☆石井取締役GM兼監督時代
2021年
チームスローガンは、「一魂(いっこん) 日本一の東北へ」。
前年に一軍を指揮していた三木が二軍監督、真喜志育成コーチが一軍ヘッドコーチへ復帰。
奈良原二軍監督が一軍内野守備走塁コーチへ異動した。
また前年に現役を引退した渡辺直人が一軍打撃コーチに専念するほか、久保が二軍投手コーチへ就任。
さらにロッテからの派遣扱いでBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのコーチを務めていた岡田幸文を、笘篠コーチの後任扱いで一軍外野守備走塁コーチに招聘した。
NPBの球団において石井監督のようにGMが一軍監督を兼任する事例は、ソフトバンクの王貞治会長(2005 – 2008年)に次いで2人目。
常勤の取締役が一軍監督を兼任する事例は、福岡ダイエーホークス(ソフトバンクの前身球団)の根本陸夫(専務取締役時代の1993・1994年)に次いで2人目である。
その一方で、球団創設時から16年にわたって在籍してきた安部井寛チーム統括部長が1月31日付で退団。
翌2月1日付で、NPBの野球運営本部本部長補佐に着任した。
外国人選手では、前年に在籍していたロメロがオリックスへ復帰(後に家庭の事情でレギュラーシーズン中の8月に退団)したほか、ブラッシュ、シャギワ、D.J.ジョンソンが退団した。
ブラッシュは現役を引退したほか、シャギワはタンパベイ・レイズでMLBに復帰したが、MLBからルスネイ・カスティーヨ(元・野球キューバ代表)、ブランドン・ディクソンが入団した。
またニューヨーク・ヤンキースとの7年契約が前年11月で満了してから、再契約やMLB他球団への移籍交渉が難航していた田中将に8年振りの復帰を打診。
春季キャンプ開始の4日前(1月28日)には2年契約で合意に至ったことや、ヤンキースの在籍中に楽天野球団が「準永久欠番」として扱ってきた背番号18を再び着用することが発表された。
日本国内では年頭以降、新型コロナウイルスへの感染拡大に歯止めが掛かっていないことから球団では創設1年目から続けていた久米島での一軍春季キャンプ開催を断念した。
久米島と同じ沖縄県内ながら一軍のキャンプ地を金武町(前年まで二軍の春季キャンプで使用)、二軍のキャンプ地をうるま市(いずれも沖縄本島内)に変更した。
さらに、日本政府が感染拡大防止策の一環で外国人への入国制限を課しているため、新入団のディクソン、コンリー、カスティーヨの3人は春季キャンプに合流できなかった。
このような事情から、球団ではキャンプの終了直後に打線のさらなる強化を図るべく、日本ハムから長距離打者の横尾俊建を池田隆英との交換トレードで獲得している。
結局、コンリーも来日の目途が立たないままレギュラーシーズン開幕後の5月6日付で球団から契約を解除。
コンリーは同月10日付で、MLBのタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。
レギュラーシーズンの開幕カードである3月26日からの対日本ハム3連戦(楽天生命パーク)では、前年のパ・リーグ最多勝投手である涌井を開幕戦、新人の早川を第3戦で先発させたほか、翌27日の第2戦(いずれも楽天生命パーク)で田中将大による復帰後初の公式戦登板を予定していた。
実際には、田中が右足ヒラメ筋の損傷によって登板を回避したほか、ディクソンとカスティーヨの合流も4月中旬にまで持ち越された。
それでも、早川が開幕第3戦で公式戦初勝利を挙げたことを皮切りにチームはパ・リーグの首位戦線を快走。
田中は4月17日の対日本ハム戦(東京ドーム)に先発でNPB公式戦2748日振りの登板を果たしたものの、5回3失点という内容で黒星を喫したことによって、ヤンキース移籍前(2012年)からのNPBレギュラーシーズンにおける登板試合での連勝も28で止まった。
その一方で、1週間後の24日には、8年振りの本拠地(楽天生命パーク宮城)登板で西武を相手にNPB一軍公式戦通算100勝を達成。
達成までに要した登板数は177試合で、NPB(2リーグ分立後)の一軍公式戦では史上最速、1リーグ時代を含めた日本プロ野球の公式戦でも歴代2位に並ぶ速さであった。
5月9日の対日本ハム戦(札幌ドーム)ではこの年からクローザーへ本格的に復帰した松井が、一軍公式戦における通算150セーブを歴代最年少の25歳6か月で達成している。
2019年以来2年振りに復活したセ・パ交流戦でも、チームは最終盤まで勝率1位(優勝)争いに加わるなど好調を維持していた。
最終順位は6位ながら、パ・リーグ首位の座を維持したまま9勝8敗1分けという成績で終了したほか、球団の新人投手としては初めて早川が(リーグ戦からの通算で)一軍公式戦6連勝を交流戦中に達成した。
もっとも、実際にはレギュラーシーズンの開幕当初から正捕手が定まらず、リーグ戦の再開後には首位の座をオリックスに明け渡した。
このような事情から、7月4日には巨人の炭谷銀仁朗を金銭トレードで獲得することで合意に至った。
NPBの球団同士がレギュラーシーズン中に成立させたトレードでは珍しく、同日の公式戦(明治神宮野球場でのDeNA対巨人ナイトゲーム)の最中に、楽天・巨人の両球団から正式に発表された。
NPBでは新型コロナウイルス感染拡大の影響で、前年から1年延期されていた2020東京オリンピックの開催を前提に開催期間の前後(7月中旬から約1ヶ月間)にわたってレギュラーシーズンを中断。
チームはオリックスに次ぐ2位でシーズンを折り返したものの、東京大会限定で復活した野球競技の日本代表チームに田中将と浅村が入った。
結局、日本代表はオリンピック正式競技としての野球で、初めて金メダルを獲得している。
東京オリンピック開幕直前の7月17日には、オールスターゲーム第2戦が楽天生命パークで開催された。
チーム本拠地での開催は、日本製紙クリネックススタジアム宮城時代の2011年(第3戦)以来10年振りで、チームからはパ・リーグのファン投票1位で松井(抑え投手部門)と浅村(二塁手部門で選手間投票でも1位)、監督推薦で田中将・則本昂・宋家豪・小深田・島内の出場が決まっていた。
田中将と浅村は(オリンピックへの準備の一環として接種された。)新型コロナウイルスワクチンの副反応が疑われる体調不良によって(16日にメットライフドームで開催された第1戦を含めて)出場を見合わせたが、第2戦には残りの5選手がパシフィック・リーグ選抜チーム(オール・パシフィック)、前年に巨人へ移籍したウィーラーと高梨がセントラル・リーグ選抜チームから出場。
「3番・左翼手」としてスタメンに起用された島内が2度に渡って勝ち越し打を放つなど、4打数3安打3打点の活躍でMVPに選ばれた。
さらにオール・パシフィックが6回表から則本→宋→松井の継投に切り替えた結果、8回表を投げた宋に白星、9回表を締めくくった松井にもセーブが付いている。
その一方で7月20・21日に楽天生命パークでチーム練習を実施したところ、銀次が新型コロナウイルスに感染していることが22日に判明した。
練習へ一緒に参加していた監督、コーチ、選手、スタッフ(総勢89名)は、PCR検査で全員の陰性が確認された[127] ものの、保健所から「銀次と濃厚接触の可能性が高い」と判断された鈴木大地には自主隔離措置が講じられた。
鈴木はレギュラーシーズンの再開(8月13日)を機に実戦へ復帰している。
石井監督はレギュラーシーズンの再開後に、一軍から長らく遠ざかっていた選手(オコエ、石橋、渡辺佳明、山﨑剛など。)を勝負所で相次いで起用した。
山﨑は、9月に浅村の打撃不振がきっかけで二塁手としてスタメンに起用され始めると、シーズンの終盤には小深田に代わって「1番・遊撃手」に定着した。
またクローザーの松井が右の太腿を痛めて戦線を離脱した8月下旬からは、宋をクローザーに抜擢した。
もっとも、楽天もロッテとの相性がとりわけ非常に悪く7月上旬からの対戦ではまさかの9連敗を喫した。
結局、チームはシーズンを通じて5割以上の勝率を維持したにもかかわらず、シーズンの終盤にパ・リーグの優勝争いから脱落した。
10月19日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)に敗れたことで、シーズンを3位で終えることが確定した。
その一方で、ソフトバンクには同月23日の対戦(楽天生命パーク)で大勝したことによって2012年以来、9年振りのシーズン勝ち越しを決めた。
オリックスのレギュラーシーズン最終戦であった10月25日の対戦では、田中将をシーズン最後の先発に立てながらも打線が数年来苦戦しているオリックスのエース・山本由伸の前に完封負けを喫した。
その一方で、オリックスが首位で全日程を終えてからもリーグ優勝の可能性残していたロッテには、楽天のレギュラーシーズン最終戦に当たる27日の対戦(いずれも楽天生命パーク)で勝利している。
迎えた同点の8回裏に代打へ起用された小深田の決勝打でロッテの逆転優勝の可能性を消滅させた。
この結果、オリックスの25年振りパ・リーグ優勝が確定するとともにクライマックスシリーズ (CS) のファーストステージで楽天が2位のロッテとZOZOマリンスタジアムで対戦することも決まった。
そのファーストステージでは、チームが全試合で9回表を同点で終えていたほか、8月下旬から実戦を離れていた松井が全試合に救援で登板。
則本が先発で佐々木朗希と投げ合った第1戦では1点リードの8回裏に登板した松井がアデイニー・エチェバリアの本塁打で同点に追い付かれると、9回裏に登板したクローザーの宋が佐藤都志也にサヨナラ安打を喫した。
第2戦では岸を先発に立てたものの、9回表の攻撃が終了するまでに勝ち越せなかったため、楽天のファーストステージ勝利の可能性が完全に消滅した。
第1戦に勝利したロッテが第2戦に引き分けてもファーストステージを突破できる状況にあったため、「両チームの成績が1勝1敗1分で並んだ場合には、レギュラーシーズンでの上位チームが勝ち上がる」という同ステージの規定に沿ってコールドゲームを宣告された(公式記録上は「9回表終了後規定による引き分け」)。
チームは第2戦で勝利した場合に第3戦で田中将の先発を予定していたが、この宣告によって楽天もファーストステージで敗退した。
その田中将は、先発で好投しながら打線の援護に恵まれない試合が続いた末にNPBでは自身初の負け越し(4勝9敗)でシーズンを終了した。
ただし、チームのリーグ最終規定投球回(143イニング)到達者としてはトップの防御率3.01を記録した。
他の投手陣では則本が3年振り、入団2年目の瀧中瞭太が初めてのシーズン2桁勝利(10勝)をそれぞれマーク。
早川も9勝を挙げたものの、交流戦の直後から田中将と同様のパターンで白星に見放され続けたこともあり、2桁勝利にも最終規定投球回にもわずかに届かなかった。
岸も現役最年長(36歳)での2桁勝利に1勝足りなかったばかりか、リーグ最多の10敗を記録した。
涌井もシーズンを通じて振るわず、二軍調整や移籍後初の救援登板も経験した。
左投手からは早川以外の先発要員が台頭せず、弓削隼人が先発で1勝、塩見が先発で1試合、春先に左肘の手術を受けた辛島が二軍(イースタン・リーグ公式戦)で1試合へ登板しただけにとどまった。
その一方で、先発で数年来伸び悩んでいた安樂や一軍公式戦での登板が2018年の1試合だけだった西口直人が、中継ぎ要員として台頭した。
2人を含む救援投手の防御率は、リーグトップの2.75だった。
打撃陣では島内が96打点でリーグ打点王のタイトルを獲得、捕手から外野手へ再び転向した岡島も開幕から3割以上の打率を長らく維持しながら正外野手の座を奪回した末、チーム内の最終規定打席到達者としては最も高い打率(.280)でレギュラーシーズンを久々に完走した。
また入団3年目の辰巳が自身初の2桁本塁打を記録したほか、チームからただ一人ゴールデングラブ賞をパ・リーグの外野手部門で受賞している。
その一方で、開幕から二軍生活を送っていたベテランの藤田がレギュラーシーズンの終盤に球団から現役引退を勧告された。
勧告に際しては、引退後のポストが球団内に用意されていたが、藤田は10月1日の戦力外通告を経て選手専任のまま古巣のDeNAへ10シーズン振りに復帰した。
レギュラーシーズン中の10月11日に催されたドラフト会議では、育成選手扱いを含めて10選手を指名。
1巡目に単独で指名した吉野創士をはじめ、右打ちで高校生の外野手が4人を占めたほか、4巡目では奄美大島(鹿児島県)出身の神村学園高等学校投手・泰勝利を指名。
島内の出身者がNPBのドラフト会議で指名を受けたことは初めてで、指名後の入団交渉を経て、1987年の亀山努(阪神にドラフト外で入団した内野手)以来のプロ野球選手が誕生した。
レギュラーシーズンが終了してからは、藤田と同じベテラン勢の牧田・足立祐一、2017年入団の菅原、則本の実弟で育成選手の佳樹なども球団から戦力外通告を受けたほか、池田が現役引退を表明した。
他の戦力外通告組からも、2019年のシーズン中に広島から移籍した下水流が現役を引退している。
足立は球団スカウト部所属のアマスカウト、支配下再登録(2020年2月)を経てこの年に自身初の開幕一軍入りを果たしていた下妻がブルペン捕手へ転身した。
下水流は広島に二軍マネージャー、則本佳樹は入団前に在籍してした山岸ロジスターズへ復帰。
牧田は2022年5月からCPBL(2020年から楽天モンキーズが加盟している台湾のプロ野球リーグ)の中信兄弟で現役生活を再開したが、リーグ戦の終了後に現役を引退した。
6続く・・・