・はじめに
この半年片づけを頑張るようになってから掃除や収納にも関心が向き、YouTubeでミニマリストやゴミ屋敷清掃、片づけの動画を沢山見て自分がどれだけ家とモノに苦しめられていたのか気づきました。そして私が片づけを頑張る原点となったエピソードを思い出したので、今回は私が覚えている限りで過去の汚部屋を振り返り、どういったところが辛かったのか?どのような悪影響があったのか?を語りたいと思います。
・自分の部屋がほしい!と思った幼少期
私は小学校低学年までは3歳上の姉と2人部屋でした。ある日幼馴染の家に遊びに行くと、お客さんがいるからいつものリビングではなく初めて幼馴染の部屋で遊ぶことになりました。
幼馴染の部屋に入ると下が収納になっているタイプのナチュラル木目のロフトベッド、次に高級感のあるガラス扉がついた本棚、デザインがシンプルで大人っぽい学習机が綺麗に並び、床には何もなく綺麗に片づけられまさに理想の部屋と呼べるものでした。
それに比べて私と姉の部屋は我が家の中で1番狭い部屋に子供用2段ベッドと平成の子供っぽいデザインの学習机を2つも置いて床なんてほとんど見えないギチギチの部屋。そんな部屋で過ごしていた自分が生まれて初めて見た理想の一人部屋が幼馴染の部屋だったのです。
⇚ 理想の子供部屋のイメージ画像です。木目家具が写っている丁度良い画像を見つけられなかったので伝わりにくいかもしれませんが、大きくなってからも使えるデザインの家具というのがポイントです。
その後の私は両親にお願いしましたが、ワガママだの金ないだの言われ結局変わらずの日々を過ごしていたある日、父が裏庭に何やら作り始めたので何を作っているか聞いてみると「沙鞠の部屋だよ」と言われ真に受けた私は大喜びで「お父さんが私の部屋作ってるの!」と周りの人に言いふらしました。その後母から父の冗談であることが判明し、私が部屋ほしいことを知っているくせにそんなウソをついた父を恨むようになりました。正直未だに根に持っていますし、メンタル不安定になると父にイライラしてしまいます。
※全国のお父さんへ娘を弄るのは絶対にやめた方が良いです。娘からの信用を失いますし、娘の自己肯定感が下がりますから。先日Twitterで父親に弄られた方のツイートを見かけて共感のコメントが沢山ついていたので信憑性はかなり高いと思います。
そして今にして思えば自分の家に居場所がないように感じたから小学校時代は幼馴染の家に入り浸っていました。去年Twitterで放置子という言葉を知りました。放置子だった人のツイートを読んでみると私も近い状況にあったなと共感し衝撃を受けました。
家に居場所がない私と一人っ子の幼馴染、そしてそれに何の違和感も持たず仲良いのは良いこと思っているお互いの母親が悪い方向に噛み合ってしまった部分があったなと今は思います。幼馴染みは一人っ子で色んなおもちゃを持っていたので当時は楽しかったですが、正直大人になってから自分の中の嫉妬心とどれだけ幼馴染みとその家族に迷惑をかけたか気づき消えたくなります。
※放置子については長くなるので省きます。ネットで調べれば詳しく出てくるので興味ある人は調べてみてください。
・初めての自分だけのスペース
小学校中学年になるころには身体も大きくなり、姉が1人部屋にしたいと言うので私はキッチンの端のおよそ3畳?ほどのスペースに学習机とメタルラックを置いて自分だけのスペースを作ってもらいました。小学生の内は秘密基地みたいで嬉しかったのですが、入るたびに椅子に乗らなければいけない上にモノの管理も掃除も出来ない子供だったので中学に上がって身体が大きくなってからはあっという間に空間はモノと埃で埋め尽くされました。おまけに父がのぞいてくるので落ち着けませんでした。
※下の画像の赤枠で囲った部分が当時の私のスペースです。振り返ってみると体が大きくなったとはいえ当時の私はかなり痩せていたため、これぐらいのスペースならギリギリ通れるなどの基準で家具の配置を決めていたのは良くないだろうと思いました。あと平成のあの学習机のデカさに苦しめられた幼少期でした。
そんな訳で今度はリビングの角に学習机を置いて私のスペースを作ることになりました。私は部屋が欲しいのにと思いつつも、部屋数がそもそも足りないので仕方ないと妥協しました。中学時代は状況や心が変わり幼馴染ともあまり遊ばなくなりました。逃げ場がなくなった私は毎日学校のストレスと家のストレスにさらされていたと思います。
うろ覚えですが中学後半か、高校生の頃にあこがれのロフトベッドを買ってもらいリビングだったところを完全に私の部屋として使うことになりました。しかしふすまを隔てた先がリビングなので家族の会話が筒抜けで、私が安らげる空間とはまだ言えませんでした。
高校卒業するころ進路を決めるのに悩んでいた時期に、東京のアニメ・ゲーム系専門学校の人が私の通う高校に説明会に来た時に自分が好きな分野に触れたい気持ちが強くなり、その専門学校に行くことに決めました。しかし今にして思えば、深層心理では専門的なことを学ぶこと以上にとにかくこの家が嫌で家を出たいという気持ちの方が強かったように思います。
※高校時代から地元に帰るまでの6年間このような感じの部屋でした。私が東京に行ってる3年の間は家族の物置になってましたので実際はもっとモノが多かったと思います。ちなみに本棚はロータイプのモノをロフトベッドの下に置いてました。
・前編おわりに
10代の頃は母が「片づけなさい!」と言って買ってきたカゴに抛りこむだけの収納しか出来ませんでした。更に掃除は学校でするものという認識だったため、掃除をしないから埃が積もってモノがただのゴチャついた景色の一部になってしまい触りたくないから放置の繰り返しでした。
※今ハッキリと分かるのですが、母が買い物が下手で買ってきた収納かごが私に合わず使いづらかった事も私が片づけが下手だった原因だと思います。こんまりメソッドに出会い捨てたモノのほとんどが母から買い与えられたものでした。
このコラムを書くにあたり部屋がない人生をおくった事がある人は他にいるのか気になり調べると結構いました。中には私と同じように苦しむ人、私以上に苦しんだ人も居て無視できない問題だと感じました。共通しているのは成長と共に生活ルーティンや趣味などが変わることで、家族の存在が煩わしくなるという点です。これが悪い方に噛み合ってしまうと将来的に家庭崩壊につながると思います。
今回語った出来事が自分の部屋が欲しいという私の原点です。次回は一人暮らしから現在までの良かった事ダメだった事を後編で語ります。