『H.164のだらだらシネマティック!』【歴史的名作『サイコ』には続編があった⁉『サイコ2』をひも解く……!】

 正直に申し上げると、大した文章じゃないです。あくまで私が観た映画の感想を、だらだらと書いていくような、そんな感じです。なのであまり期待せずご覧いただければ、幸いでございま

【最初に】

 第1回となる今回は、映画史に残る名監督、アルフレッド・ヒッチコック監督1960年に手がけた歴史的名作『サイコ』……の続編である『サイコ2』を紹介します。いやもう、皆さんの言いたいことはわかります。「普通に『サイコ』の方を紹介しろよ」とか、「なんで第1回から『2』なんだよ」とか、「そもそも『ヒッチコック』も『サイコ』も知らねぇよ」とか、大いにわかります。しかしながら、『サイコ』の方はそれこそ100万人が感想を書いてるような作品なのです。私みたいなひよっこには、荷が重過ぎるのです。それに比べれば、『サイコ2』はいくらかハードルが低いのです。

 まぁでも、『サイコ2』も結局『サイコ』ありきの作品ではあるので、そちらの背景や感想も踏まえて、書いていこうと思います。もちろんヒッチコック監督のことも、大なり小なりお伝え致します。それではベイツ・モーテルまで、お一人様ご案内……!

(以下、『サイコ』及び『サイコ2』のネタバレを含みます。ご注意下さい)

【『サイコ』の衝撃】

 まず簡単に、『サイコ』のあらすじから紹介していきましょう。物語はアリゾナ州フェニックスから始まります。不動産会社のOLマリオンは、恋人のサムとの結婚を望んでいましたが、サムの金銭的事情などから、それが叶わずにいました。そんな中、マリオンはお客が家を買うために持ってきた4万ドルを、銀行まで持っていくことになりました。しかし、ここで魔が差したマリオンは、その4万ドルを持ち逃げしてしまいます。サムに会うために車で逃走を図りますが、途中警察に怪しまれたり、中古車店で車を慌てて交換したり、自分のいない会社のパニックぶりが脳裏に浮かぶなど、精神的疲労の絶えない旅路となります。さらに土砂降りにも遭い、心身ともに疲れ果てた彼女は、カリフォルニア州にある『ベイツ・モーテル』に辿り着きます。ここでマリオンは、一人でモーテルを切り盛りする青年、ノーマンと出会いました。彼は幼い頃に父を亡くし、屋敷に住む高齢で気難しい母を世話しながら暮らしている、苦労人のようでした。マリオンはノーマンから、自分が逃れられない『罠』にかかってしまっている人間であると聞かされます。マリオンはその会話から、自分も現在進行形で『罠』にかかってしまっていること、そして、今引き返せばまだ間に合うかもしれないことに気が付きます。そのことをノーマンに伝え、マリオンはリフレッシュのため、シャワーを浴び始めました。

 しかし、彼女は気が付いていなかったのです。カーテン越しに刃物を持った、殺人鬼(サイコ)が近づいていることを、今まさに、命が奪われまいとしていることを。マリオンの悲鳴が響き、シャワー室には鮮血がほとばしる……。

 前述の通り、『サイコ』1960年に制作されました。それより前に原作小説が存在し、そちらは実在の殺人鬼を元にした、より猟奇的な部分が目立つ(被害者の首がチョンパされるなど)内容となっています。ヒッチコック監督は、この小説が発売されるや否や映画化権を買い取り、制作に踏み切りました。(一説によると、映画のネタバレを避けるために、制作陣が書店に並ぶ小説を手あたり次第買い取ったとかなんとか)そして映画を作る上での、ある種の『縛り』として、制作費を100万ドル以下に抑えることと、全編白黒映画で撮影することが決められました。製作費の件は、当時低予算映画がヒットしていたことにヒッチコック監督が興味を持ち、自分のような既に著名な監督が作るとどうなるかという、実験的な試みがあったそうです。そして白黒にしたのは、内容が『カラーにしたら過激すぎる』という、抑制からでありました。(ちなみに監督の前作『北北西に進路を取れ』は、製作費も本作の4~5倍以上の、全編カラー超大作です

 本作の最も有名なシーンは、あらすじにも書いた、シャワー中の惨劇です。『サイコ』を観たことがない人も、おそらく何らかのパロディで知っている、そんなシーンでしょう。バーナード・ハーマンが手掛けた焦燥感に駆られる音楽、ジャネット・リー演じるマリオンの迫真の悲鳴、そして姿の見えぬ殺人鬼が振り下ろす刃、全てが折り重なった名シーンです。とはいえ、現代視点で観ると、あまり怖くないシーンかもしれません。というのも、よく見ると刃物はマリオンを刺しておらず、空振っています。刃物とマリオンの表情交互に映し、そこに刺さる効果音(メロンにナイフを刺した音だとか)を当てはめ、『刺し殺しているように見える』ようにした、そんなシーンなのです。後年のドラマや映画の、実際に刃物をぶっ刺している描写に見慣れていると、見掛け倒しのようです。しかしもちろん、これには事情があります。

 ざっくり言えば、当時のアメリカ映画界には、過激な描写に対して、大きな規制があったのです。言わば、エログロをタブーとするものです。エロで言えば、女性のヌードを始め、それを連想させるもの(露出度の高い衣装など)が弾かれました。キスシーンですら、唇が触れ合うのは何秒までというルールがあったのです。グロ方面も、血が目立たないような撮り方を強いられたり、死体を映さないようにする工夫が求められました。本作の『カラーにしたら過激すぎる』という配慮は、こういう面もあったのです。しかし、そうなると逆に『サイコ』はどうやって検閲を突破したのかという話になります。その答えは、やはりシャワーシーンにあります。マリオン、もといジャネット・リーはヌードになっているように見えますが、実は裸の上からばんそうこうなどをぐるぐる巻きに貼った、厳密にはヌードではない状態なのです。その証拠に乳房などは映っておらず、検閲においても担当者から『見えたぞ!』という声が挙がったそうですが、それはあなたの錯覚だと監督が返したそうです。(ちなみに一部シーンでは、ヌードモデルの方が起用されています)そして惨殺場面も前述の通り、刃物が実際には刺さっていない映像のため、無事検閲をパス出来ました。これがどういう結果に繋がったかというと、これまたざっくり言えば、後年の規制緩和に繋がりました。1968年にアメリカでレイティングシステム、つまりR指定が導入されたのです。これによりエログロ描写も年齢制限を付けることで、無事公開出来るようになったのです。(ちなみに『サイコ』は公開当時は誰でも観れましたが、後年公開された時はR指定になったそうです)もちろん『サイコ』だけの功績ではなく、当時の映画界の方々が頑張った結果ではあるのですが、自由な作風が可能になったきっかけとしては、大きいものであったと感じます。

 もう一つ革新的な要素として、一見主役に見えるマリオンが、物語の途中で惨殺されてしまう部分が挙げられます。宣伝ポスターでも演じるジャネット・リーが大きく描かれており、当時の観客の多くが騙されたことでしょう。この仕掛けも、ヒッチコック監督によるものです。ただ、途中入場した観客が『ジャネット・リーが出てこない!』と文句を言う懸念がありました。そこで監督は当時としては異例の、『途中入場とストーリーの口外禁止』というメッセージを劇場に流しました。情報統制は徹底されており、新聞記者批評家ですら試写会でなく、劇場で観ることを余儀なくされたそうです。(これの当てつけなのか、公開直後は批評家から内容を酷評されたそうな)こういった仕掛けは観客の興味を惹き、『サイコ』は大ヒットしました。例えるなら、本作は絶叫マシーンのような存在だったでしょう。劇場という密閉された空間と、ホラーサスペンス相性抜群であり、多くの観客がスリルを求め、満足していったのです。

【映画に人生を捧げた男】

 さて、ここでアルフレッド・ヒッチコック監督について、述べていくとしましょう。『サイコ』が歴史に残る名作とすれば、ヒッチコック監督もまた、歴史に残る名映画監督です。イギリス出身であり、イギリスとアメリカで数多くの作品を手がけました。そしてそのほとんどはサスペンスであり、『サスペンスの巨匠』と呼ばれることも少なくありません。

 私事ですが、ヒッチコック監督作品との出会い大学の講義で観た『見知らぬ乗客』最初でした。テニス選手の主人公が、電車で乗り合わせた乗客から、交換殺人を持ちかけられるというストーリーです。ヒッチコック監督の凄さは一言では表せませんが、一つ言えるのはこだわり抜いたカメラアングルが、観客に緊張感を与えてくれることです。観客自身が登場人物の『目』となり、覗いてはいけないものを覗いてしまったり、逆に登場人物がまだ知りえない、危機的状況を観客だけが先に知ってしまったりします。こういった演出観客は物語に没入し、より楽しむことが出来るのです。『見知らぬ乗客』においてもそれが遺憾なく発揮されており、物語がとても魅力的に見えたのを覚えています。特に交換殺人を持ちかけるブルーノというキャラクターの、常軌を逸している性格や、家庭に対して複雑な心境を抱えている描写が、強く印象に残りました。マンガ専攻であった私にとって、このカメラアングルと人物描写の巧みさは、60年以上前の作品にも関わらず、とても参考になるものでした。それ以来、ヒッチコック監督の作品を追うようになり、『サイコ』もそうした中で辿り着いた作品だったのです。

 ヒッチコック監督で有名なものとして、監督自身が作中でカメオ出演(原作者や著名人が短い時間だけ登場すること)していることもよく挙げられます。元々は雇えるエキストラに限りがあり、仕方なく自身も出演したというのが始まりでした。ただその後も『お遊び』で毎回出演するようになり、やがて観客にとっても恒例となりました。監督が太っちょで遠目からでも目立つシルエットということもあり、観客も楽しみの一つとして、探すようになったのです。しかし、観客が監督探しの方に夢中になって物語に集中出来なくなる懸念もあったので、後年の作品は大体最初の数分で出演しています。『サイコ』においても、シャワーシーンの後に出てきたらお笑いになってしまうということで、かなり序盤に出てきます。ヒッチコック監督作品を初めて観るという方々は、是非ともこれを一つの楽しみとして観て欲しいです。(余談ですが、私の好きな児童書『かいけつゾロリ』シリーズにおいても、著者の原ゆたか先生度々作中に登場するのですが、その理由の一つにヒッチコック監督作品に影響を受けたことをインタビューで話しています)

 『サイコ』が公開直後に批評家に酷評されたことを先述しましたが、そういう声を何より気にしていたのがヒッチコック監督でした。監督はイギリスで成功を収めた後にハリウッドへ渡米したのですが、悩みの種は批評家であったそうです。実際、イギリス出身者への差別意識というものもあり、正当な評価が得られないことも度々ありました。そのトラウマが後年まで響き、『サイコ』においても不安を抱えていたことを、娘のパトリシア・ヒッチコックさんが語っています。(ちなみに『サイコ』では父から直々にキャスティングされ、マリオンの同僚役で出演しています)ただ『サイコ』は大ヒットし、批評家もやがて評価を掌返しすることになります。そこでようやく監督も安堵し、次の作品制作へと取り組めたそうです。80年の生涯の多くを、監督はこの繰り返しで過ごしていました。観客にエンターテインメントを届ける一方で、自身も一喜一憂していました。成功を収めた後で枯れ果ててしまう監督も少なくない中で、ヒッチコック監督は映画に情熱を燃やし続けたのです。(一方でブロンド美人が大好きで、『サイコ』でのジャネット・リーを始め、作中で度々女優さんをひどい目に遭わせるドSな部分もあったのですが、それはご愛敬ということで……)1980年に亡くなりましたが、今日に至るまで、その情熱は世界中のファンに届き、愛され続けているのです。

【殺人鬼(サイコ)に思いをはせて】

(以下、『サイコ』の根幹にまつわるネタバレを含みます。ご注意下さい)

 それでは、再び『サイコ』の話に戻りましょう。もちろん、マリオンが死んでそれで終わりではなく、物語はまだまだ続きます。マリオンの死を巡り、恋人のサム、マリオンの妹ライラ、そして私立探偵のアーボガストがベイツ・モーテルを訪れることになります。それをあしらうノーマンですが、我々視聴者は彼がマリオンの死体の第一発見者であり、同時に隠蔽工作を行ったことを観てしまっています。この奇妙な秘密の共有が、中盤以降の肝と言えるでしょう。そして何より、声はすれど姿の見えないノーマンの母に、視聴者もサム達も疑念を抱いていくことになります。最初に動いたのは、本職のアーボガスト。屋敷を訪れ、階段を上っていきます。

 しかし階段を上り切った瞬間、殺人鬼の凶刃が彼の額を突き刺し……。(この階段から転がり落ちていくアーボガストのシーンも、合成を用いて独特な恐怖を演出しています)アーボガストからの連絡が途絶え、次に動いたのはサムとライラ。この二人は慎重派と行動派という組み合わせで、ある意味探偵役としては持ってこいです。二人は捜査の中で、ノーマンの母が既に故人であるという衝撃の事実を知ることになります。それも関係を持った男が既婚者であったため毒殺した後、自分も同じ毒を飲んで自殺し、ノーマンが死体を発見したというのです。こうなると、いよいよわからなくなってきます。現在屋敷に住んでいるノーマンの『母』とは、何者なのか。その答えを求め、サムとライラは屋敷へと向かいます。ノーマンは『母』を守るために地下室へと運びますが、ついにライラに見つかってしまいます。それは、ミイラと化した死体であり、ノーマンの『母』であったものでした。(ゆっくりとそれが見えるシーンは、グロテスクさはないのですが、白黒も相まって非常に恐ろしい画になっています)そしてライラの悲鳴を聞きつけ、現れたのは殺人鬼、いや、『母』に変装したノーマンでありました。姉を惨殺した時と同じように、まさにライラにナイフを突きつけようという瞬間、サムが取り押さえ、どうにか事なきを得ました。

 普通の映画であれば、これで一応のハッピーエンドと言えるでしょう。しかしここからが、殺人鬼ノーマン・ベイツの真骨頂なのです。逮捕された彼精神科医によって診断されますが、その結果は恐ろしいものでした。母親の犯行と思われていた毒殺事件も、嫉妬に駆られたノーマンが起こしたものというのです。しかし母の死は彼に強いストレスを及ぼし、墓荒らしを決意させます。そしてミイラの『母』がまるで生きているかのように声を吹き込んだり、自分自身が女装をするうちに、ノーマンの人格には『母』が宿ってしまったのです。やがて人格のせめぎ合いが起こり、ノーマンが女性に惹かれると『母』の人格が嫉妬し、殺人鬼としての一面が現れるようになってしまいました。マリオンが殺されたのも、そのためだったのです。そして、事件が起きてもノーマンは『母』の犯行と思い込み、隠蔽工作を行ってしまうのでした。しかし今や、ノーマンの人格は完全に『母』に支配されています。『母』の声が重なる不気味なノーマンの笑顔と共に、映画は幕を閉じるのです。

 この殺人鬼(サイコ)の真相が明かされる場面は、今観ても非常にぞっとするものです。脚本家のジョセフ・ステファノは、自身も精神科医に通っていたということもあり、こういった精神分裂に理解がありました。当初は最後の種明かしを、観客が冷めてしまうのではないかと考えていたそうですが、ヒッチコック監督から必要であると説得されたそうです。現代では馴染みのある『サイコパス(精神病質者)』というものを、60年以上前に克明に描写していたことも、本作が評価される要素の一つと感じます。もちろん、原作小説の時点で描かれていた部分ではあるのですが、映像化によってさらに恐怖を与えるものとなりました。

 そして、(何気にこれが一番凄いことだと思うのですが)恐怖の対象であるはずのノーマン・ベイツが、キャラクターとして非常に魅力的な存在になっているのも、大きな特徴です。原作小説では、ずんぐりとした目立たないハゲの小男と、お世辞にも人気が出るような容姿ではありませんでした。ところが映画においては、演じたアンソニー・パーキンスによって、清潔感と繊細さ、そして何より陰のある部分が強調されました。アンソニー・パーキンスもあえて台詞にどもりを入れるなど、ノーマンを全力で演じました。こうした姿勢が、感情移入に繋がっていきます。どこにでもいる青年のような、親しみを感じるのです。確かに精神には大きな問題を抱えていますが、マリオンに話した『罠』については本心からでしょうし、母親を大切に思っていることも、また本心からでしょう。そして同時に、そんな青年が殺人鬼としての一面を持ってしまっていることが、より現実的な恐怖となるのです。

 私自身正直に言うと、ノーマンに共感を覚えています。心療内科に通っているということもありますが、彼自身が正体不明の怪異などでなく、『人間』であるというのが大きいです。不器用ながらも自分なりの言葉でマリオンの相談に乗るシーン、汗水かいて死体の隠蔽工作を行うシーン、どちらも等身大の彼です。もちろん殺人鬼としての顔は恐ろしく、近寄りがたいのですが、生まれつきの化け物というよりは、人間誰しもがなり得てしまう、そんな存在だと思います。『サイコ』が今でも評価されるのは、ホラーサスペンスとして一流からでありますが、ヒューマンドラマとしても深みのあるものだからではないかと、私は感じます。

【『サイコ2』とはなんなのさ】

 さて、前置きのつもりが非常に長くなってしまいました。ここからようやく、本題の『サイコ2』です。またまた私事で申し訳ありませんが、本作との出会いは3年前のことでした。引っ越しを終えた私は、不動産業者との面会まで暇だったので、近くのGEOへと向かいました。そこで何気なく中古DVDコーナーを覗いていたところ、本作を発見したのです。当時『サイコ』しか視聴していなかった私にとって、『2』の存在は衝撃的でした。最初はパチモンか何かだろうとさえ思いましたが、パッケージ裏を見て主演がアンソニー・パーキンスとわかると、これはひょっとしたら正統派続編かもしれないと感じ取り、いそいそとレジに向かいました。しかしながら、それから3年もの間、本作を観ることはありませんでした。

 理由は明白でした。一緒に観ようと思っていた『サイコ』のDVDを、引っ越しのダンボールから引っ張り出すのが面倒だったのです。

 ……気を取り直して、『サイコ2』の概要から説明しましょう。正真正銘『サイコ』の続編として、1983年に制作されました。一応、その前年に原作小説がまず出てはいるのですが、こちらは全くの別物です。ノーマンが早々に退場してしまい、前作同様やはり猟奇的な部分が目立ち、当時のハリウッドのスラッシャー映画(要するに殺人鬼の出る映画)を風刺しているということで、となったそうです。そして、鋭い方ならお気づきでしょうが、ヒッチコック監督亡き後の作品です。監督に指名されたのは、リチャード・フランクリンという方で、かつてヒッチコック監督に師事していたということで選ばれました。脚本のトム・ホランドは、後にホラー映画『チャイルド・プレイ』を手がけた方です。ヒッチコック監督が果たして続編を許してくれるだろうかと、『サイコ』でも監督助手を務めた製作のヒルトン・A・グリーンは不安を覚えたそうですが、ここで娘のパトリシア・ヒッチコックさん好意的意見を述べ、『父も作品を愛するだろう』と伝えたそうです。また、主演のアンソニー・パーキンス再演を一度は断りましたが、脚本を読んで『これはまさにノーマンのストーリーだ』と考え直したそうです。こうして、無事製作に踏み出せたのです。

 では再び簡単に、『サイコ2』のあらすじを紹介していきましょう。

(以下、『サイコ2』のネタバレを含みます。ご注意下さい)

 前作の惨劇から22年後、被害者であるマリオンの妹ライラ抗議も実らず、ノーマン精神病院から退院することを許されました。長い治療を終え、精神的に問題はないと判断されたためです。長年彼を診てきた、レイモンド博士の尽力もありました。ただノーマンは博士の助言に反して、かつて自分が住んでいたモーテル傍の屋敷に戻ることを望みます。近くの食堂で働き始め、若いウェイトレス・メアリーと親しくなるなど、第二の人生を歩み始めました。しかし、モーテルは新しいオーナー・トゥーミーの手によって、麻薬が蔓延る無法地帯となっていました。すかさず彼を解雇するノーマンでしたが、腹いせに職場で絡まれ、さらに行く先々で『母』からの電話やメモが届くようになるなど、雲行きは怪しいものに。それから少しして、トゥーミーは黒いドレスを着た何者かによって惨殺されます。まるで22年前の事件のように。その後、ノーマンは屋敷である声を聞き、ふと使われていない母親の寝室を覗いてみると、そこには22年前と同じ光景がありました。一体何が起こっているのか。再びに導かれたノーマンは屋根裏に向かい、閉じ込められてしまいます。その後、恋人と屋敷に侵入した少年が、またもや黒いドレスを着た何者かによって惨殺されます。ノーマンはメアリーの手で救出されますが、再び覗いた母親の寝室は、使われていない状態に戻っていました。しかも、屋根裏の鍵は開いていたというのです。間もなく少年を探す警察の手が伸び、ノーマンは疑心暗鬼となっていきます。果たして殺人鬼の正体とは……?

 本作の特徴としてまず挙げたいのは、リアルタイムで20年以上経過した続編であるという点です。普通、ヒットした作品というのは(二匹目のどじょうを狙うために)数年以内に続編が作られることが多いですが、本作はその路線から外れています。さらに白黒映画からカラー映画に変化しているという、非常に珍しい進化を果たしています。その恩恵を特に得られているのが、前作にも登場したお屋敷です。モーテルは新たに作り直していますが、このお屋敷は前作そのままです。まさにノーマンのようにノスタルジーに浸ることが出来ます。しかも白黒では把握しきれなかった情報がカラーで伝わってきて、前作『サイコ』のファンにとっては感動ものです。(最近、昔の映像をAIでカラーにする動きが流行っていますが、感覚としてはそれに近いかもしれません)

 もちろん、年月を重ねたのは建物だけでなく、ノーマンライラの二人も『サイコ』から22年経った姿として登場します。サムを演じたジョン・ギャビン俳優引退しており出演は叶いませんでしたが、二人をオリジナルキャストで観ることが出来たのは非常に大きいです。ライラ役のヴェラ・マイルズ被害者遺族として登場したことで、『サイコ』の後の空白を想像出来るリアリティが生まれました。ベテラン女優としての貫禄も得ているので、迫力もばっちりです。そしてやはり、ノーマン役のアンソニー・パーキンスの演技も素晴らしいものでした。前作から20年以上が過ぎて、見た目も声も前作から老いたものとなりましたが、それがノーマンとしてはプラスになったのです。本当に精神病院で長い年月を過ごしたような、哀愁が漂っていました。食堂で働いている姿は、例えるなら会社をリストラされた元サラリーマンのようであり、観ているこっちも辛くなりました。前作ではどもりがありつつも結構喋る性格だったのですが、本作ではそれも鳴りを潜めています。しかし、同じ食堂で働くメアリーを、善意から助けようとするのはまさしく『大人』の姿です。こういうところもまた、前作を観た人にとっては大きな見どころでしょう。

 既にお分かりかもしれませんが、本作は『サイコ』及び、ヒッチコック監督に敬意を込めて作られています。そのリスペクトは、本編が前作のあのシャワーシーンから始まることからも伺えます。さらに定番であったヒッチコック監督のカメオ出演も、シルエットという形で実現させています。(ただ、ネットで調べるまで私も気づかなかったので、意識してみないとわからないかも)他にも殺人鬼のカメラアングルであったり、ある人物が階段から落ちていくシーンも、前作を観た人ならすぐわかるオマージュとなっています。こういった『お遊び』は、私を始め『サイコ』のファンには刺さるものだと感じます。個人的に『サイコ2』は、第一にファンディスク的な存在として鑑賞をお勧めしたいです。

【『サイコ2』のぶっちゃけた感想】

(以下、『サイコ2』の根幹にまつわるネタバレを含みます。ご注意下さい)

 ここまで好意的な意見で述べてきた『サイコ2』ですが、いざ作品の感想となると難しいものがあります。愛憎入り混じる、複雑な感情をこの映画には抱いています。

 とはいえ、まずは良かった点から。本作の事実上のヒロイン、メアリーがとても魅力的でした。演じるメグ・ティリー『サイコ』が公開された1960年に生まれたというのも、不思議なを感じます。まだ若いこともあり、ノーマンの殺人鬼としての顔を知らないことが、(演じた女優さんも前作を観ておらず知らなかったそうですが……)ストーリー上のと言えます。彼女とノーマンが年齢を超えて友情を育んでいく様は、心にくるものがありました。もうこのままハッピーエンドでいいんじゃないかと、そう思いさえしました。しかし、そこにはやはりがあります。メアリーは、実はサムとライラの娘だったのです。これには驚き以上に、正直感心しました。実際、『サイコ』後半の二人は、お互いの足りない部分を補う良いコンビでありました。その後関係を深めていたとしても、なんらおかしくありません。その上サムは既に亡くなっており、ライラは姉と夫の無念を晴らすために戦い続けていたのです。そしてその宿命が娘にも巡ってくる、続編としてなかなか熱い設定だと感じます。どうしてもノーマンを有罪にしたい母と、ノーマンを次第に信じたくなってくる娘という構図は、非常に興味を惹かれました。

 ただ、ライラがノーマンに行った手段が、引っかかるポイントの一つです。それは娘のメアリーと結託し、『母』に成りすますというものでした。メモや電話の嫌がらせを行った犯人だったのです。もうなりふり構わずです。それだけでなく『母』の変装までしてノーマンのトラウマを刺激したり、寝室のセッティングや屋根裏への閉じ込めで不安を煽ったりと、いくら被害者遺族とはいえ度を超えていないかと思えます。現にメアリーも途中で良心を痛め、対立する原因となってしまっています。確かに『サイコ』でも行動派すぎる部分はありましたが、歳を取って丸くなるどころか増々尖ってしまったという感じです。まぁ、夫でありブレーキ役でもあったサムが亡くなり、歯止めがかからなくなってしまったのだとは感じます。そもそも、いくら精神病院で大丈夫だからってノーマンのような要注意人物を退院させる甘い判断が、ライラを本気で怒らせてしまったと言えるでしょう。(まぁそうしないとお話が始まらないのはわかるんですけどね……)しかし、いくら逮捕させるためとはいえ、ノーマンを刺激するのは余りに危険に思えます。もう前作のサムのような、頼れるナイトはいないのです。下手に動いたら、逆に殺人鬼に殺されかねないのでは……?

 ……と思っていたら、本当に殺されてしまいました。20年以上前とはいえ前作のヒロインなのに、容赦ないですねあっちの映画は。(そういうシビアさは、嫌いじゃないですよ)

 ただ、そのことをメアリーは知らないまま、話は続いていきます。これもある意味、ヒッチコック作品のオマージュでしょうか。でも、殺人鬼の正体についてはまだハッキリしません。一見、『母』に変装したライラかメアリーの仕業に思えますが、さすがに他人を殺すほど悪魔ではありません。こうして物語は、ノーマンの苦悩へと繋がっていきます。自分が殺したのではないかという、疑心暗鬼に悩まされるのです。ただ、ライラが死に、メアリーも協力的です。もう、メモや電話の心配はないはずです。ところが、ノーマンには再び『母』から電話がかかってきます。おかしいと思ったメアリーが聞き耳を立てると、それは無音でした。にも関わらずノーマンは会話を続け、そしてついにメアリーを殺す殺さないという議論に発展してしまうのです。この辺の、観ているこちらが混乱してくるような構成は、良い部分だと思います。でも冷静に考えると、ライラが眠れる獅子を起こしてしまったせいな気がします。残されたメアリーは、迷惑もいいところです。

 そんな訳でピンチのメアリーは、ノーマンを説得しようと再び『母』の格好をします。とにかく、電話さえ切ってもらえれば良いのです。しかしそこで登場するのが、なんとあのレイモンド博士。(誰か忘れた人はあらすじを見ましょう)彼はノーマンをライラ達から守るために、様子を伺っていたのです。メアリーの変装の瞬間を捉えたと思ったのでしょう。

 しかし何の因果か、メアリーはちょうどノーマンから取り上げたナイフを持っていました。後ろから博士に取り押さえられ、パニックになったメアリーのナイフは、運悪く博士の心臓に……。そして階段から落ちていく博士、どう見ても『サイコ』のアーボガストのオマージュです。しかし自分には、意図せずに人殺しとなってしまったメアリーが余りにも悲惨に感じました。母と共にノーマンへの嫌がらせに加担してしまった因果応報とも言えますが、正直可哀想という気持ちが上回ります。それでもなお悲劇は続き、博士の死体の前に立つ『母』の姿を目にしてしまったノーマンは、いよいよ正気を失ってしまいました。追いつめられたメアリーは地下室に逃げ込みます。しかし無情にも、そこで発見したのは母ライラの死体でした。ノーマンが殺したと思い込んだメアリーは、激高してナイフを振りかざします。一度は心を通わせた二人の、悲しいすれ違い。その誤解はついに解けることはなく、駆け付けた警官の銃弾によって、メアリーの生涯は終わりを告げました。その場の状況証拠から、全ての殺人の犯人はメアリーであるという、もう一つの誤解を残して……。

 という訳で、一番の憎いポイントというのが、このメアリーの最期なのです。もちろん、映画と現実は違います。それこそ絶叫マシーンのように、一時の恐怖を割り切ってエンジョイした方が良いのはわかっています。しかしそれでも、降車直後に嘔吐してしまったような、後味の悪さがあったと感じます。思うに、メアリーに感情移入をし過ぎてしまっていました。多分製作者から見ればマリオンのような『被害者』として描いていたのでしょうが、観ているこっちとしては『ヒロイン』がいきなり『被害者』となってしまった、そんな感覚がありました。いや、それは前作のマリオンも一緒ではあるんです。しかしあちらは、会社の金を横領して逃げ回っているなどの落ち度も描き、何よりシャワーシーンという最大の見せ場を用意していました。物語の序盤の方で殺されることもあって、可哀想という感情以上に映画の言わばギミックとしての役目が勝り、観客を興奮させてくれたのです。だから『被害者』にも関わらず、演じたジャネット・リーは、いつまでも語り継がれる『スター』であるのです。対してメアリーは、ギミックとしての役目よりも、可哀想という感情が勝ってしまいました。一応落ち度として、ノーマンに近づいた最初の動機殺人者心理を知りたいという不純なものだったというのはあるのですが、途中で改心していることもあって、『そこまでするほどなの?』と思えてしまうのです。これで退場シーンのインパクトがあればまだ良いのですが、銃声が響き暗転するという、ぶっちゃけベタなシーンに留まっています。(ライラが口を思い切りナイフで刺されるという、インパクトある退場をしているので余計にそう思います)ただ、だからってシャワー室で殺されるのも、オマージュ通り越してパロディになりかねません。(メアリーのシャワーシーン自体はあるのですが、観客の恐怖を煽るための材料という感じで終わっています)それでも例えば、ノーマンを庇って銃弾に倒れるとか、せめて『ヒロイン』として死なせてあげて欲しかったと感じます。総括すると、魅力的なキャラクターに対して扱いが雑に感じました。ただただそれが、残念でならないのです。

 そしてもう一つ、ストーリーの最後に殺人鬼の真相が明かされるのですが、これが何というべきか……。伏線は色々とばらまいてあるのですが、意外性よりも困惑が上回ったのを覚えています。私の文章力では上手く伝えられない気がするので、(散々ネタバレしておいて今更ですが)あえて伏せておきます。気になる人は、自分の目で確かめてみて下さい。ただ、ノーマンのラストシーン自体は魅力的なものとなっています。アンソニー・パーキンスの言う通り、本作は『ノーマンのストーリー』です。

【まとめ】

 さて、後半は愚痴が多くなってしまいましたが、決して駄作ではありません。『サイコ』のファンの方なら、絶対に興味を惹かれる内容だと思います。『サイコ』の後のベイツ・モーテルとお屋敷、そしてノーマンを観られるというだけでも、本作の価値はあります。逆に言うと、本作からの鑑賞はお勧めしません。是非とも『サイコ』を御覧になってから、本作のお遊びやオマージュにニヤニヤして頂きたいです。さらに、『サイコ』やヒッチコック監督の舞台裏を知りたいという方には、2012年に製作された伝記映画『ヒッチコック』もお勧めです。『羊たちの沈黙』のレクター博士で有名なアンソニー・ホプキンスが、ヒッチコック監督を好演しています。一見の価値ありです。

 という訳で、『だらだらシネマティック!』第1回、この辺で幕引きと致しましょう。3年も観ていなかった『サイコ2』をじっくり鑑賞する、良い機会となりました。また次回があれば、お会いしましょう。

 ……え?続編に『サイコ3』もあるんですか!?

 ……えっ?さらに『サイコ4』もあるんですか⁉

 ……えっ⁉同タイトルのリメイク作品もあるんですか⁉

 ……まいったなぁ。

【参考文献リスト】

・『サイコ』(1960)

・『サイコ2』(1983)

・『THE MAKING OF PSYCHO』(1997)

・好書好日「かいけつゾロリ」作者・原ゆたかさん インタビュー(2022)参照

・Wikipedia 『サイコ(1960年の映画)』『サイコ2』『アルフレッド・ヒッチコック』『映画のレイティングシステム』記事参照

 

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H.164

初めまして、漫画、アニメ、ゲーム、映画他諸々が好きなアラサー男です。自分の好きな分野の漫画イラストやコラム等を投稿していければと思います。ちなみにアイコンのサングラスは、沖縄へ修学旅行に行った際、海で拾った思い出の品です。

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