打0に終わっている。
田中が最多勝、最優秀防御率、最多完封の三冠王とベストナイン及びゴールデングラブ賞の投手部門を獲得した。
この年は山﨑武司が戦力外通告を受け、退団した(中日に復帰)。
2012年
1月、岩隈がMLB・シアトル・マリナーズにFA移籍した。
チームスローガンは「Smart & Spirit 2012 ともに、前へ。」。
3月30日、球団初の本拠地開幕戦となるロッテ戦が行われたが3対5で敗れている。
交流戦は10勝14敗で9位。
一方、6月24日にDeNAから内村賢介とのトレードで藤田一也を獲得。
オールスター直前までの前半戦を40勝38敗3分の3位として、球団初のAクラス、勝率5割以上で折り返すが、後半戦に入り8連敗を記録するなど、順位を下げた。
9月を勝ち越して終盤までソフトバンク、ロッテとクライマックスシリーズ進出争いを展開するが、10月4日の139試合目の対西武戦(Kスタ宮城)で引き分け、 楽天のBクラスが確定した。
最終戦のロッテ戦(Kスタ宮城)に勝利し、67勝67敗10分で首位の日本ハムと7.5ゲーム、3位のソフトバンクと1ゲーム差の4位に終わるが、3年ぶりにシーズン5割以上の成績を残した。
8月1日付で三木谷元球団会長が球団オーナーに復帰し、球団社長には証券会社勤務だった立花陽三が就任した。
シーズンオフにはMLB・ダイヤモンドバックスからFAとなった斎藤隆を獲得し、岩村が戦力外通告を受けた。
また、現役メジャーリーガーのアンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーを獲得したことが発表された。
野村名誉監督も、任期満了で同職を退任している。
2013年
チームスローガンは「Smart & Spirit 2013 HEAT!」。
開幕投手と見られた田中がWBCでの疲れから辞退したことで、開幕戦のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は則本昂大が新人投手としてはパ・リーグ史上55年ぶりの開幕投手となるが1対7で敗れている。
4月27日の西武戦(西武ドーム)に9対2で勝利し、球団通算500勝を達成するが、序盤から5割前後の成績で4月を9勝13敗と負け越し、5月3日には借金が4になるが、その後は勝ち星を伸ばし、交流戦はソフトバンクと優勝を争ったものの、0.5ゲーム差の2位に終わった。
7月4日に首位のロッテに勝利し、6月以降では球団初の同率首位に並ぶと 7月6日に単独首位に浮上、前半戦をそのまま首位で折り返し、以降は首位を明け渡すことはなく。
8月28日に球団史上初の優勝へのマジックナンバー28が点灯した。
その後9月1日にはマジックが消滅するものの、9月5日に再点灯し、9月22日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に15対1で勝利し、4年ぶり2度目の2013年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ進出が決定し、9月23日の同戦で球団新記録のシーズン78勝とした。
優勝へのマジック2で迎えた9月26日、マジック対象チームのロッテが対日本ハム戦(札幌ドーム)で敗れ、楽天が対西武戦(西武ドーム)で4対3で勝利したことで、初のパ・リーグ優勝が決定した。
球団創設9年目での優勝は日本プロ野球史上5番目のスピードでの達成。
これにより、日本プロ野球現存12球団と2004年に消滅した近鉄を含む13球団全てが前身を含め、リーグ優勝をした。
この日、田中は自身初セーブを記録した。
クライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では、3位のロッテと対戦し4勝1敗で日本シリーズに初めて進出を決めた。
読売ジャイアンツとの日本シリーズでは、3勝2敗で王手をかけた第6戦で2対4で敗れ、先発の田中がこの年シーズンから通じて初めての公式戦で敗戦投手となりタイとされるが、11月3日の第7戦(Kスタ宮城)で、3対0で勝利し4勝3敗で初出場で初の日本一を達成した。
この試合で来季からメジャー挑戦が既に決まっていて前日に160球を投げ、負け完投した田中がクローザーとして登板し、渡米前最後の試合で最高の置き土産を残した。
この時の田中の登場曲『あとひとつ』の大合唱は球史に残るほどのものとなった。
また、星野は中日時代に現役、コーチ・監督を合わせて4回、阪神の監督時代に1回と計5回も日本一を逃していたが、球界入り44年目にして初めてかつ彼の生涯最初で最後の日本一を経験した。
この時の日本一監督インタビューの「もう最高!東北の子どもたち、全国の子どもたちに、そして被災者のみなさんに、これだけ勇気を与えてくれた選手を褒めてやってください」は名言になっている。
これにより、同12球団全てが前身を含め、日本一になったと同時に、「日本プロ野球全12球団が2024年現在の球団名に変更後、初代パ・リーグ日本一球団」となった。
同月、台湾で開催されたアジアシリーズでは、11月19日の準決勝の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦(台湾・中華職業棒球大聯盟)に1対4で敗れたため、日本からの出場チームでは初めて決勝に進めなかった。
田中が8月に開幕からの公式戦連勝と、前年8月26日からの公式戦連勝の日本プロ野球新記録を樹立、シーズン後にはこれらの記録とポストシーズンの2勝を含めた30連勝がそれぞれギネス世界記録に認定された。
24勝0敗1セーブで日本プロ野球史上初のシーズン無敗での最多勝を達成、最優秀防御率と勝率第1位も獲得し、沢村賞、MVPを獲得した。
チームからはゴールデングラブ賞は3人、ベストナインには4人がそれぞれ選出、新人王に則本が選出された。
11月24日、優勝パレードが仙台市内中心部で行われ、約21万4千人の観衆を動員した。
2014年
スローガンは、「Smart & Spirit 2014 HEAT UP!」。
1月23日、田中がポスティングシステムでMLBニューヨーク・ヤンキースに移籍。
5月26日、星野監督が腰痛のため、対ヤクルト戦(神宮)で休養し、投手コーチの佐藤義則が指揮を執った。
5月27日に腰椎椎間板ヘルニアおよび胸椎黄色靱帯骨化症と診断された星野監督の休養と、佐藤が監督代行をつとめることが発表された。
7月2日、監督代行に二軍監督の大久保博元がつき、佐藤は一軍投手コーチに専念することになった。
7月24日より星野が監督に復帰するが、チームは低迷し、9月6日にはリーグ優勝の可能性が消滅し、9月18日に星野が退任を発表、9月29日にはBクラスが確定、10月7日の対オリックス戦(コボスタ宮城)にも敗れ、楽天は最下位が確定した。
前年優勝チームの最下位は、前年の日本ハムに次いで史上5度目となった。
10月14日、次期監督に大久保の就任を発表した(星野は、シニアアドバイザーに就任した)。
8月、コボスタ宮城の全面増築が完成、先行完成(3月)した楽天山観覧席と、8月に完成した三塁側上段の増設席を合わせ28,907人収容となった効果もあり、8月30日の対ソフトバンク戦において、レギュラーシーズン・ポストシーズンを通して当球場歴代最多となる25,308人を集客 したのを皮切りとして、観客動員記録を次々更新。
最終的には1,450,233人(1試合平均単位で20,142人)の球団新記録を達成した。
このうちコボスタ宮城に限れば67試合で1,350,293人(1試合平均20,153人)を記録した。
ドラフト会議では、高校生ながら最速で157km/hを記録した右腕投手の安樂智大を1巡目指名で獲得した。
☆大久保監督時代
2015年
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2015 一致団結」。
2013年から4番打者として君臨していたアンドリュー・ジョーンズが退団。
ジョーンズに代わる現役メジャーリーガーとして、ヤンキースからゼラス・ウィーラー、ピッツバーグ・パイレーツからギャビー・サンチェスを獲得した。
シーズン開幕直前には、前年にオリックスの主力として活躍したウィリー・モー・ペーニャも獲得することで打線に厚みを増させた。
投手陣は、抑えの切り札として広島東洋カープからキャム・ミコライオを獲得したほか、2013年まで在籍していたケニー・レイとジム・ハウザーが復帰した。
開幕以来なかなか波に乗ることができなかったが、交流戦では全18試合のうち2点差以内は15試合、延長戦は5試合と粘り強く戦い、10勝8敗の4位で終え2年ぶりに勝ち越した。
交流戦のチーム防御率2.47は12球団トップであった。
交流戦以降はロッテと4位・5位を争い、前半戦を5位でターンした。
後半戦に入り、7月22日の日本ハム戦で1試合の最多得点での球団新記録となる19得点を記録したが、7月30日に一軍打撃コーチの田代富雄が退任した。
シーズンの途中でハウザーが再び退団し、トレードおよび新外国人選手獲得期限日の7月31日には、アガスティン・ムリーロを獲得している。
が、8月25日のオリックス戦に敗れたことで最下位に転落した。
その後は一時5位に浮上したものの、8月28日の西武戦に2-3で敗戦。
この敗戦によって、楽天の自力でのクライマックスシリーズ進出の可能性が消滅したことから、大久保監督が辞任の意向を示した。
9月7日には、前監督の星野が取締役副会長に就任することが発表された。
星野は「球団の編成・ドラフト戦略・経営にも関与できる現場の総責任者」という立場で、三木谷オーナー・立花社長に次ぐ権限を有するようになった。
9月22日のロッテ戦に敗れてクライマックスシリーズ進出の可能性が完全に消滅し、2年連続のBクラスも確定したため、大久保が同日に成績不振の責任を取って監督を退任することを正式を発表した。
終盤はオリックスと5位の座を争ったが、10月3日の対ロッテ戦に敗れたため2年連続での最下位が決定した。
シーズン通算では57勝83敗3分(勝率.407)という成績でパ・リーグの全チームに負け越した。
チーム打率、防御率、得点はいずれもリーグ最下位で失点もリーグ最多を記録した。
しかしその一方で、主催試合のシーズン通算観客動員数は歴代最多の1,524,149人に達した。
シーズン終了後には投手陣で唯一の球団創設メンバー・小山伸一郎、地元・仙台出身でチーム最年長選手でもあった元メジャーリーガー・斎藤隆、2006年の大学・社会人ドラフト会議1巡目指名で入団した永井怜が現役を引退した。
10月8日、大久保の後任として近鉄・日本ハムの監督を歴任した梨田昌孝の監督就任を発表。
2015年シーズンは「チームとフロントの一体化」であるとしてオーナーである三木谷がスタメン、打順、さらには一・二軍の入れ替えなどを指示することが多かった。
しかしシーズン後半には現場の意見も取り入れるようになってきてそれをオーナーが決裁を出す形となった。
オーナーの現場介入は打撃コーチである田代がこれを許せないとしてシーズン途中で退団するなど批判の声があがっている。
☆梨田監督時代
2016年
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2016 夢と感動」。
2年続けて最下位に陥るほどの低迷から脱却するために大型補強を敢行し、ここ2年固定できなかった三塁手を補強すべく、千葉ロッテマリーンズからFA権の行使を宣言していた今江敏晃と契約した。
また、かつて広島東洋カープの主力打者だった山形県出身の栗原健太、千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けていた川本良平、中日ドラゴンズから戦力外通告を受けていた山内壮馬、福岡ソフトバンクホークスから戦力外通告を受けていた金無英と入団テスト経由で契約。
外国人投手では先発・リリーフ両方に対応できるラダメス・リズとジェイク・ブリガムを獲得したほか、WBSCプレミア12の台湾代表に選出された宋家豪と育成選手契約を結んだ。
さらに、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル二冠王のジャフェット・アマダーとMLB通算162本塁打の実績を誇るジョニー・ゴームズを獲得した。
2月1日から、楽天Koboスタジアム宮城の短縮表記を「コボスタ宮城」から「Koboスタ宮城」に変更し、5月には社会人・大学・クラブチームと対外試合を年に30戦程度実施することを前提に、若手選手の実戦経験を増やす目的で球団内に「育成チーム」を編成した。
公式戦では、茂木栄五郎を開幕から内野のレギュラーに抜擢するなど新人選手を積極的に起用した。
ドラフト1巡目入団のオコエ瑠偉も高卒新人野手では球団史上初の開幕一軍入りを果たすと、セ・パ交流戦期間中から正中堅手に定着した。
序盤に一時首位に立つも、その後順位は急降下し4位に沈んだ。
正捕手の嶋が故障で戦線を離れた5月下旬からはドラフト6巡目入団の足立祐一にスタメンマスクを託した。
交流戦では11勝7敗の4位と健闘したが、リーグ戦の再開後はソフトバンク・日本ハム・ロッテの後塵を拝する状況が続いた。
新外国人のゴームズは18試合で打率1割台・本塁打1本にとどまり4月22日に一軍登録を抹消され、帰国・退団、パ・リーグの最年長選手だったレイも成績不振を理由に退団した。
オープン戦の序盤に負傷したアマダーは5月下旬に公式戦デビューを果たしたものの、以降も再三にわたって故障で戦列を離れた。
さらに今江・銀次・松井稼頭央などの主力打者も故障や打撃不振などで一軍と二軍を往復した。
7月にはシアトル・マリナーズ時代にイチローとチームメイトだったカルロス・ペゲーロ、球団史上初めてのキューバ出身選手としてフェリックス・ペレスを獲得した。
終盤には順位で西武にも抜かれ、5位に転落した。
9月29日のオリックス戦に勝利したことで、オリックスの最下位が確定したため、チームは3年ぶりに最下位を脱出し、5位でシーズンを終えた。
西武に対しては球団史上初めてシーズンの勝ち越しを果たした。
シーズン終了後には野手陣で唯一の球団創設メンバー・牧田明久、栗原、川本、山内、金ら移籍組、2007年の大学・社会人ドラフト会議1巡目指名で入団した長谷部康平が現役を引退した。
外国人選手ではウィーラー、アマダー、ペゲーロが残留する一方で、リズ、ブリガム、ペレスが退団し、前年の故障からセットアッパーとして復活したミコライオとの残留交渉が不調に終わった(後に退団)。
ドラフト会議では、1巡目の藤平尚真をはじめ、支配下登録選手としての指名を経て入団した10人中9人を投手が占めた。
3続く・・・