みなさんこんにちは。ましゅまろまかろんです。
私は現在心も身体の体調も少しずつ良くなり、元気です。そんな私も幼いころから、苦しかったことや病気などがたくさんありました。
今回はそれについて語りたいと思います。
・幼少期
・ぬいぐるみが大好き。
・わがままなところもあった。
病名 「広汎性発達障害」
この頃から私は3歳検診で「発達障害の疑いがある。」と疑われたそうです。4歳で診断されました。
私は大人になった今でも、大きい音が苦手で耳を塞いでました。特に風船が割れた音や非常放送のサイレン、MRIの金属音も苦手です。
乱暴でジャイアンみたいな性格をしていました。
・小学生
・新しい環境に引っ越して慣れないことばかり。
・先生ガチャの運が悪かったが、高学年の時に救われた。
・絵描きやアニメが好きになった。
・人間関係がうまくいかず、馬鹿にされたりした。
・理解してくれる人があまりいなかった。
・外でよく遊んでた。
・理解してくれるいい友達もいたが、人との付き合い方がわからなかった。
・いろんな病気や手術もした。
病名 「睡眠時無呼吸症候群」、「てんかん」、「過敏性腸症候群」、「機能性ディスペプシア」
仙台に引っ越してからは、大変なことばかりでした。
周りが障害のことを理解してくれなくなったり、人間関係がうまくいきませんでした。方言を馬鹿にされたりしました。先生ガチャも中学年までは、ハズレばかり引いてました。賞を取るために給食を残さずに完食させられたり、怒鳴られたりして、毎日が辛く脱走したり、お腹を壊してばかりいましたが、高学年の時に理解してくれるいい先生が来てくれて、ジャイアンみたいな乱暴な性格も治りました。また、睡眠時無呼吸症候群やてんかんもこの頃から発症しました。無呼吸症候群は手術して切断してもらいました。
絵描きもアニメ好きもこの頃から好きになり始めました。
・中学生
・小学生の時と変わらず、人間関係がうまくいかなかった。
・1年生の頃は総合文化部という美術部に入っていたが、2年生の時に卓球部へ転部した。
・部活を結構頑張り、いい成績を残し活躍した。
・受験で緊張した。
・少しずつ人間関係も良くなり、後輩からも好かれた。
・交流クラスの仲間とも馴染めるようになり、性格も明るくなった。
・友達と遊びに行ったりした。
・現在の高校の友達と支援学級同士の交流芋煮会で会い、仲良くなった。
・歴史にハマっていた。
・卓球の顧問の先生が冷たかった。
病名 「てんかん(強直間代発作)」
この頃は小学生の時より、いい思い出をたくさん残すことができました。卓球部に入ってよかったです。
しかし中学3年の頃、技術の授業の時にてんかんの強い発作で泡を吹き、白目になりながら2回倒れ、救急車で運ばれて精神の病院に入院しました。
・高校生
・支援学校の女子高に入学し、生活スキルのための勉強をたくさんした。
・たくさんの友達もでき、たくさん遊んだりした。
・中学の友人とも再会した。
・生徒会や学園祭でも活躍した。
・卓球を部活がなくても続け、サークルに入った。
・2018年の障碍者スポーツ大会で惜しくも2位だったけど、国体で福井県に行き卓球を頑張り、観光したりもした。
・親友をめぐっての人間関係トラブルに巻き込まれた。
・クラスメイトに裏切られ、喧嘩もした。お腹を蹴られて痛かった。
・作業が不器用なのが原因か、先生達に理不尽に叱られたり、えこひいきされた。恥さらしされたりもした。
病名 「重症筋無力症(MG)」、「適応障害」、「転換性障害」、「抑うつ」、「強迫観念」
中学の時より友達も多くでき最高なライフでしたが、学校生活は最悪な環境でした。中学の時から仲良くなった親友めぐってのトラブルや喧嘩、悪口を言われたり、裏切られたり、先生達からのひどい仕打ちをされたりしました。すごく辛かったです。
また2回目の現場実習先でパワハラやいじめにあい、学校側も守ってくれず対処してくれませんでした。そのおかげで私は、心身もボロボロになり、精神の病気や筋力がなくなっていく難病「重症筋無力症」にかかってしまい搬送され、入院しました。リハビリもたくさんしました。
学校もこの頃から、不登校になり、人間不信になりました。
いろんな病院を転々として、最終的に専門の先生がいるところに行きました。入院するたびにストレスがひどくなり、それはどういうことかというと「さっきまで出来てたから、今もできるんでしょ?」と言われ、
理解してくれませんでした。本当に体が動かなかったのに・・・。
・「重症筋無力症」とは
症状は人それぞれ個人差があり、眼だけに症状が出たり、全身に出たりなどの2つの症状に分けられます。原因は、筋肉のそばにある神経がストレスなどの負荷により、受容体が自己抗体に破壊され、脱力感や嚥下障害、複視などの症状が現れる免疫疾患の難病です。重症化すると胸腺腫と合併し、クリーゼ(呼吸困難)になってしまうこともあります。
・主な症状
・腕や手、脚などの四肢などに力が入りにくくなり、脱力してしまう。
・嚥下障害(ものが噛めなくなる、飲み込みにくくなる)
・複視(目が二重に見える) →眼だけの無力症の症状でもある。
・まぶたが下がっていく。
・疲れやすくなり、生活動作に支障を及ぼしやすい。
・胸腺腫
・呼吸困難(呼吸麻痺もある。)
・階段の上り降りが困難になる。
・歩行困難
・ろれつが回らない。
・体勢維持が難しい。
などの様々な症状があります。朝や日中は活発で元気に動けますが、夕方~夜にかけては脱力感で工夫してても動きにくいこともあり、疲れやすくなるためあまり周囲からは理解されにくいです。日にもよったりもします。
主な治療は入院して点滴をし、ステロイドの薬を飲んだりすることで治ったりします。
また胸腺腫のある場合は、早期発見で手術して切除してもらう必要があります。
治ってもこの病気は再発もしてしまうため、何回も入退院を繰り返していましたそれでも支えてくれる仲間や家族のおかげで、少しずつ元気になりました。退学もせず、最後までJKライフを楽しむことができました。
・社会人
高校の卒業後、私は現場実習の経験もあまりないため、●●校に入学しましたが、教師からパワハラを受け、退学することになりました。
この時は、重症筋無力症の症状も悪化していました。そのためなかなか動きが取れず理不尽に怒られて、高校の時の現場実習の時を思い出してトラウマになりました。精神的にも悪化していました。
その後は、自分に合う事業所があまりなく、病気のことを理解してくれませんでした。
・現在
2024年になってから5月に私に合う事業所が見つかりました。それが「manaby クリエイターズ」です。
やっと巡り合えたので、嬉しかったです。
気持ちも前向きになり、階段の上り降りもスムーズになりました。
スタッフの優しさとサポート、環境もよく、将来の夢の仕事に向かって仕事を順調に頑張っています。