☆石井専任監督時代
2023年
チームスローガンは「鷲が掴む!」。
「10年振りのパ・リーグ優勝に向けて、今までと違うアプローチで臨みたい」という石井監督がGM職を退任したうえで一軍の監督職に専念。
球団では後任のGMを置かずに、チーム編成に関する業務を球団本部全体で担う体制を復活させた。
また、前年の首脳陣から真喜志・立花・金森・垣内・星・光山英和(一軍バッテリー兼守備戦略コーチ)、チーム統括本部のスカウト部からスカウティングアドバイザーの大村とプロスカウトの栗原が退団。
真喜志が楽天モンキーズのコーチ、大村が古巣・ロッテの二軍監督、光山と栗原がロッテのコーチに転じたほか、星が出身校(東北学院大学)の硬式野球部に監督として復帰している。
コーチ陣の編成では、真喜志が務めていた一軍ヘッドコーチの後任を置かない代わりに、一軍外野守備走塁コーチの佐竹が作戦に関する役割を兼務(肩書は「一軍野手総合兼外野守備走塁コーチ」)。
打撃部門では、雄平と後藤武敏を一軍、今江と川島を二軍の担当に充てた。
さらに、育成部門のコーチを前年の4人から2人へ減らしたうえで、一軍内野守備走塁コーチの奈良原を育成統括コーチへ異動させている(育成外野守備走塁コーチの牧田は留任)。
その一方で、前年までロッテのコーチを務めていた的場直樹を光山の後任(一軍バッテリーコーチ)、福井ミラクルエレファンツ(2008年から2021年までベースボール・チャレンジ・リーグに加盟していた球団)の監督などを務めていた田中雅彦(ロッテ→ヤクルトの元・捕手)を星の後任(ニ軍バッテリーコーチ)に招聘。
球団がドラフト会議で最初に指名した選手の1人で、2015年の現役引退後に楽天モンキーズなどでコーチを務めていた西村弥が、二軍の内野守備走塁コーチとしてチームへ12年振りに復帰した。
前年に在籍していた選手のうち、前年のレギュラーシーズン中に国内FA権を初めて取得した辛島・海外FA権を初めて取得した浅村・海外FA権を再び取得したうえで2年契約を終えていた田中将大は、いずれも権利を行使せずにチームへ残留。
浅村は球団との間で新たに4年契約を結ぶとともに、石井の方針で前年に設けていなかったチームキャプテン(主将)制度の復活を受けて、石井から第6代の主将に任命された。
田中は、2年契約中の年俸(NPBでの歴代最高額に当たる9億円)から半額近い減俸の提示を受け入れた末に、浅村(チームトップの5億円)をも下回る年俸(推定4億7,500万円)で1年契約を新たに締結している。
その一方で、中日の主力選手だった阿部寿樹内野手(岩手県一関市出身)を涌井との交換トレードで獲得。
外国人選手では、前年に在籍していた選手から宋家豪とギッテンスが残留した一方で、MLBのワシントン・ナショナルズからマイケル・フランコ内野手(ドミニカ共和国出身の右打者)、ピッツバーグ・パイレーツからマニー・バニュエロス(東京2020オリンピックの野球競技にメキシコ代表で出場した左投手)が入団した。
さらには前年、巨人の内野手としてイースタン・リーグ最多タイの57打点を挙げていながら、シーズン終了後に戦力外通告を受けていたエスタミー・ウレーニャと育成選手契約を結んでいる。
NPBオープン戦期間中の3月に開催の2023 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には、松井裕樹が日本代表・宋家豪が台湾代表で出場。
松井は1次ラウンド・プールB(東京ドームでの対韓国代表戦)のみの登板にとどまったが、日本代表チームによる3大会(14年振り)優勝の一翼を担った。
2009年と2013年のWBCで日本代表の先発投手陣の一角を担っていた田中将大は、日本代表チームでの「指名選手」(予備登録選手)でありながら自身3度目のWBC出場を逃したものの、3月30日の対日本ハム戦で開幕投手に起用。
この試合は、前述した事情から「エスコンフィールド北海道のこけら落とし」を兼ねていた関係で、(セ・リーグを含めた。)
他の10球団の開幕戦より1日早く単独で組まれていた(NPBの公式戦では1952年以来71年振りの「先行開幕」)。
実際には「7番・三塁手」としてスタメンに抜擢されていた伊藤裕希也が、2回表の第1打席でエスコンフィールドの公式戦初本塁打をマーク。
「3番・指名打者」としてスタメンに名を連ねたフランコも来日初本塁打を放ったほか、田中が6回裏の途中まで1失点と好投した結果、チームは3対1で勝利した。
駒澤大学附属苫小牧高等学校への在学中に北海道内(苫小牧市)で生活していた田中は、「エスコンフィールドでの公式戦に登板した投手としての初勝利」「NPBのレギュラーシーズンにおける一軍開幕戦での初勝利」および、日本人の投手としては史上3人目の「MLB/NPBレギュラーシーズン開幕戦での勝利」(MLBではヤンキース在籍中の2019年に記録)を同時に達成している。
開幕カードは(3月31日の休養日をはさんで)2試合が組まれていたが4月1日、第2戦で延長10回の末にサヨナラ負けを喫した。
レギュラーシーズンの開幕4試合目に当たる4月5日の対西武戦(楽天モバイルパーク宮城でのデーゲーム)では、松井裕樹が開幕戦に続いてのセーブを記録したことによって、NPBの一軍公式戦における通算200セーブを史上最年少(27歳5ヶ月)で達成した。
同球場では、田中将大を先発に立てた4月14日(金曜日)の対ソフトバンク戦で勝利したことによって、「楽天生命パーク宮城」時代の前年に金曜日開催の一軍公式戦で記録していたチームの連敗が19で止まっている。
打線は開幕の当初から総じて不調で、セ・パ交流戦開幕の前週(5月26日)からは、雄平と今江の担当を入れ替え。
4月20日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)では、4回表に太田がソロ本塁打を放ちながら、チームの安打がこの本塁打のみで「相手投手陣の継投によって本塁打のみの残塁0で敗戦」というNPB公式戦史上初の事態に至った。
もっとも、パ・リーグの最下位で迎えたセ・パ交流戦では、第3カード(楽天モバイルパーク宮城での阪神との3連戦)から4カード続けて勝ち越すなど健闘。
結局は交流戦を通算勝率5割(9勝9敗)の6位(パ・リーグの球団内では4位)で終えたものの、最終盤(雨天中止によって予備日に組み込まれた2試合を残した時点)では交流戦の全日程を先に消化していたDeNA(巨人・ソフトバンク・オリックスと同一の勝率による1位)とともに優勝の可能性が生じていた(実際には得失点差率に関する規定などとの兼ね合いでDeNAが交流戦初優勝)。
また開幕一軍入りを初めて果たしていた内星龍(高卒3年目の右投手)と新人(九州産業大学からドラフト会議での3巡目指名を経て入団した右投手)の渡辺翔太が救援陣の一角、小郷が交流戦期間中の6月上旬から3番打者、村林一輝(高卒8年目の内野手)がリーグ戦再開後の7月上旬から1番打者に定着。
前年までクリーンアップの一角を担ってきた島内も、レギュラーシーズンの開幕直後から打率が1割台に低迷したまま、7月上旬に出場選手登録を5シーズン振りに抹消された。
オールスターゲームには、田中将大と小深田が監督推薦選手として出場。
チームはオールスターゲームの直前に8連勝を達成したことによって、リーグ4位でレギュラーシーズンを折り返した。
この間には7月5日の対オリックス戦(楽天モバイルパーク宮城)で荘司が一軍公式戦での初勝利を果たしてから、同月11日の対日本ハム戦(エスコンフィールド北海道)で田中将大がNPB/MLB通算195勝目をNPB公式戦初の奪三振0で挙げるまで、「6試合続けて勝利投手が先発投手(荘司→岸→則本→辛島→藤井聖→田中)」という球団記録も樹立。
ただし、リーグワーストのチーム防御率(3.55)で前半戦を終えたことから、投手コーチについてもオールスターゲームの期間中に小山と永井の担当を入れ替えている。
楽天野球団でも、代表取締役社長とオーナー代行を兼務してきた米田陽介が7月31日付で両方の職務を退任した。
翌8月1日からは、楽天野球団の執行役員、ヴィッセル神戸の取締役副社長、仙台89ERSの代表取締役会長などを務めていた森井誠之を米田の後任に迎えているが、米田自身も副社長として球団の経営に引き続き携わっている。
島内が1ヶ月振りに一軍へ復帰した8月以降は、打線の集中打によって勝利を収める試合が続出。
9月20日にオリックスのリーグ3連覇が決まってからも、ソフトバンク・ロッテとの間でAクラス入りを争っていた。
9月30日の対オリックス戦では、通算で10連敗中と苦手にしていた先発の田嶋に黒星を付けるとともに、シーズンの通算勝率を4月7日以来の5割へ乗せている。
楽天・ソフトバンク・ロッテの間のゲーム差はごくわずかで、いずれの球団も最終順位が確定しないまま、10月9日にソフトバンクがオリックスとの最終戦(いずれも京セラドーム大阪)をもってレギュラーシーズンの全日程をいち早く終了。
ソフトバンクはこの試合に敗れながらもクライマックスシリーズ(CS)ファーストシリーズへの進出を決めていたため、楽天とロッテによるAクラス(CSへの進出権)争いの決着は、NPB全体のレギュラーシーズン最終戦に当たる10月10日の直接対決(楽天モバイルパーク宮城)にまで持ち越された。
しかし楽天がロッテの投手陣の前に完封負けを喫したため、ロッテの2位・ソフトバンクの3位・楽天の2年連続4位が一斉に確定した。
敗れた楽天は先発の則本が好投していながら打線が拙攻を繰り返した結果、2年振りのCS進出どころか、最終勝率5割の達成まで逃してしまった。
投手陣では、松井裕樹がリーグ最多セーブのタイトルを獲得。
松井の最多セーブは2年連続3度目で、10月7日の対ソフトバンク戦(楽天モバイルパーク)では、NPB一軍公式戦での通算500試合登板を27歳11ヶ月(NPBにドラフト会議が導入された1965年以降にNPBの球団へ入団した投手としての史上最年少)で達成している。
田中将大の通算成績は7勝11敗で、日本プロ野球名球会への入会条件である「NPB/MLB公式戦通算200勝」に3勝足りないまま、5点近い防御率でシーズンを終了。
10月下旬には、右肘のクリーニング手術を受けた。
その一方で、6月に入ってから一軍へ昇格した渡辺翔太が51試合の登板でチーム2位(則本と同数)の8勝を挙げたほか、鈴木翔天がチームトップの61試合、内がチーム4位の53試合に登板。
投手陣最年長(38歳)の岸がチームトップの9勝、荘司が夏場から先発陣の一角で5連勝を記録した一方で、バニュエロスの登板は結局1試合だけにとどまった。
前年に一軍公式戦でチーム最多の61試合に登板していた西口は、レギュラーシーズン中の9月に右肘を手術。
実戦へ復帰するまで1年を要することが見込まれることから、シーズンの終了後に支配下選手契約から育成選手契約へ移行している。
野手陣では、浅村が最多本塁打、小深田が最多盗塁のタイトルを獲得。
浅村の本塁打数(26本塁打)は近藤健介(ソフトバンク)およびグレゴリー・ポランコ(ロッテ)、小深田の盗塁数(36盗塁)は周東佑京(ソフトバンク)と同数で、「リーグ最多本塁打のタイトルを3人で分け合う」という事態は2リーグ分立後(1950年以降)のNPB史上初めてであった。
また、小郷が自身初の2桁(10)本塁打を記録したほか、前半戦に振るわなかった島内と阿部が夏場から徐々に復調。
銀次・西川・茂木といったベテラン勢は、二軍のイースタン・リーグで揃って好調を維持していながら、一軍での出番を大幅に減らされた。
外国人野手では、フランコが95試合の出場で浅村に次ぐ12本塁打を放ったことが目立つ程度で、ギッテンスの一軍復帰もウレーニャの支配下選手登録も成らなかった。
シーズン中には松井裕樹が海外FA権、茂木が国内FA権を相次いで取得。
この年が4年契約の最終年であった松井は、海外FA権を行使した末に、MLBのサンディエゴ・パドレスへ移籍した。
また、イースタン・リーグで最多の8勝を挙げながら一軍公式戦での登板が1試合に終わっていた塩見、他球団から移籍していた右打者の横尾・和田・正隨・ウレーニャ、西川などが球団から戦力外を通告。
10月12日には、石井が監督職から編成部門の特別職(取締役シニアディレクター)へ異動することが発表された。
コーチ陣からも佐竹がDeNAのアナリスト、奈良原がソフトバンクの一軍ヘッドコーチに転身。
さらに、銀次と炭谷には事実上の引退勧告(球団のフロント職への異動を前提に置いた選手契約の解除通告)が為された。
結局、西川はヤクルトへ移籍。炭谷が現役の捕手として西武へ6年振りに復帰したほか、ウレーニャが巨人との間で育成選手契約を再び結んだ。
石井は監督職からの退任に際して、「契約期間の3年以内にチームのビジョンを明確に打ち出せないまま期間を満了したこと」を退任の理由に挙げるとともに、「GM時代の2019年に平石が一軍監督を退くきっかけになった」とされている「3位はBクラス(も同然)」という発言の真意を説明。
「(リーグ優勝を逃した当時の)チームに足りないことを選手に説明する流れで出た話」と明言したうえで、「平石君にはそのようなことを直々に言っていないのに、(本人が退任を機に退団したことなどで世間から今なお)誤解されている」と述べている。
もっとも、10月26日に開催のNPBドラフト会議には、球団幹部(シニアディレクター)の立場で監督時代に続いて出席。
球団では1巡目で常廣羽也斗・前田悠伍両投手への独占交渉権を指名重複による抽選で逃しながらも、3度目の入札で古謝樹(桐蔭横浜大学の左投手)への単独指名に漕ぎ着けた。
結局、全12球団で最も多い8名の選手を指名したところで選択を終了。
その後は2013年以来10年振りに育成ドラフト会議への参加を見送ったが、古謝をはじめ、支配下登録を前提に指名した選手が全員入団している。
その一方で、楽天への在籍期間が歴代の選手で最も長く、9月の一軍公式戦で在籍中における通算安打数の球団記録(1239安打)を達成していた銀次が、18年にわたった楽天一筋の現役生活から引退。
塩見も現役を退いたうえで、「イーグルスアカデミー」のコーチとして球団に残った。
12月8日開催の第2回現役ドラフト会議では、この年に一軍へ昇格していなかった内間拓馬(大卒3年目の右投手)が、広島からの指名を経て移籍。
逆に、楽天はこの会議を通じて櫻井周斗(DeNAの左投手)を獲得している。
8続く・・・