2017年
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2017 東北・夢・再び」。
前年10月31日付で楽天が宮城球場の命名権に関する3年契約を締結したことに伴って、1月1日付で本拠地の呼称を「Koboパーク宮城」に変更した。
同月16日には、球団副会長の星野が監督時代の実績を買われて野球殿堂顕彰者(エキスパート部門)に選ばれた。
西武からFA権の行使を宣言していた仙台市出身の岸孝之やソフトバンクからのコーチ就任要請を固辞して退団した青森県出身の細川亨と契約。
さらに、柿澤貴裕との交換トレードで、巨人から小山雄輝が移籍した。
春季キャンプ中には、前年10月にDeNAから戦力外通告を受けていた久保裕也を入団テスト経由で獲得した。
外国人選手については、フランク・ハーマンと契約を結んだ。
レギュラーシーズンの開始前に催された2017 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には、則本と松井裕樹が日本代表、アマダーがメキシコ代表として出場し、当初は嶋も日本代表に選ばれていたが、春季キャンプから右ふくらはぎの張りで調整が遅れたため本大会の直前に出場を辞退した。
則本は、WBC出場の影響で入団以来初めて開幕投手を外れた。
公式戦では、ウィーラー、アマダー、ペゲーロを同時にスタメン起用し、1番に茂木、2番にペゲーロ、5番に銀次を据えた攻撃型の打線でスタートした。
開幕投手には、岸が内定していたが開幕直前にインフルエンザB型へ感染したため、対戦相手であるオリックスとの相性の良い美馬学が初めて起用された。
また、新人投手の森原康平・高梨雄平・菅原秀が中継ぎ要員として揃って開幕一軍入りを果たした。
開幕戦からの4連勝でスタートダッシュに成功してパ・リーグの首位に立つと、4月を16勝5敗の勝率.761、5月を16勝7敗の勝率.696で終えた。
この間には3連敗が1度もなかった。
さらに則本が4月19日の西武戦から8試合連続で2桁奪三振(NPB新記録および世界プロ野球タイ記録)を達成した。
則本と共に先発陣を構成する美馬・岸や、クローザーの松井裕も好調で、ハーマンと共にセットアッパーを務める福山博之は、開幕戦から36登板試合連続で自責点を0に凌いだ。
5月以降はソフトバンクとリーグ戦で首位争いを展開した。
交流戦ではソフトバンクが優勝したものの、3連敗を2度経験しながら10勝8敗の5位で終了した。
6月28日にははるか夢球場(弘前市運動公園野球場)でオリックス戦を開催。
球団創設13年目にして球団の主催による青森県内での一軍公式戦が初めて実現し、辛島航が先発で白星を飾った。
この試合によって日程上は東北全6県での開催が実現したが、4月13日に福島県のヨーク開成山スタジアムで予定されていた西武戦が降雨で中止になったため、実公式での全県開催は2018年以降に持ち越された。
6月中には、BCリーグの富山サンダーバーズからジョシュ・コラレスを獲得した。
7月には2日にソフトバンクに敗れたことでソフトバンクとのゲーム差が−0.5ゲーム差となり、前年のソフトバンクに続き2位とのゲーム差がマイナスでの首位となる事象が発生した。
7月7日にシーズン初めてソフトバンクに首位を明け渡すが、2日後には首位に再浮上した。
前半戦最後のカードであったソフトバンクとの首位攻防2連戦で2連勝したため、4年ぶりに前半戦を首位で折り返した。
しかし、交流戦の終盤から主力選手に故障者が続出し、茂木・藤田一也・ペゲーロ・岡島豪郎・松井裕・今江が相次いで戦線を離脱した。
NPBレギュラーシーズン中のトレード期限が迫っていた7月下旬には、巨人のルイス・クルーズを金銭トレードで獲得した。
獲得当日(26日)のソフトバンク戦から、茂木が遊撃の守備、ペゲーロが一軍に復帰する8月上旬まで一軍の公式戦に出場した。
さらにこの試合で則本が入団1年目から5年連続のシーズン2桁勝利を達成し、チームは4連勝と6連勝を1回ずつ経験した影響で、7月を13勝7敗の勝率.650で終えた。
8月には2日に再び首位から陥落すると、投打の歯車が噛み合わないまま急失速した。
前述した故障者のうち、今江以外の選手が相次いで一軍に復帰してもこの傾向に歯止めが掛からなくなった。
一時はパ・リーグのレギュラーシーズンでは35年ぶりにマイナス1ゲーム差で首位に立った ものの、ソフトバンクや3位・西武との3連戦が組まれていた8月第3週から第5週までの通算15試合で、1勝13敗1分と大きく負け越した。
首位・ソフトバンクとの差が10ゲームにまで広がり、31日の西武戦で敗れるとシーズンで初めて3位に転落した。
結局、8月の通算成績は7勝18敗1分でシーズン初の月間負け越しを記録した。
さらに8月23日のロッテ戦から9月3日のソフトバンク戦まで、球団初年度以来12年ぶりの公式戦10連敗を記録している。
9月2日の対ソフトバンク戦で敗れたことによってチームの自力優勝の可能性が消滅し、本拠地での主催試合でも、8月18日のソフトバンク戦から9月9日のオリックス戦まで10連敗を喫した。
この間には、前述した攻撃型打線の組み替えを繰り返す一方で春季キャンプ中の故障で出遅れていたオコエがスタメンに再び定着するほど好調を見せた。
また、高卒新人の藤平もチームが6連敗中だった8月22日のロッテ戦で一軍初勝利を果たすと、チームの10連敗で迎えた9月5日の日本ハム戦でも先発勝利を記録した。
さらにウィーラー・ペゲーロ・アマダーが9月中旬までに20本以上の本塁打を放ったため、「同一球団に在籍する3人の外国人選手が同一シーズンでいずれも20本以上の本塁打」というNPB一軍公式戦史上初の記録を樹立し、投手陣では則本と美馬が2桁勝利を達成した一方で、岸は防御率2.76ながら7連敗(8勝10敗)でレギュラーシーズンを終えた。
9月中旬以降は、16日にソフトバンクのリーグ優勝が決まったものの24日に楽天の3位以上が確定した。
以降の試合で2位に返り咲けないまま10月4日の対ロッテ戦を延長12回引き分けで終了となった。
チーム史上初めてレギュラーシーズンを3位で終えた。
ポストシーズンでは、西武とのクライマックスシリーズ (CS) ファーストステージ(メットライフドーム)第1戦においてレギュラーシーズン中の対戦で8戦全敗だった菊池雄星を相手に0 – 10の大差で完封負けを喫したが、第2戦からの2連勝によってパ・リーグの優勝チームとして臨んだ2013年以来4年ぶり(勝ち上がりは2009年以来)にCSファイナルステージへ進出した。
パ・リーグが2007年から導入しているCS制度で、ファーストステージの第1戦に敗れたチームがファイナルステージへ進出できた事例はこの年の楽天が初めてである。
迎えたソフトバンクとのファイナルステージでは、第1戦から2連勝しCS第2戦から4連勝と上り調子にあったが、則本・岸・美馬を先発に立てた第3戦以降の試合で3連敗を喫し、4年ぶりの日本シリーズ進出を逃した。
この時点で日本シリーズの出場および制覇回数は1回であったが、過去2回出場したシリーズをいずれも制していた横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位からCSを突破)が、この年の日本シリーズでソフトバンクの前に敗退した。
日本シリーズで敗退したことのないチームはNPBの12球団で楽天だけになった。
日本シリーズの終了後には、チーム最年長の現役選手だった松井稼頭央がコーチ就任の打診を固辞。
他球団での現役続行を希望し、テクニカルコーチ兼任の外野手として、15年ぶりに西武へ復帰した。
また、巨人から移籍した2013年以降サイドスローの左腕投手として中継ぎで活躍した金刃憲人などが現役を引退した。
2009年以降もコーチとして楽天への在籍を続けてきた礒部が退団する一方で、ドラフト会議での1巡目指名を経て在籍していた片山博視(2006年入団)・武藤好貴(2012年入団)や、一軍のクリーンアップを一時担っていた内野手の中川大志に戦力外通告を実施した(中川はDeNA、片山はコーチ兼任でBCリーグの武蔵ヒートベアーズ、武藤は入団前に所属していたJR北海道硬式野球部の後継チーム・JR北海道硬式野球クラブで現役を続行)。
外国人選手は前年に在籍していた7選手からクルーズ以外の6選手が残留した。
ドラフト会議では、東京六大学野球のリーグ戦で歴代3位の通算21本塁打を記録した慶応大学の岩見雅紀を2巡目で指名。
5巡目では、NPBの球団では初めてBASEBALL FIRST LEAGUEに加盟する球団の選手として兵庫ブルーサンダーズ所属の田中耀飛を支配下登録選手として指名した(いずれも指名後に入団、田中は入団後に「耀飛」の名で登録)。
2018年
楽天が宮城球場の命名権を保持したまま、1月1日付で球場の呼称を「楽天生命パーク宮城」に変更した。
1月4日には、チームの4代目監督でもあった星野仙一球団代表取締役副会長が膵臓癌のため70歳で永眠した。
球団では同月6日にその事実を公表し翌7日から3日間は楽天生命パーク宮城、オープン戦の期間中には主催試合の開催球場に献花台を設置した。
また、星野がかつて一軍監督やオーナー付シニアディレクターを務めた阪神球団との共同運営による「お別れ会」を東京と大阪で開催した。
大阪での「お別れ会」開催直後の3月26日には三木谷オーナーの意向に沿って、星野氏が監督時代に付けていた背番号77を永久欠番として扱うことが球団から正式に発表された。
外国人選手については、オコエ・ディクソンと新たに契約。
また渡辺直人が8年ぶりに、2015年から3年間ソフトバンクの一軍投手コーチを務めていた佐藤義則が一軍投手コーチとして4年ぶりに復帰した。
ソフトバンクからは、前年の細川に続いて捕手の山下斐紹を西田哲朗との交換トレードで獲得した。
チームスローガンは、「日本一の東北へ。」。
一方、球団創設以来初めてユニフォームのデザインをホーム・ビジター用とも一新した。
ただし、レギュラーシーズン中には星野副会長の監督時代の背番号(77)をユニフォーム左胸部分の裏に付ける。
4月3日に楽天生命パークで開かれた日本ハムとのホーム開幕戦では、星野副会長の監督時代の背番号77を入れた2014年仕様のユニフォームを、監督、コーチ、選手、スタッフ(総勢115名)が着用した(ユニフォームの変遷は「ホーム用」、「ビジター用」を参照)。
レギュラーシーズンでは、オープン戦を打率トップで終えた内田靖人を開幕一軍のメンバーに初めて抜擢。
3月30日にZOZOマリンスタジアムで催されたロッテとの開幕戦を延長12回の末に3 – 2というスコアで勝利し、球団史上初めてシーズンのスタートを3年連続白星で切った。
以降の試合では打線や救援陣がこぞって振るわず、球団史上12年ぶりに4月中に2桁の借金を喫した。
5月1日には一軍と二軍の間で一部のコーチを入れ替え、一軍打撃コーチの高須洋介と内野守備走塁コーチの立石充男が二軍へ、二軍打撃コーチの栗原健太と育成コーチの真喜志康永が一軍に異動した。
しかし、開幕から10カード連続でカード勝ち越しがなく、開幕から31試合目に当たる同月6日の対西武戦(楽天生命パーク)に大敗し、自力によるリーグ優勝の可能性がいったん消滅した。
NPB公式戦におけるシーズン31試合目での消滅は、この年のセ・リーグ球団を含めても最も速く、プレーオフ制度によるパ・リーグ優勝の可能性を残していた2005年のチーム(29試合)を除けば1955年の大映スターズ(27試合)に次ぐ速さである。
5月9日には福島県内で一軍公式戦(郡山市開成山野球場の対ロッテ戦)の主催を予定していたが、グラウンド状態の不良によって前年(雨天)に続いての中止となった。
5月29日からのセ・パ交流戦でもチームの調子は上向かず、クローザーの松井裕樹が開幕からの不調、本塁打数チームトップのペゲーロが交流戦中の不振、中心打者のウィーラーが試合中のヘッドスライディングによる左手指の骨折で相次いで戦線を離脱した。
交流戦の開幕投手を任された高卒5年目の古川侑利が一軍公式戦初勝利を含む2勝を挙げたものの、チームは6月16日の対阪神戦に敗れ、リーグ戦からの借金が20に到達した。
同日の試合終了後に梨田監督が球団へ辞意を申し入れたところ、球団から了承されたため、辞任が決定した。
☆平石監督時代
※2018年の監督代行時代も含める。
2018年
梨田監督の辞任を受けて、6月17日の対阪神戦(楽天生命パーク)から一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任した。
38歳での一軍監督代行就任は、歴代の一軍監督および代行経験者を含めても球団最年少であった。
また、楽天生え抜きの人物が一軍を指揮するのは、監督代行としての平石が初めてである。
梨田監督の辞任と平石監督代行の就任に伴って、一軍コーチ陣の配置転換を実施。
投手コーチでベンチ担当(佐藤義則)とブルペン担当(森山良二)の配置を入れ替えたほか、2018年5月の一軍復帰後から一塁ベースコーチを務めていた真喜志一軍内野守備走塁コーチが、ヘッドコーチ格で平石を支えた。
さらに、この年から一軍戦略・内野コーチが務めていた塩川が一塁のベースコーチに回っている(平石監督代行以外の首脳陣は肩書を変更せず)。
一軍では平石の監督代行就任を受けて、セ・パ交流戦の残り2試合に全勝。
交流戦開幕投手の古川も、6月19日の最終戦(横浜での対横浜DeNA戦)で白星を挙げたことによって、交流戦を一軍公式戦初勝利からの3連勝で締めくくった。
もっとも、チームは交流戦を最下位(6勝12敗)という成績で終了した。
リーグ戦の再開直後には、パ・リーグの球団で唯一勝率が5割を下回る事態に見舞われたものの、菊池が先発した6月29日の対西武戦(メットライフドーム)に15 – 1というスコアで大勝。
レギュラーシーズンでは2016年5月25日から続いていた菊池の先発試合での連敗を13で食い止めた。
7月10日には、山形市総合スポーツセンター野球場(きらやかスタジアム)で初めてのNPB一軍公式戦として、対オリックス戦を主催。
前年まで他球場で実施されていた山形県内での一軍主催公式戦8試合目にして、初勝利を挙げた。
また、オールスターゲームでは、岸が選手間投票1位、平石の監督代行就任を機に4番打者へ定着した今江が監督推薦でパシフィック・リーグ選抜チームに参加。
前年のレギュラーシーズン3位を受けて梨田が務める予定だった同チームのコーチを平石が引き継いだほか、14日の第2戦(リブワーク藤崎台球場(熊本))には岸が同チームの先発投手として登板した。
9月1日には、星野の逝去以降事実上空席だった編成部門のトップとして石井一久が球団取締役ゼネラルマネジャー(GM)に就任。
10月5日の対ロッテ戦(楽天生命パーク)の前に、平石が2019年シーズンから一軍監督へ正式に就任することを発表した。
しかし、チームは5位・ロッテとのゲーム差を1ゲームにまで縮めながらこの試合に敗れたため、3年振りの最下位が確定。
レギュラーシーズン全体では、オリックスとロッテに勝ち越した一方で、西武戦(6勝19敗)と交流戦で大きく負け越した。
この年のチームは梨田の監督在任中からホームゲームにとりわけ弱く、シーズン通算で球団最多の50敗を記録。
地方開催分を含むホームゲーム(72試合)の通算勝率は.306(22勝50敗)だが、本拠地・楽天生命パークの開催分では69試合で.290(20勝49敗)にとどまった。
パ・リーグに加盟する球団で、本拠地開催分の一軍公式戦におけるレギュラーシーズンの通算勝率が3割を切った事例は、1961年の近鉄(日生で.267=16勝44敗)以来57年振り。
セ・リーグを含めても、1965年のサンケイスワローズ(神宮で.292)以来の低さであった。
その一方で、ビジターゲーム(通算71試合)では36勝32敗3分と勝ち越している[109]。
投手陣では、則本がリーグ最多奪三振を5年連続でマーク。
さらに、チームのシーズン最終戦であった10月13日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)に救援登板でシーズン10勝目を挙げたことによって、入団以来6年連続のシーズン2桁勝利(NPB史上4人目の記録)を達成した。
また、岸がチーム最多の11勝を挙げたほか、防御率2.72でリーグ最優秀防御率のタイトルを初めて獲得した。
松井は自身の不調やチーム事情からシーズン中にセットアッパーや先発への転向を経験しつつも、9月16日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)で一軍公式戦通算100セーブを史上最年少(22歳10か月)で達成。
さらに、入団2年目の高梨が球団歴代最多のシーズン70試合登板を記録した。
野手陣では、高梨と同期入団(2年目)ながら、パ・リーグ新人王の選考資格を残していた田中和基がセ・パ交流戦の直前から正中堅手に定着。
リーグの最終規定打席に到達したばかりか、チーム生え抜きの野手としては歴代最多の一軍公式戦シーズン18本塁打を記録したことによって、スイッチヒッターとしてはリーグ史上初(チームからは田中将・則本に次いで3人目)の新人王に選ばれた。
また、後半戦に一軍へ定着した内田は、高卒の生え抜き野手および、生え抜きの右打者としては初めての2桁本塁打(12本塁打)をマーク。
前年のチームの躍進を支えた外国人野手は総じて低調で、アマダーも7月だけで11本塁打を記録したが、NPBから禁止薬物摂取の嫌疑を掛けられた影響で8月中旬以降実戦から遠ざかった。
新加入のディクソンも、その穴を埋めるまでの活躍には至らなかった。
シーズン終了後には、二軍を中心にコーチ陣の大幅な入れ替えを敢行した。
シーズン中に二軍投手コーチを務めた与田が古巣・中日の一軍監督に転身したほか、二軍監督として田中のブレイクに寄与した池山、二軍ヘッドコーチの大石知宜などが契約の更新を見送られた。
その一方で、この年に他球団で現役を引退した平石と同世代の小谷野栄一・後藤武敏が打撃コーチへ就任するとともに、石井GMが現役時代に所属していたヤクルト出身の指導者(伊藤智仁・三木肇・楽天のOBでもある野村克則)などを招聘。
2016年1月の現役引退後に球団職員へ転じていた元・選手会長の鉄平が、二軍外野守備走塁コーチとして現場復帰を果たした。
他球団との指名重複による抽選が相次いだドラフト会議の1巡目では、2回目に指名した辰己涼介(立命館大学)への独占交渉権を4球団競合の末に獲得。
結局、辰己や則本の実弟(則本佳樹)など(育成選手契約者を含めて)10人もの新人選手が入団した。
その一方で、聖澤諒・枡田慎太郎・伊志嶺忠が戦力外通告を受けたことを機に現役を引退。
球団からコーチへの就任を打診されていた細川や、育成選手契約で戦力外通告を受けた宮川将も、いずれも他球団で現役生活を続けることになった(細川はロッテ、宮川は前年の片山に続いてコーチ兼任で埼玉武蔵ヒートベアーズへ入団)。
外国人選手については、ウィーラー以外の外国人野手とコラレスが退団。
さらに、この年限りでマリナーズを退団した岩隈に復帰を打診したが、巨人との争奪戦に敗れた。
この年は平成最後のペナントレースだったので、楽天は「平成最後のパ・リーグ最下位球団」となった。
4続く・・・